jou日記

コンテンポラリー・ダンサー、振付家JOUの日記です。。。Odorujouダンスパフォーマンス日記

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【うるう年の日に】とってもうれしいお礼の電話~救援物資~友人の友人へ

頼まれもしないのに、人のためになりそうなことを企画しては、細腕1本で細々と実行。おせっかいともいう。それが、ダンスで人や場や文化をつなぐOdorujou活動なのである。それは、ここ数年、ずっと続いている。

頼まれもしないのに余計なお世話をしていることを、続けていられるということは、まあ、あながちトンチンカンなだけでもないのであろう。しかも、企画運営的にも、低コスト、シェア~の精神なので、実にギリギリ草の根的なのだが、それでもなんとか奇跡的に生きてゆけている。

震災後は、被災地に知り合いがいなかったので、直接かお飲み得る支援ができなかったことが、非常にジレンマだった。「ああ、普段から友だち作っておけば、こういう時、直接存分に何かできたのに...」と。悔やんでも仕方ないので、全国に友だち作ろうプロジェクトを決行した。

直接被災地へ乗り込む、などということは当時の状況では、「余計な人間が殺到して迷惑してる」的な情報もあったので遠慮が先走り、まずは自分のつながりがある土地から~ということで、九州。祖母の家があり、父が生まれ育った場所でヒトに会うと言うプロジェクトをした。

「つながり合っていれば、助け合うこともできる」「緊急時とは、日常の延長線上でしかない」そう痛感した昨年の自分であった。なので、日常のおせっかいつながりを、もっと積極的にしかけて行くことにした。超・回り道的でしかもささやかな 自分なりのact for japan活動。

それらは、全部つながって、昨年の活動となっている。一見、何の脈絡もなさそうで、一見お気楽に見えるかもしれないけど、だけど、自分の中の動機と目的は一緒。act for japan。自分が誰かのためにできること。

英語でクリエイションWSも、九州草の根ツアーも、海外レジデンス研修WSも、グループ作品新作「スキマビト」も、小学校WSも、全て、同じ気持ちでやっている。「act for japan活動=自分が自分のスペシャリティを使って、誰かのためにできること」


それらの活動以外に唯一、被災地と直接つながれたプロジェクトがある。しかも、ダンスとは関係なく。「友人の友人宅に救援物資を送る」という間接的な関係の、会ったことのない誰かのために、自分の身の丈で工面できる物資を送るという、直接的な行為。

まだ震災後すぐは、何かしたい人が多くて、個人宅に大量の物資が送られ、炊き出しの助け合い等しながらの物資の選り分けや配布作業は、かなり大変な作業だったらしい。洋服の中にチョコレートが入っていて、溶けてドロドロになってしまったり、というありがたい気持ちが逆に仕事増やされちゃった~などという内輪話なども聞いた。

直接、電話して話をしたのは一度きりで、ガッツリ急ぎのものを送った後、あとは、ネット上で現地の情報を探りつつ、現状に必要そうなものや受け取る人の状況を想像しては、少しずつ、自分に無理のない範囲で 必要そうなものを、段ボールの中に集めていった。

夏が過ぎ、秋が過ぎ、数ヶ月後に必要そうな、最後の一箱。「もし、送られて迷惑だったらどうしよう」全部新品という経済力もないので、「中古品は失礼かもしれない」などと気をもんでいるうちに、年が明けてしまった。

それでも、折角集めたので、思い切って、被災地の方に送ることにした。「喜んでもらえるといいな~」という気持ちで少しずつ集めた物資だったが、送る時は「今更のタイミングで、迷惑じゃないといいなあ~」と遠慮半分の、祈る様な気持ちで、最後の1箱を発送。

この箱というのも、「どうせ送るなら、一番でかい箱を」と探しまわっていた時に、佐川急便の兄さんが、事務所で貴重品入れか何かの仕分けに使用していた箱を、工面して持って来てくれた、有り難い箱である。


そしたら、友人から電話がかかって来て「良いタイミングで必要なモノが送られて、被災地の友人が喜んでる」と伝えられ、ほっとした。いやあ、本当に良かった。うれしい。ありがとう。自分がモノを送って「アゲル」側のくせして、心から「ありがとう~」の気持ち。

