jou日記

コンテンポラリー・ダンサー、振付家JOUの日記です。。。Odorujouダンスパフォーマンス日記

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第5回海外の話を聞く会 宮澤さおり的ベルギー話

第5回海外の話を聞く会 
宮澤さおりのベルギーコンテンポラリーダンス話
2009年7月9日(木)


19:00-21:00

会場:青山子どもの城 会議室
ゲスト:宮澤さおり
進行:JOU




1: Before&Afterはじめの一歩

1海外へ行く前の日本でのダンス活動

新潟で、幼少時にクラシックバレエを始める。親の転勤の為、小学5年で、福島の会津若松へ移り、そこではバレエスタジオがなかったので、仕方なく、創作ダンス教室に通う。小学校4-5から自分で振付を発表。中学校では、学校にはなかった新体操部を、友だちと新しく設立したり、スキー選手としても大会参加など、学業以外のことに全力を注いでいた。

高校卒業後、日本女子体育短期大学舞踊専攻科へ進学。上京後は、故・庄司裕モダンダンスカンパニー所属。コンクール新人公演など、活動していたが、やたらにお金が必要なこと&年功序列のようなものに疑問を抱き始める。

その頃に、故・野和田恵里花に出会い、1994年頃より故・野和田恵里花と一緒に作品を作り始める。これが後のバオバブファミリーの活動に繋がる。他にダンサーとして参加していた振付家としては、伊藤多恵、米井澄江、吉沢恵、M-labolatory(三浦宏之)、カンパニーカレイドスコープ(二見一幸)など。それらの作品に出演の傍ら、自分でも振付け、独舞や、グループでの自主公演、フリンジダンスフェスティバルにも作品出展。フリーランスダンサーとして都内を中心に活動していた。が、当時、主な生活費は近所の花屋でアルバイト&キッズバレエ指導など、舞台での収入はそのまま、右から左で自分の活動費としていた。


2海外へ行く事になったきっかけ

上京してから5-6年の間に、NYへは、オープンクラスを受けに、何回か渡米。だが、いまいちピンとこなかった。最初、ヨーロッパには興味がなかったのだが、前回のトーク招待者の遠藤暁子さんが、その頃、すでにオランダへ留学していて、彼女からいろんなヨーロッパダンスの情報を得て、興味が出たことが、直接のきっかけになっている。

その当時、自分のダンサーとしての方向性が、曖昧になっていた時期でもあり、アルバイトを続けながらのダンサー生活にも、大きな疑問が沸いて来た頃である。さとこさんからの欧州話で、「ヨーロッパではダンサー振付家という職業が成り立つ&食べて行ける」ということを聞き、そのような環境とはどんなものであるのかを、実際に知りたいと思った。

留学準備としては、留学の1年前に、1度、学校訪問の為にオランダへ足を運ぶ。アムステルダムの学校は、丁度秋休みで、日本人つながりで紹介してもらった学生から、いろいろと話を聞かせてもらったのみ。ロッテルダムでは、見学&そこを卒業した日本人のダンサー(富野ゆきおさん)と連絡がとれて、より具体的に、いろいろと話を聞かせてもらえた。

最終的に、私が留学することにした、オランダ郊外にある、アーネムのダンスアカデミーArtEZ Danceacademie(ベルギー在住のダンサー&女優の渡辺有為子さんにお世話になった)では、クラスも受講させてもらえた。日本人でその学校出身者は、他にも現在ブリュッセル在住のダンサー吉原未央子さんなどがいる。実は、アーネムのダンスアカデミーに行く途中の道中からして、草原や牛の見える車窓、田舎町の中の学校、など、その土地そのものに、最初からとても魅力を感じていた。

アーネムのダンスアカデミーには、ダンスメーカーという振付家専攻の科があり、招待生という枠もあり、招待生であれば自分のやりたいように授業内容も組ませてもらえるということだった。そこでなら、マイペースで学校に在籍できるだろうということと、その学校はダンス科の他にファッション科(日本人が各学年にひとりくらい在籍している)音楽科、建築科などがあると聞いて、ちょうど、自分でも、アーティスティックな考え方、視野を広げることもしてみたい時期だったので、アーネムの学校を選ぶ。他のダンス校はテクニック&メッソッドの伝授を主にしているのが特徴的だった。
私は、招待生として、1年間ゲストで振付コースに入学。プログラムは好きなものだけでよく、レポートのみ。スタジオも予約制で使えた。
留学時の自分の年齢(当時35歳)からしてもベストな学校を選んだと思う。


宮澤的補足情報:入学方法

学校へは入学願書、自分の作品のビデオと、「何故その学校で勉強したいのか?」の手紙をつけて。招待学生希望の入学申請をしたのが3月頃。入学許可の返答が来たのが5月初め頃。
8月終わりに、オランダへ渡り、学生ビザを取得して、1年間、学生になる
学費 200000円/年くらい
生活費 7~80000円/月(毎日朝から夜まで学校にいたし、田舎だったということもあり、あまりお金はかからなかった。食費、ワインが安い、映画、劇場は学割が効いたとうこともある)
家賃(光熱費込み)300ユーロ(二人でシェア)光熱費込み
ダンスパフォーマンスの入場料10ユーロ前後