しかも、送り先の被災地のその方は、町内会長をされておられるので、必要な物資を必要な人々に、適宜、届けることができる町の人との関係があるのだと聞いて、益々うれしくなった。

とてもうれしい電話だった。おせっかい&シェアプロジェクトをやり始めて数年になるが、直接的な物資でも、間接的な何かでも、いつでも自分の中の何かを人に差し出すたびに、こちらが逆に豊かな何かをもらっている。そういう実感が、どんどん増えて来ている気がする。


うるう年の日に、とってもうれしいプレゼント。



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  1. 2012/02/29(水) 22:50:33|
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英語でクリエイションWS ファイナルウィーク4日目 2012/02/29 4年に1回の日

snow


朝から雪の東京で、集中ファイナルウィークの真ん中、4日目。

天候の変化に弱い東京らしく、電車が遅れたり、救急車が呼ばれたり。

そんな中、朝のクラスでは、4日目の疲れた身体を回復させる

リラックス・ウォームアップクラスを英語で開催。


Yelenaも、雪で苦戦しているらしく、

到着が遅れたものの、先に今日のメニューをメールでもらっていたので

自主準備作業。

降板表作りには、ゆうこちゃんとさとこちゃんが大活躍。


Yelenaが到着してから、いるメンバーで通してみようということになったが、

半分もいかないうちに、床のツギハギで足を引っかけた人がいて、

急遽、床のメンテナンス。


雪はやんだものの、帰りは早い方がいいだろうということで、

早めの解散。


しかしながら、いろんな時間の合間に、いろんな細かい作業や準備や

お話諸々ができて、密やかに充実した1日でした。

これから3日で、ショーイングに向けて、

最後の追い込み作業が始まります。


どうぞ、お楽しみに!

candy
鳥取の手作り職人飴

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  1. 2012/02/29(水) 22:31:56|
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英語でクリエイションWS 2012年2月28日

英語でクリエイションWSファイナル集中ウィーク3日目。

今日の記録は、レポート係のさとちゃんがお休みなので、

残念なことに私の日記だけに 記されます。

午前中のウォームアップクラスには、新しく、女子大生のシズカちゃんが参加。

身体の準備を整えた後、振付を足してゆきました。

chair
椅子と踊る

Yelenaは朝のクラスの途中から来て、

しばらく クラスを見たり、

スタジオの片隅でパソコンを開けて作業したりした後、

いつもの隅っこで、静かにお昼寝。

まるいで、赤いマフラーがアクセントの

可愛いお人形さんのようです。

もちろん、図体は大人なので、普通にでかいけど。


お昼休憩で 日本語女子トークがひとしきりした頃、

むっくりと起き出し、午後は彼女が中心になってのクリエイションの時間です。

リアクションの種類のエクササイズを動き中心で行なった後、

即興ベースでのリサーチワーク、「モンスター」や「椅子」をやりました。

あっという間の時間。

今日の即興ワークでは、皆さんそれぞれ、

何かが一つ、花開いたかのようでした。

良いメンバーだ。。


終わり頃になって、今日、唯一の男子が登場。

ゆうこちゃんと当日パンフレットの打ち合わせなどして

大活躍です。

girls


まだこれから4日間+ショーイングの日、合計5日間、ノンストップは続きます。

体調に気をつけて、最後まで皆で頑張って行きましょう~。


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  1. 2012/02/28(火) 21:27:41|
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英語でクリエイションWS 2012年2月27日