3最初のダンサー契約のこと

学生生活も後半に差し掛かり、貯蓄もかなり減って来た状況に背中を押され、本腰を入れて、ダンサーという仕事を求めオーディションを受けまくり、落ちまくる。
ベルリンまでわざわざ出向き、オーディション会場へ行ったら「男性ダンサー募集」のオーディションだった、ということが判明、という笑い話もある。

情報はインターネットのサイト、「DANCE EUROPE」や学校に貼られている情報などで入手。
学生ビザも切れ、(学生ビザが切れてから3ヶ月は滞在可能)あわや違法滞在になるかならないか、のぎりぎりのところで、ベルギーのPierre Droulersカンパニーに、第一次オーディションに受かる。それでも、正式に選ばれたわけではなく、6人のダンサーは正式雇用だが、自分だけ保留。
2003年11月から、お試し的にリハーサルに参加。予備出演者ということで、1ヶ月間の試用期間がある。リハーサルの日に呼ばれ、その時に行くだけで、何の保証もないが、この期間中でも、試雇用契約として、契約書にサインし、2ヶ月のワークに対して、きちんと現金で支払われた。正直、フランス語の書類だったので、内容はあまりよくわかっていなかったが。

試雇用期間の2ヶ月間、ベルギー在住のダンサー、ういこさんの家に居候していた。さすがに2ヶ月後、彼女から、先のことをはっきりさせるよう促された。また、この先のことについて、何も言われないまま、クリスマス休暇に入るのは不安だったので、休暇前日に、「この先どういうつもりなのか」」と、聞いてみたところ、「明日、電話する」と言われる。翌日電話があり、正式契約を約束され、帰国。契約書は、日本の実家に郵送され、そこでサインした。

2004年1月からカンパニーとの正式契約になる。ただし、この契約が結ばれたのは、クリエーション期間の3ヶ月間のみ。滞在ビザは、インターナショナルアーテイストビザという最長3ヶ月のもの。ツアーの予定は、2年後まで決まっていたものの、頻度としては、3ヶ月に1回くらい。ツアーのない間で、ビザが切れている期間は、身を潜めて生活することにならざるを得なかった。

途中、同カンパニーで、ディレクターアシスタントとして働いていたベルギー人の伴侶を得て結婚したので、配偶者ビザを取得。ビザの問題は消滅し、不法滞在をしなくてもすむようになった。

正式契約書の時でも、言葉が良くわからなかったので、金額だけ確認してサインをした。
手取りで約20万円くらい。税金、保険、組合費などで40%程引かれている
この作品は、クリエーション時には、すでに、9ヶ月先までのツアーの予定が、決定していた。 その後の3年間で、3カ国14都市を、ツアーすることになる。

ツアーごとに、出演料は変動。これは、劇場とか、フェスティバルの付けた値段の予算の違いによるもの。出演料の他に、日当(食費などのため)というものが、だいたい一日3000円~4000円くらい支給される。飛行機、電車のチケットは、大抵、格安eチケット級のもので移動。


宮澤的補足説明: 滞在問題:

独身時には、仕事のない期間のビザは更新できず、とりあえず、日本へ一時帰国した。いちいち日本に帰国するのも大変なので、まとまった期間(3ヶ月以上)の滞在許可を申請するか、日本往復の飛行機代を出してくれ、と、途中からカンパニーと交渉。結果、飛行機往復代が一度、カンパニーから支給された。



4日本との違い、海外で始めて気づいた事など

:生活環境など

外国へ出て、初めて、自分が日本人である、という自覚ができた。街を歩いていると、子供達が「ニーハオ」といって通り過ぎたり、大人でも、すれ違い様に、こちらに合掌して「ありがとう」と言ったり。日本人と見れば、こう、という、ステレオタイプのリアクションに、初めはかなり戸惑った。

また、物質的にも、初めの頃は、生活している住宅環境の、全てのものが大きくて、どうも体がなじまなかった記憶がある。トイレ、洗面台、スプーン、食器、自転車は子供用に乗っていたし、洋服も子供服が丁度良かったなどなど。言葉の問題も、確かに初めのうちはあったが、ダンスという媒体があったので、逆に助かった。学校は国際色豊かだったので、基本は英語。

先生のすすめもあり、自分の好きなダンサーを選んで、作品作りを中心に活動する中で、自然と英語でも、コミュニケーションが取れるようになってきたし、作品を作りたい、という意欲が増して過ごせた。


:社会の中での芸術家

芸術家としての職業が、成立しているということへの驚き。日本とは、芸術家への社会からの支援、理解が全く違う。芸術家というものの、社会の中での役割のようなもの、が明確であり、浸透していて、芸術家が、一般市民の祭事やイベントに関わる、などの、プロとアマが関わる機会も多くある。街で出会う人に「ダンスをしている」というと、一般の人でも、話にのってくれる。

アーティストは個人多種職業。ダンサーだけどシンガーでもある、とか、振付家であり映像作家でもある、など、あまり専門ということにこだわらずに、興味のあることをどんどんやっている人が多いので、ダンサーだけのコミュ二ティーで固まる、という状況になりにくい。

いろんな職業、年齢の人が、ダンスに興味を持って、ダンスをやったり、見たりできるように、社会の仕組みができている。
例えば、社会活動の中に、アーティストが当たり前のように入っている。カンパニーの休暇中に、子どもの教育や地域活動に、ダンスとして携わったりする人も多い。

また、劇場、映画、美術館の入場料には、失業保険者割引というベルギーらしい枠もある。この割引は、ダンスクラスなどでも、有効なところがある。

それと、劇場ディレクターやフェスティバルのオーガナイザー、カンパニーなどの制作、企画、広報などのスタッフで、アーティストの為に活動している熱心な人々の割合が、日本に比べて多し、それもまた、職業として成立している。


Q:35才で渡欧する前、ダンスは何才から始めましたか?

A:4才からです。


Q:契約書について、怪我の保証などは?

A:保険に関しては、Syndicat(サンディカ)という組合になっていて、それぞれの組合で、微妙に内容が違う。ベルギーは、オランダ語を話すフラミッシュといわれる人々と、フランス語を話すワロンと呼ばれる人々、の2つの文化に分かれている。フラミッシュ圏には、ローザスなどのカンパニーが有名で、比較的、アートの予算がおりている。ワロン圏には、シャルロワダンスというカンパニーがあり、自分が契約した振付家は、こちらとつながりがある人。

ダンサーとして契約する、ということは、同時に、その契約書を通して、どこかの組合員になる、ということでもある。税金が40%なので、契約書の額面が2000ユーロだったとすると、手取りは1200ユーロ位。失業保険は、年齢によっても異なる。3段階の年齢枠で設定されている。労働日数ではなく、稼いだ金額で計算。→詳細は、[5.雇用される側として]の最後の宮澤的補足情報に記述
カンパニー所属でなくても、個人で何かやったりする時、SMART(スマート)という単発プロジェクトのマネージメントを請負ってくれる機関もあり、何%か手数料を支払えば、契約保証関係などは、やってくれる。


Q:日本のダンサーで考えると、すごい金額だが、、、

A:契約は、途中で途切れてもよく、2年3ヶ月の間にそれだけ稼げて、1年間4契約できれば、毎月最大で1046ユーロ、もらい続けられる。4契約の中には、1日のWSでも雇用契約1件分と計上される。

組合はいくつか存在して自分で選ぶことが出来る。毎月1回、カレンダーで就労状況を報告する。仕事しない日に×をつけて、月の終わりに組合に持って行くと、×の日の保証が出る。

金額は、独身でも家族持ちでも、最大額は同じ。最低額はパートナーや同居人がいる人は、シェアする分、生活費が安くすむということで、減らされる仕組みになっている。


宮澤さんの補足情報 :日本人のセンス

日本人のセンスは、かなり高レベルと自慢していい。
日本の生活の中には、普段のちょっとした生活の中で、さりげなく知らず知らずのうちに、センスを磨いているような要素が、たくさんある。これは日本の気候、風土、四季の変化がはっきりあり、季節を大切にしていることにも、関係していると思う。これは、目には見えない部分だけど、日本人の感情や表にも、繋がっていると思う。

個人的な感覚なのだが、そういう、日本では普通であった価値観やセンスが、海外で暮らす中で、だいぶ曖昧になり、いい意味で混ざりあうことで、自分のこだわりのようなもの、日本の社会で、無意識に身についていた文化価値のようなもの、が見えてくるようになった。このことは、改めて、もっと日本の文化を、深く知りたい、と思うきっかけにもなっている。

高度成長期に、大きく変化をした、日本人の生活スタイル。日本の外から入って来たモノを、上手に取り入れながらも、日本人独特のセンスを、絶妙なバランスで残してきたことは、評価に値すると思う。

海外にいても継続したい、と思う日本的なことは。。。。
1.靴を、玄関で脱ぐ(日本でいう、玄関という概念、のようなものが存在しない)
2.白いご飯は、フォークとナイフではなく、箸で食べる
3.衣替えをする(欧州は、1年を通して、同じ服を着回している感じ)
4.新年にお参りをする(海外にいて新年を迎えると、なんだか新年気分になれない)

などのことである。また、このようなことは「自分に宛てられたメッセージ」でもある。つまり、
その中に、たくさんの創造性(アーテイィスティック性)が隠されているはず。



2Living&Working

5雇用される側として

「1日の流れ」


朝10:00-12:00ダンスクラス(コンテンポラリーとかヨガとか)
ディレクターのピエールはクラスはせず、彼の弟子や、ゲストティーチャーのこともあれば、カンパニーメンバー全員で行なうこともある。また、カンパニー払いで、ブリュッセル市内の、ヨガのスタジオなどに行くこともある。