ファイナルウィーク連続8日間2日目。

昨日は東京マラソンで、道路を横断できず、

自転車と大荷物を抱えて、歩道橋の階段を上り下りするという

予想外のスタートだったが、

今日は、平穏無事な月曜日。


朝のクラスでは、振付けを進めた。

午後からのYelenaのクリエイションでは、

あくまでも日本語通訳はしないし入れないで

森下スタジオにいながらにして、海外体験をしてもらうという主旨なので

補足説明も質問も、全部英語のみ。


語学力があっても、創作の過程は、奇想天外で謎が多いのが常。

日本人同士が日本語でクリエイションしたとしても、

振付家や演出家の言っている日本語の意味を

100%、誤解なく理解することなど不可能ではないか。


英語でそれをやっていて、そうそう簡単にわかるはずがない。

しかし、わからないと思ってやっている分、

わかっているつもりの日本語より

実はちゃんとコミュニケーションが取れていたりする部分もあるから

面白いものである。


talk


毎回、Yelenaが帰った後、日本語でミーティングをする。

英語での情報や、自分の感想や発見を、

改めて言葉にして、共有し合ったり、

わからなかった部分の確認をし合ったりする。

こういう、フィードバックというか、振り返りの消化の時間を持つことは、

実はとっても大事で、これをするとしないとでは、

自分の中へ吸収される度合いがすこぶる違って来る。


girls



自分の経験から言うと、

思い切って外国に飛び出した後でも

しばらくは、やはり、

今と同じ様な時間の過程が待っている。

ただし、今のように、後で確認し合ったりできる仲間がいるとは限らない。



だから、この機会に、たっぷりと英語の海に飛び込んで

ステキな作品を一緒に作りつつ、

自分なりの将来の可能性を

開いて行ってくれたら、こんなにうれしいことはない。

この日に考えたもう1つのこと【生きる】←






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  1. 2012/02/27(月) 21:40:27|
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生きる

生きるということは、どういうことか? どういう現象か? 生命体としての生、人間としての生~生き甲斐とか、あるいは科学的 技術的 社会的な部分でも、システムとして機能してるかとか、いろんな切り口から考えられることだけれども。

「生きるって、どういうことだと思いますか?」という質問に、私たちは、どう完結に単純にわかりやすく、答えることができるだろう? 私たちにとって「生きる」って、どういうことなんだろう?

植物人間でも、呼吸をして、心臓が動いていれば、生きてるわけで、家族にとっては、それでもいいから生きていて欲しい、という気持ちもあるだろうし。立派に社会的に活動していても、感情的な面で自分の揺れをブロックして、ぴくりとも動かなくなてしまったような人もいるだろうし。

物質的には何不自由ない生活をしているようで、「全然生きてる実感がない」などと空虚を抱えている人もいるだろうし。逆に、今食べるものもなく、生命体としてギリギリの限界ラインで、かろうじて生き延びてるような状態の人もいるだろうし。「生きる」の定義付けは、難しい。

1つだけ、何についても共通している「生きている」時の現象がある。それは、

「生きているということは、動き続けている、ということ」生きる=動くなのだ。

身体は動かなくても、心は動く。あるいは、血流や呼吸器官は動き続けている。物体として、空間を移動する。感情が揺れる。電流お受けて、システムが作動する。あらゆる【生】は【動】を起こし続けている。

「生きてる」実感が欲しくて、恋愛など、ドラマチックな人間模様を引き起こす傾向にある人もいる。仕事をやり続ける人もいる。食べ続ける人もいる。ストイックに身体を鍛え続ける人もいる。人それぞれ、いろいろなやり方で、生きている限り、自分の何かを、動かし続けている。

「動く」ことを、内側からも外側からも、もっと創造的、発展的に進化させて、それを共有できたら、「生きる」ことはもっともっと楽しくキラキラとしたものになるかもしれない。そんなことも考えながら、今日も、ダンスの現場に向かう


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  1. 2012/02/27(月) 21:27:54|
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英語でクリエイションWS 2012年2月26日

さて、1ヶ月ぶりの再会。

今日から8日間連続ファイナルウィーク。

yelenaの方も、忙しい合間に気合いを入れて、

ショーイングのための 手作りのフライヤーが突如として、完成した。
flyer


「動きと言葉」、「英語的思考と日本語的思考」、

決まった台本がない中で、

こうした抽象的な創作作業をするにあたって、

フライヤーを作ったり、テキストを考えたり、

という一連の制作的な作業をしながら

作り手の中のイメージが熟成されてゆく。



今回の創作作業は、WS 受講者と私たちの共同作業。

英語の壁と闘いながら、明快な答えのない探求としての

身体や言葉を使った実験や試行錯誤が繰り返されてゆく。
task


この一連の作業の面白さと難しさは、

誰にとってもおそらく同じことで、

英語力が堪能だからとか 逆にできないからとか

舞台人としてのキャリアがあるとか ないとか

人生のキャリアがあるとか ないとか

そんなことは あまり関係ない。

自分が持っているものを最大限に駆使して

?部分の空白を埋めてゆく作業でもある。


見当はずれなこともあるし、

良い感じのこともある。

しかしながら、そのどちらもが、

その真剣さにおいて

パフォーマンスとしては 実に面白い結果となる。


一言で言ってしまえば、

見るのもやるのも、

「いろんな意味で、いろいろに考えさせられ時間」


それが今回のWS & showingの最大の【売り】かもしれない。


bakauke
石川県から参加のダンサー2名、南&東さんからのお土産

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  1. 2012/02/26(日) 22:21:58|
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機能を知ってオーダーメイドする

英語でfunctionという。「どういう仕組みの中で、どういう働きをするか」というようなことだと理解している。それを理解してゆくことで、自分なりにやるべきことがわかってくる。

身体のことでいえば、身体の各部位には、それぞれの機能がある。例えば、骨のつなぎ目=関節の形態によって、その部位の動きは制限されるから、それを理解することで、それに関連した動きをどう潤滑に進化させてゆけるか、自分なりに考えて実行することができる。

自分の身体を鍛えることの先に、どういう目的でどういう動かし方や状態を作りたいのか~それを踏まえて、身体作りのメニューは変わって来る。その身体を使って、何がしたいのか?その先の答えを明解にすることで、今やらなければならないことが、見えて来る。

例えば、ダンサーにムキムキの筋肉は邪魔になる。しかし、やりたい踊りの種類に寄っては、動かせるようになりたい筋肉や質感など、微妙に変わって来る。野球とサッカー、陸上など、やりたいことによって、今なすべき機能改善のメニューは変わる。

万人に共通の機能改善のメニューなど、本来は存在しない。一般人として、健やかに生きたいだけだったとしても、子どもを抱き上げる生活なのか、デスクワークが多いのか、買い物は自転車なのか車なのか、個々に、必要とする身体の機能は微妙に異なるからだ。

自分が求めている生活、身体の状態を思い描くこと。それに必要な身体の機能を鍛えるメニューを考えるために必要な、身体の機能や仕組みを知ること。この2つは、案外、簡単なことなのだ。身体の機能は、何千年もの間、それほど変わってはいない。

西洋的な学問では、機能や仕組みを分断させて理解し、治療に使われて来たけれど、日本やアジアでは、統合的なバランスの中で、全てを捉えて流れごと改善してゆくという考え方で機能を捉えている傾向にある。その両方を自分の都合の良いバランスで取り入れていったらいいのだ。

「自分の身体の一番のドクターは、自分である」子どものように、直感的に自分の身体を守ることもできるが、大人になるにつれ、雑音が入って来るので、自分の身体に関するいろいろな情報を取りに行くことで、それは可能になる。

自分の身体に関して、「わからないから」と他人任せにしてしまうことは、折角持って生まれた身体の機能の一部を 放棄してしまうようで、勿体ないと思う。答えは、自分の身体の中にあるのだ。身体の声に耳を傾けよう。

他の誰かと、そっくり同じ~ということは、物理的にも無理な話。自分の身体の収めどころを、自分なりに把握して、ベストコンディションの調整をする。これはきっと、身体作りに限らず、生き方やその人の役目なんかとも通じる話かもしれない。自分の機能を知ることからまず、始めてみよう。


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  1. 2012/02/26(日) 22:08:56|
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外人から知る日本考


日本人に生まれて良かったな~と思う。食べ物はおいしいし、温泉がある。義理人情は面倒くさいこともあるが、それでも尚、やはりそれは、温かい。

3.11の後、日本に来るのを止めた外人もいるが、「2週間位なら平気」と、来たがる外人も多い。来ると皆、一様に「穏やかで美しい国」と賞賛する。



あれだけの揺れを経験して、もはや多少の地震でもびくりともしない人も多い。外国ならば避けられないであろう、訴訟を起こして賠償金を東電に請求する、ということより「食べて応援」する人もいる。あくまでも、平和的自主解決志向が蔓延している日本。