昼食
お弁当のときもあれば、当番制で給食係が廻ってくることもあった。当番制は特に、ディレクターの考えで、作品「アパートメント」をクリエイション中に、行なわれた。この作品では、壁を隔てた他人の生活、空間に居る身体、玄関、居間、寝室、庭などの空間からインスピレーションを得て、動くということを行なった。台所に居る身体の体験、ということで、ダンサー全員が、カンパニーの制作やアシスタントの分も含め、13人分を当番制で作った。

13:00-18:00 クリエーション
コンポーザー/ライトデザイナー/アーティストアシスタント(テクニックとアーティスティックの仲介)/記録(ビデオ)も含めてのクリエイション作業。基本は18時までだが、本番前には、夜10時11時まで行なわれることもある。


「1週間の流れ」

基本は、月~金が出勤、土日、休日は休み。
初演、ツアー中は、土日祭日関係無しで、13時か14時に集まり、18時から19時には終わる。

「年間の流れ」

ツアーが入る毎に集合。3ヶ月期間があいた時は、再リハーサルをして、感覚を取り戻す作業をした。基本的に、本人がそれを取り戻せないと、全く違うものになってしまうので、各自、リハーサルノートのようなものを持ち、取り戻せる様な記録を工夫した。

年間のバケイション休暇については、夏とクリスマスの年2回。3週間から3ヶ月が普通。
ブリュッセルには、失業者が多い。日本の場合、失業中と言うとあまり良い印象を与えないが、ブリュッセルは平気。「chomageショマージュ(失業保険)を貰っている」、と平気である。

***********

Q:土日の休みには、本当に休むのか? 休むと言いながらWSなどするのか? 何をする人が多いのか?

A:大体、家族と過ごす、気のおける人と出かける、など家族、友達といる時間であることが多いし、基本的には、家でゆったりと過ごすことが多い。
劇場も、夜8時や9時からの上映なので、夕食の後、ゆっくりと見に行ける。ゆっくりとした時間の流れである。ホームパーティーもよくやる。ご飯を食べてから、飲みに集まる会で、フラミッシュ圏で多い。正式の話し合いというより、なごみながら、そこで、仕事の話が成立することも多い。そうしたこともあり、昼はゆったり過ごし、夜は、そうした場所でマメに営業する人もいる。


Q:失業保険について、聞かせて欲しい

A:失業保険は、女性の場合、出産等、助かるが、良い仕事をしているアーティストは、失業保険をもらうよりも、常に仕事をやっていると思う。また、女性の視点からいうと、ベビーシッターなどのシステムも充実している。もちろん、怪我の時の失業保険は、とても助かっている。


Q:契約は、その作品のプロジェクト契約なのか? カンパニー契約なのか?

A:作品のための契約をしました。これは、ピエールの考えによるもので、彼は、フレッシュさを保つため、クリエイションの毎に、メンバーチェンジすると決めています。それは、同じカンパニーでも、他に3人いるディレクターによっても異なります。チェリード・メイというディレクターは、1人、ミッシェルというディレクターは何人か、ダンサーを囲っています。もう1人のディレクター、ヴァンサン トゥリオンは、業務的には、プログラムコーディネイション資金や、コミュニケイション関係の担当をしてます。

*****

宮澤的補足情報:アーティストの為の失業保険について
(初回の日玉さんの話と重複するところもある)

日本でいうところの、失業保険というものも、存在している。アーティストの為の失業保険が、存在しているというところが、かなりベルギーらしい。「ベルギーの街を歩けば、失業保険者にあたる」というくらい、その層は厚い。アーティストの失業保険をもらうためには、ある程度の条件がある。アーティストとしてこれだけ働いた、という契約書が必要になってくる。

アーティストスターチゥウ保持者(le statut d'artist 社会的にアーティストである条件のようなものであり、アーティスト業保険を貰える資格)

アーティストの仕事は、時間で計算するのが難しいところもあるので、金額で計算する事が多い。例えば36歳~50歳であれば、継続して27ヶ月の間に、アーティストとしての契約があり(途切れていてもよい)、この期間の合計収入が235万円(87000円/月)以上の人。この申請の際には、契約を、自分からではなく、雇用側から切られた、という紙面が必要になる。36歳以下では、状況がもう少し、ゆるく、50歳以上では、少し厳しくなっているようだ。

支払いの金額は、その人が単身でくらしているか、家族がいるか、同居人(パートナーとか友人など)がいるのかによって変わってくる。最高で15万くらい。最低でも9万程。ブリュッセルでは、充分暮らしていける。失業保険をもらっている期間は、働いた日にち(1日WSや教えをやったなどでも、少しでも契約書のある仕事をした場合)、働かなかった日にちを、毎月毎に、組合に報告する。 その報告をもとに、毎月の保険料が決定され、指定先の口座に振り込まれる。

一度、この保険をもらう資格(アーティストスターチュという)を持つことができたら、1年間のあいだに4回の契約(最低四日ともいえる)をしていることを証明できれば、半永久的にもらい続ける事ができる。豊かな国と言える。フランス、オランダは、システムがまた別で、もう少し厳しいようである。


6.カンパニーダンサーに求められること

何よりも、話すこと。自分の考え、こう思って表現すると、こうなります、と説明できる能力。

特に、私が関わったPierre Droulersは、オーディションの時から、すぐ動くのでなく、ます、話す、ということを要求した。何も言えないのは、何も考えないのと同じと思われる。
クリエーションでも、話し合いが多いので、まずは自分なりの考えをもって、意見として出していけること。自分の中の、アーティスティックな面が、試される場ともいえるし、それらが鍛えられる場でもある。パフォーマーは7人いたプロジェクトであったが、その中でワークする際、自分なりの意見の表現の仕方を工夫した。

例えば、自分でクリエーションノートを作り、振付家の提示していることを、自分はどのように感じ、とらえ、解釈しているのかを、言葉にしたり、写真などのイメージや音、色などで表現することなどした。ピエールとのクリエーションは、とても興味深いクリエーションであった。

話し合いにおいては、振付家と対等に意見交換し、それを皆でも話し合い、意見を言ってもらう、ということもした。

それぞれが自立して、自分なりの意見を出し合い、クリエーションをして行く中で、ディレクターは、総合的に判断して、パフォーマーから出されたものを、切ったり、貼ったり、つなげたりしていく、編集者のような役割のようでもあった。2年間のツアーの最中でも、ずうっと、細かい変更を継続していたのも、興味深かった。

「あの時のあれ、」と振付家にリクエストされた時に、再現できるように、自分も、自分の出したことについて、ノートを取った。真っ白いノートは、今でも常に持っていて、常用している。


ダンサーとしてだけではなくアーティストとしての活動経験


ダンサー振付家としてだけではなく、自分の興味のあることなどを、普段からいろんな人に伝えたりしていると、思わぬところから、誘いがかかることがある。日本でもやっていたフラワーアレンジメントを活かして、舞台空間のデザインを任されたり、演劇祭にパフォーマーとして呼ばれたりもした。ベルギーは、そういうお国柄ということとも、関係があると思うが、振り返ってみると、やりたいことという以上に、普段の、人付き合いの中から、次の仕事や人との出会いに繋がって行っている事に気づく。


********
宮澤的補足情報:雇用する側として自分でプロジェクトをする場合の日本との違い
(以下、彼女の経験からの貴重な情報提供です)

Physisという20分の小作品の場合
振付け+音楽(自分)
照明+テクニカル(1名)
ダンサー(1名)
まずは、クリエーションの為に、場所だけを借りる。2005年から、振付家ピエール
が、「シャルロアダンス」という、政府下の文化組織のディレクターに選ばれたこともあり、話が進みやすかった(スタジオは、空いていれば貸してくれた)
ショウイングをして、劇場関係者や舞台関係者などを招待し、作品を売り込んだ

*日本では、個人的に、無料で場所を提供してくれるところが、少ない記憶がある。
*この作品はPierreの推薦で、シャルロアダンスのフェスティバル参加へ、繋がる(制作はシャルロアダンス)このように、ショウイングに関係者を招待して、作品を売り込む、というのも、日本と違うのかと思う


リハーサルの場所の提供

プロジェクトとして、手取りで20万円程支給される
作品を作る時点で、売り込む先(フェスティバルとか劇場とか)のだいたいの見当がついているほうが、話がスムーズに進む。海外でも人脈は大事です




3System information(education,creation,presantation)あちらの仕組み


7劇場システム

劇場のシステムは、あまり詳しく有りませんが、若手のアーティストに、場所を貸してくれる、というところもいくつかあり、何度か行った事があります。基本的には、レジデンスという枠でスタジオと交通費、日当くらいまで、出してくれるところもあるようです。希望すれば、あるいは交渉次第で、宣伝チラシを制作してくれたり、インターネットで情報提供もしてくれる。

助成金などをアーテーストが申請する時には、すでに劇場からOKがでていることが、条件となるようで、年間の締め切りに合わせて行ないます。

劇場側は、基本的に、バイヤー(買い手)です。1年間の劇場予算の中で、作品の買い物をしています。買い手として、劇場側が、アーティストの持つ魅力、集客などを見積もり、判断します。

ヨーロッパでは、フェスティバルに作品を売るための、見本市のようなイベントを、劇場または、ある組織が、開催することもあります。

ヨーロッパは陸続きなので、いろんな所からバイヤー(劇場ディレクターやキュレーター)がやって来て、気に入った作品を選び、自分たちの国のFestivalや劇場のプログラムにする、などの申し出をします。

売り出す方も、作品に関する資料(明確な作品内容/テクニカルなことの詳細/経費/参考イメージ)などを、紙面ですぐに渡せるように、準備しています。作品を売るための見本市では、作品を見せて、パーティーも行ない、直接話をする、などという仕組みもあります。