東京の経済は、今まで通りの日常業務に追われて、黙々と仕事をしている人々で支えられている。放射能汚染による将来の自分の健康の心配より、目の前の集団生活を遂行させることを優先する日本人達の姿に、外人は驚き、賞賛する。「自国では考えられない」と。

「もしこの放射能問題が 自国の出来事だったら、暴力沙汰の抗議運動になるか、あっという間に逃げて、誰もいなくなるかだ」という言い方をした外人もいた。決して人を責めない、穏やか解決が貴重の日本を美化し、美しいと褒めたたえる外人。

その日本人特有の、平和的志向、長いものにはまかれろ的姿勢が、悪い方にいくこともあるのだが...と思いつつ、しかし、その部分は日本を美化する日本好きな外人達に、上手く説明できないのが、非常にもどかしいが、、、。



しかし、食文化の高さ、住環境の心地よさ、人間関係の温かさ、という様々な面において、やはり日本は賞賛に値するんだろう。日本で当たり前のことが、外国では、説明してわかってもらうことすらできない場合が多々ある。

その奥ゆかしさが、拝金社会に飲み込まれて、失われつつあるというのも日本の姿の一面ではある。どれだけ人間的に素晴らしくても、お金が立ち行かなくなって頓挫するというケースはこれまでにも多々見られる。古い個人商店が高層ビルにすり替わってゆくのは、世界共通の事象だ。



ユートピアでは決してない日本。しかし、精神性の高さや集団創造力の高さは、戦後の歴史の中で随分、損なわれて来てはいるものの、世界諸国と比べると、実は俄然、高い方だと言える日本。欧米至上主義の波をかぶり、自らの持つ能力への自覚がないのが残念だが。

今一度、自分達のいる日本社会と海外諸国の社会を、思い込みや劣等感、過度の愛国ではなく、シンプルに冷静な目で見比べて、自分達の世界での立ち位置を、1人1人が自覚できればいいのに...と切に思う。特別な誰かだから、ではなく、1人1人の庶民レベルで、それが必要。

今まで、個人と集団、社会と自然、が日本ならではの思いやりとバランス感覚でつながって来たことは、私たちにとってはごく自然な当たり前のことだけれど、外人から見たら、奇跡的な 信じられないことでもあるらしい。


10年前までは「フジヤマ、サムライ、ゲイシャ」。今は、ユートピア的な美化。
欧米人の潜在的な部分では、意識・無意識に関わらず、長年すり込まれている民族差別意識もあるだろうし、
ここ数年見られるオリエンタルブームは、怪しげな「FUTON」ショップや似非土瓶(もちろん中国製)といったプロダクトで産業として消費されているし、
外人の日本への憧れや印象には、やや疲れることもあるが、それはそれで、日本の持つ一面ではあるのだろう。


いろんな視点で世界を見る。それを皆がしていったらいい。
英語でクリエイションWSも、そんな気持ちで始まった。
明日から、スタート。英語的思考と日本語的思考の架け橋を、
受講者それぞれが見いだしてくれたら、
それでもう、大成功だと思っている。

英語でクリエイションWS
http://odorujou.exblog.jp/








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  1. 2012/02/25(土) 09:11:23|
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答えは身体の中にある~残すもの

「今年一杯で、自分の寿命が尽きるとすれば、何をやりたいか?」そういうことをいつも考える。何をgetしたとしても、あの世に持って行くことはできない。モノや功績やお金は、死んだ自分には何の関係もなくなるだろうから。

となると、この世に残って生き続ける自分と関わった人々に、何を残せるか? 何をあげられるか? どんな体験や考えや感覚をシェアできるか?~ということを考えるに至る。

モノやお金は現世を生き抜くのに必要不可欠な要素だけれど、それは、幻の様なもので、あの世とこの世の間を渡して、持ってゆくことはできない。持って行けるのは、感覚や思い出、記憶や体験、といった目に見えないものだけだ。