これはビジネスです。芸術が、そう簡単に売り買いされるのを、目の前にしてみると、個人的には腑に落ちないところも、多々ありました。そういうご時世なのでしょうか?
こうしたことは、ベルギーでは、フラミッシュ(オランダ語圏)の方が盛んです。
アートが売り買いされている、競り的な状況、目の前で売買の話をするビジネス感覚、売れるための作品を作るという風潮の中で、本当に良いものを作ることの強さ、というものを考えさせられます。


Q:アートの売り買いについては、宮澤から逆に、今回いらして頂いた、芸術家の平石祐さんに伺いたい

A:(美術家:平石祐さん)美術でも、若い世代のアーティストは、ギャラリーで売り買いが一般にはなっていると思うが、私とは世代が違う。若い人達は、「売れたい、生活したい」と思うので、そういう風なビジュネス感覚の人もいるが、昨年の経済不況後、減少していると思う。
もちろん、お金だけの売り買いの世界では、見せ方、売り方が上手な人もいて、それが取り上げられているという世界もある。が、基本的には、自分がどうやって生きていくか、が基本なので、自分なりの決意を持ってやっていかないと、結局翻弄されることになると思う。



宮澤的補足情報 :日本とのシステムの違い
 

公開リハーサル招待

本番前日に、公開リハーサルというものがあり、報道陣、批評家、知人などが招待されて、コメントなどを言ってもらったりします。大きいカンパニー程、大々的にやります。そこで、ツアーが成立することもあるし、批評や写真などが新聞などに載ると、観客は増えるようです。


クリエーション環境 劇場からの支援

Pierreのクリエーションの場合
クリーションは、劇場とスタジオの半々(1ヶ月半づつ)
劇場でリハーサルができる環境、というのはとても恵まれていた
これは、前もって企画を劇場に持ち込んで、話し合い(劇場予算)をつけておけば、可能。
劇場が、このようなクリエーションの為の、劇場使用料の予算を組んでいるためである。
日本ではその辺どうなのでしょうか。



8.公演の支援環境

私が仕事をしていたPierreDroulers が、
2005年から芸術監督になった 「シャルロアダンス」について


カンパニー概要:
ブリュッセルは、フラミッシュ系とワロニー系に、政治、経済が分かれている
「シャルロアダンス」という組織は、ブリュッセルのワロニー国立振付センター(旧・国立バレエ劇場)を拠点とする。(ちなみに「ローザス」は、フラミッシュ系になる)

:1991年から2004年まではフレデリック・フラマン(現在南フランスマルセイユ国立バレエ劇場ディレクター/遠藤康之Yasuyuki Endoさんが所属)

2005年からは、後継に、4人のアーテストディレクターが選ばれ、運営しているカンパニーである。

シャルロアダンスという組織について

22人の大きな組織
:Artist director 4人
Vincent Thrion (programation/cordination/communication資金調達)
Thierry de mey (artist/Film maker)
Michel anne de may (choreograph)
Pierre Droulers (choreograph)
:制作3人
:プロダクション/宣伝4人(芸術監督artistic director各自についている)
:コミュニケーション3人
:教育/情報4人(ダンスプログラム/学校関連/DAS地域活動/公共関連)
:技術テクニカル4人(ディレクター/照明/舞台シャルロアとブリュッセル)


*建物
スタジオ大(劇場にもなる)1
スタジオ小1
フリースペース3(ギャラリー、ダンスWS&クラスなど多目的使用)
カフェ&バー(基本的に公演時のみ)
ディレクターオフィス(3カ所)
事務所(2カ所)


*活動内容

1)劇場ディレクターの活動(クリエーション/初演)
カンパニーの、3人のディレクターそれぞれのクリエイションを定期的に行なう。

2)ダンストレーニング/WS(1ヶ月ごとにタイムテーブルが変わる)講師として招待さ
れることもあるし、講師から話をもちかけることもある。講師をすると契約書がでるのでダンサーの単発の仕事になる.コンテンポラリー/yoga/ブレイクダンス/WSなど

3)国内外からのアーティストレジデンス(企画によってはプロダクションがつくこともありツアーなどに繋がる場合もある)

4)建物が有る地域のイベント&子供のためのダンス教育

5)2年に1度のダンスフェスティバルの開催

6)空いていれば、貸し劇場&スタジオとして




9ダンス教育の環境

ベルギーでは、ローザスの付属学校パーツがある為か、ダンス学校が少ないように思う。
そういう意味では、オランダの方が充実していた。
ローザスでは、子供のためのWSやダンスクラスも、しているようである。

アントワープには、バレエ学校があるらしいが。詳しくは知らない。

シャルロアダンスも、それなりに教育にダンスを取り入れるような考え方はあるが、教育よりは、プロのアーテイストの支援のほうに、比重がかかっているように思う。

ダンサー達は、それぞれに、ヨガやバレエやコンテンポラリーなどのクラスを受けたり、WSに参加してトレーニングをし、自分で自分なりのプログラムを組んで、主体的に動いている感じがする。 市内には、プライベートのダンスクラスがあり、プロの元ダンサーが教えている。

また、プロのアーティストが、幼稚園に教えに行くなど、小さい頃からすでに、プロのアーティストと接する機会が教育の中に存在する。

ダンスを仕事にしている人向けの情報は、日本よりも充実している。
日本の情報は、一般向けのものが多いと思う。

ダンス情報誌contredanseというフリーの情報誌があり、近日のダンス公演についての批評や
日程、オーディション情報などが掲載。

その他に2週間に1度くらい日本でいう「ぴあ」のような文化情報誌のようなものは、登録しておくと、無料で家に送られてくる。
これらはカフェ、公共の場のような、人の目につくようなところには、大抵置いてある。

インターネット上でも、EUROPEDANCEなど、いくつかのサイトで、ダンサーの為のオーディションの情報が見れる。

お国柄か、ダンサーは、ベルギー人だけでなく、外人も多い。
プロ経験の後、きっぱりとやめてしまう人も多いし、絵を描くなど、他の表現に移ったりする人もいる。


Q:ダンサーの立場での、プロとアマチュアの区切りは、契約書というシステムで、明らかだと思うが、振付家としての、プロとアマの線引きはどうなのか?


A:振付家としても、劇場と契約を交わしたり、ということで、初めて作品が公に発表できる仕組みがある。日本のように、自分でお金を払って劇場を借りて、作品を発表する人は、いない。

ピエールに関しては、シャルロア・ダンスの芸術監督の1人になった、ということもあるが、それ以前でも、彼は話がうまく、営業が上手。彼のことを気に入っている評論家もついている。
自分が振付家として仕事をしようと思った時は、まずピエールに見せた。そこから、フェスティバル出展へとも繋がっていった。
いずれにしても、作品を作り続けるということで、名前も知られて来ると思う。


Q:日本で言う、自主公演、自分でお金を払い、自分主催の公演を発表する、ということは、ないのか?

A:ない。


Q:フリーのイベントなどは?

A:それは、ある。意外に、スゴい人が、ひょっこりやってたりすることもある。


Q:そういうイベントは、あくまでもお遊びのような楽しみで、実際は、プロモーションするのか?


A:それは、人による。それぞれが、やりたいことをやる、というのが基本だと思う。




10今後の活動

自分の中では、大きなターニングポイントにきている。
子供の頃からクラシックバレエという、外国からの輸入ものを、当たり前にようにやってきたことで、身についたことに、大きな疑問がある。これは、間接的だけど、自分の年代の背景、経済発展や高度成長などとも、関係してくると思っている。

ヨーロッパで、ダンサーとして活動していた中で、痛感した事は、先を見てクリエーションをしても何もでてこないということ。自分の中で、このままクリエイションを続けても何も出て来ない、と思ったとき、では、自分の中のルーツを探りに帰ろう、と思った。


これまで、自分のルーツをクリアにしていくという作業、が、自分には足りていないと思った。個人的には、急成長する時代の中で、すっとばしてきた時空間というか、目には見えない事、言葉にすると民俗的なこと、宗教性や風習、習慣ならわしなどの中に何かヒントがあるような気がしている。

一般的に都会的でないとか、「くさい」「ださい」と、かえり見られなかったこと、に目を向けて、体験することが、今の自分には大切だと思っている。
実家が新潟ということもあるが、日本なら、佐渡島。
今年の四月より、新潟の佐渡島に住んで、生活している。
夏からは、佐渡島の民家14軒のちいさな集落に、家族3人で住み始める予定


フランス人のブッディスト(仏教崇拝者)アーティストが、私に話してくれたことで、印象に残っている話にこういうのがある。「今の時代は、大抵どこも、大きな都市は似ている(東京、パリ、NY、ロンドンなど)。でも、日本は島国だから、オリジナルなものが、まだ存在しているはずだ。それが何なのかを、自分の中の、アーティスティックな部分が知りたい、と強く求めている。」

一緒に仕事をした振付家のピエールに日本の魅力についての可能性について聞かれたとき、自分の中に、話せるものがほとんど何もなかった。


しばらく、佐渡島で、農耕民族的な日本人の暮らしを始める。それこそ、生活自体がアーティスティックな毎日になるだろうと思う。その暮らしの中から、現代日本人の環境、身体感覚のルーツを探してみたい。アウトプットではなく、インプットの時間。

将来的に、日本かヨーロッパになるかは、まだ分らないが、とりあえずは、長期間の日本滞在をベースにする予定です。




もっと日本人は、自分の国を誇りにもってもらいたい。他国の真似をするのではなく、まず、自分の国に目を向けることで、海外に通じる道を作って行きたい。

*日本独自のものの中にある、隠されたヒントを見つける作業をしたい
日本人だからこそ、理解できるセンス(感覚)を大切にしていきたい


:ある神社の話
お守りを買った若者が、「ご利益は、すぐにあるものなんでしょうか?」と訪ねたそうです
何もしなくて、ご利益はありません。日頃の心がけが大切です
「日頃の心がけとは何か?」と考える日本人がどのくらいいるのか。。。