人間の寿命なんて、地球や宇宙の時間の流れに比べたら、瞬きほどにしかなくて、それでも、その小さな瞬間の積み重ねが、地球という時間を作っているのだとしたら、あながちいい加減にもできない重要な一片を担うわけでもある。第一、自分にとっては、かけがえのない人生なわけだし。

自分の身体で体験する、一度しかない人生が、いつまでも続くわけではない。明日、終わるかもしれない。来年はもういないかもしれない。そんなことがあり得るご時世。今の自分が選択する行動を、大事に検証し、選んで行かなければならない。

「こうしなければならない」という道筋は、本当に、その通りなのだろうか? それは、自分が本当に大事にしたいものを、大事にすることにつながっているのだろうか? 世の中には、矛盾している道筋が、あまりにも多い様な気がする。「大事にしたいもののために、仕方ない」というような。

もし、矛盾しているのだとしたら、本当に、道筋は、他にあり得ないのだろうか? 私たちの創造力をもってしてでも、道筋はたった1つだけなのだろうか? 方法論に振り回されず、根本から、大事なものとそれを守り進化させる道を、問いかけ、創りだしてゆくことは、不可能ではない。

私たちの短い寿命の中で、あまりにも、矛盾に満ちた選択肢を強いられすぎているような気がしてならない。創造力を専門とする芸術分野においても、それが普通常識になってしまっているのは、どういうことだろう?どの分野よりも、創造できる人達であるはずなのに。

本当に大事なものは、見えないものであり、人生が終わるとき、あるいは終わった後に残るものは、見えないものを共有した記憶だけではないか? 残された人々がそれを思い出している限り、それはそこに存在し続ける。

本やメディアに残された記録や功績でも、もちろん、残るだろう。その言語やメディア技術を有する文明が存続する限り。しかし、それはもはや、個人的な体験や記憶ではない。記号としての莫大な記録の中のほんの小さな一片でしかない。否定するわけではないが。

個人の記憶は、DNAに刻まれて、つながってゆくのだとしたら、私たちの固体の中には、これまでのありとあらゆる時代の記憶が残されている。おそらく、地球史と同じ位。


その一片の情報追加をする。自分の寿命というささやかな時間の中で。きっと、どんな小さな自分の選択も、そこに残される。その選択が、希望と幸せに満ちたもので合って欲しいと思う。

で、自分の寿命がいつまでか、その限られた時間の中で、自分にできることを、とにかくやり続ける。誰かにコントロールされた誘導情報ではなく、自分が気がついたこと、考えたこと、感じたこと、それが答えだ。







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  1. 2012/02/24(金) 17:13:00|
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身体の声を聞く。与えられる製品を検証する

アメリカ生活を2年半している間に、蕁麻疹の肌トラブルが発生した。医者に行っても、塗り薬をくれるだけで、原因不明の蕁麻疹。その後、アメリカを離れても、時折思い出したように、ずっと続いている。

「ストレス」とか「水」とかそんなことを誘発要素に医者は言うが、アメリカからマレーシアを経て、日本に帰って来て、ストレスレスな生活をしていても、トラブルは完全に治らない。もはや、ライフスパンでの疾病だ。

日本の医者も、塗り薬。加えて、抗アレルギー的な飲み薬も出してくれる。しかし、何回か服用しても、かゆみの症状は改善されないので、飲むのもつけるのも、止めてしまった。

痒い時に素手で掻いていては皮膚が損傷してしまうので、ベビーオイルを使ったりしたこともある。しかし、ベビーオイルの成分には、副作用の危険のあるものが、わざわざ含まれている、と最近、気づいて、これも止めた。

何故、赤ちゃんに使うベビーオイルに、わざわざ副作用の危険のある成分を使うのか? 市場で売られている製品の広告やイメージを鵜呑みにして、購入、使用してしまうことの危険性を感じる

その薬は、本当に必要なモノなのか?その製品は、本当にその形態や成分でである必要があるのか? 自分達が手に取るもの、口に入れるもの、1つ1つについて、検証するということを、私たちはすっかり他人任せにしてしまっているのではないか?