:空き家を探して、村の人に、空き家のことを訪ねたときの事
「空き家には、先祖代々からの神が住んでいるので、その神様にまず気に入って頂けるように努めてくださいね。」
「というと?」
「供養をすることです。花を飾るとか、掃除をするとか、舞を舞うとか、お経を唱えるなど、なんでもいいので、自分が「これが良いのでは」、と思った事をやればいいのです。」
との返答。
花を飾る、踊りを踊るなどは、かなりアートの起源が、
ここにあることを、すでに教えてくれています。

これは外国人(パートナー)には、なかなか理解しにくい内容のようです。
この辺のところを、日本人として、何かアーティスティックな表現に、変換できるといいなと考えていますが。。。




***************

JOU的補足説明

これまでの中でも、初めて、非常に詳しい原稿資料を、予め用意して臨んでくださった
宮澤さおりさんでした。なので、原稿に書かれていたことで、当日は、詳しく語れなかったことなども、ここで補足情報として、記載させて頂きました。

お子さんが学校に上がる時には、再び、どちらの国を選ぶのか、家族としての転機が来るのでしょうが、それまでの数年間を、日本の佐渡島に根を下ろそう、と決めた経緯など、アーティストとしてだけでなく、1人の人間としての生き様も含めてのお話の面白さに、参加の皆さんも、非常に興味深く、熱心に耳を傾けていました。

また、ベルギーに関しての、契約書やアーティスト失業保険などの、より詳しい情報を、事前に調べ、惜しみなく与えてくださったことに、心より御礼申し上げます。

また、これらの情報は、あくまでも、宮澤さん個人が、その時々で、関与、あるいは理解した事柄に関する善意の情報公開であり、日本でも、立場が違えば理解も異なるし、法律やシステムですら、年々変わっていくのと同様、普遍的な情報ではない、ということを、どうぞご了承下さい。

彼女の、明るくて暖かい人柄が、やわらかく染み入るような良い会となりました。
ありがとうございました。

また、今回も引き続き、会場協力くださいました青山劇場、
ご参加くださいました皆様に、心より御礼申し上げます。


企画:Odorujou / 協力:青山APAS

テーマ:ダンス - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2009/08/23(日) 19:09:57|
  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
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プロフィール

odorujou

Author:odorujou
コンテンポラリーダンス作家
振付家/ダンサー
Odorujouディレクター
2009年ソウル国際振付ファスティバルにて、外国人特別賞受賞。

■ダンサー/振付家■
「長い手足、自由度の高い身体、それを繊細にもダイナミックにも動かし、半径1mの円の中で踊り続けて飽きさせない身体のボキャブラリーを持っている。なのに、いきなりマヌケなネタを平気でかます面もあり、気が抜けない」(乗越たかお著:コンテンポラリーダンス徹底ガイド)

■プロデュース■
「Odorujou」時々主宰。すなわち、わくわく心躍る企画担当。「個性ある身体」を起点に、皆さんの問題解決や目標に向けて真剣に取り組み、社会貢献を目指します。
創造的身体資源の開発と芸術文化環境の向上は、世に恩恵をもたらし、個人のより良い生活と、豊かな社会作りができるのではないか?

身体不在の現代社会において、コンテンポラリーダンスが包有する、社会にもたらすであろう様々な有益な可能性と、その価値を信じて活動中。

■芸術環境向上企画■
海外の話を聞く会
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-category-8.html
こんなことやってみました。
Independent Artists Japan TPAM2010
http://artistsjapan.blog29.fc2.com/
http://blogs.yahoo.co.jp/dancartscom

■願望
週末はひっそりとする東トーキョー暮らしを愛おしく思う。温泉&旨いものツアー希望。



■WSクラス講師■
基礎身体能力の開発や、即興(インプロ)、コミュニケーション学習、コンテンポラリーダンスなど、様々なアプローチから提案するクリエイティブなWSは、主催者側の要望に添ってオーダーメイドで作成され、語学力と柔軟な発想力にて随時対応可能。
WS対象は、ダンサーやアーティストはもちろん、ダンス未経験の老若男女、学生、子ども、日本人から外人(英語圏)まで、自分のダンスを踊りたい人、人とのコミュニケーションを楽しみたい人、、どなたでも大丈夫。

■クリエイション■
ソロパフォーマンス、コラボレーション、グループ作品の上演、振付なども随時対応。

■最近多く担うお役目
何かと何かを繋ぐ。
全体の中でバランスを取り、足りないものを提供する。
場を浄化させる。
物事を前向きに進ませ、発展させる為の介助。


■お問い合わせはこちら
OdorujouまたはJOU宛にどうぞ。
odorujou@yahoo.co.jp
http://odorujou.net

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