「自分の最良の医者は、自分自身である」という言葉がある。1人1人の身体は違っていて、その全体調整の進行形としての健康や疾病があるわけなのだから、本当に自分に必要なことを直感的にわかっているのは、他でもない、自分自身なのだろう。

これからもし、癌が増えるのだとしたら、それは、ライフスパンでの疾病ということになる。完治できる病気ではないのだから。疾病と共存しながらの人生を送らなければならない。その選択肢は、様々で、自分で選べるのだ。自分と自分の病について、勉強しさえすれば。

医者から与えられた処方や治療が、本当に自分に合ったものかどうか、他の医者に相談できる、セカンドオピオンという制度もある。そういう選択肢を見つけてゆく 時間と手間を惜しんで、自分の人生を、他人任せにしてしまうのは、本当に 勿体ないことだと思う。

「甲の薬は、乙の毒」という言葉もある。誰かに効いた薬も、他の誰かにとっては毒にすらなり得る。それ位、人の身体の調整は、微妙で繊細で個々、異なるものなのだと思う。私たちは、日々、自分の身体の声に、耳を傾けなければいけない。

「身体回帰」の時代は、「自分回帰」の時代でもあるのだろう。答えは常に、外から与えられるものではなく、自分自身の中にある。






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  1. 2012/02/23(木) 09:56:48|
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2011年度パフォーマンスキッズ・トーキョー

2011年度パフォーマンスキッズ・トーキョー

キラキラと温かい
宝物の時間でした


多摩市立の小学校5年生特別授業 メイン講師
発表:2012/02/18(土)
ミルナルミル-ツルルル マルキ~見えない国のじぶん星人のお話
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1922.html
子ども達へのプレゼント:修了証書、作っちゃいました。


八丈島
八丈町立の小学校6年生学芸会ダンス指導(松本大樹アシスタント)
発表:2012/02/05(日)
ユタと不思議ななかまたち
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1896.html
子ども達へのプレゼント:発表のメイキングビデオ映像、作っちゃいました。





練馬区の小学校
特別授業
2011/11/01
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1822.html









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  1. 2012/02/22(水) 22:26:01|
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小学校発表のためのテキスト パフォーマンスキッズ

ミルナルミル - ツルルル・マルキ ~ 見えない国のじぶん星人物語 ~


1.ひみつのじゅもん
  東京のある小学校には、ひみつがあります。
 ここで日曜日の朝、じゅもんをとなえると、見えない国へのとびらが開くのです。
 さあ、みんなで、じゅもんをとなえてみましょう!
 「ミルナルミル - ツルルル・マルキ!」
 あれ?うまくいかない? 
 じゅもんをとなえるとき、じゅもんダンスを忘れていませんか?
 さあ、もう一度。
 「ミルナルミル - ツッルルル~・マァルキ!」


2.見えない国への冒険旅行
  1人ではできないことも、友だちといっしょなら、できる!
 見えない国へつづくエネルギーの道を、
 友だちといっしょに進んで行きます。
 友だちの身体といっしょに、自分の身体もちゃんと連れて行きながら、
 見えないものを一緒に運べた時、 
 冒険の旅はできるのです。


3.じぶん星人のことば
  さあ、見えない国につきました。
 見えない国には、自分だけのことばを話すじぶん星人がいます。
 じぶん星人のことばがわかるようになるためには、
 見えないエネルギー・レベルを合わせるのです。
 そして、じぶん星人のことばをしゃべるためには、
 世界にたった1つしかない自分の身体を使って、
 自分だけのやり方で動かす練習が必要です。
 だれとも違う、自分のポーズや動きが、
 じぶん星人のことば だからです。


4.じぶん星人の社会
 じぶん星人は、1人1人、だれもが、何もかも、わかるのです。
じぶん星人の社会では、誰からのコントロールもなしに、
エネルギー・レベルが、ゼロから100%まで、みんなで自然に変えられます。
  海の波や月の満ち欠けのように、大きく美しいエネルギー・シフトの波の中で、
じぶん星人は 生きているのです。


5.さようなら
 さあ、帰る時が近づいて来ました。
いつでも、始まりは終わり、終わりは始まりに続きます。
 ゼロでつながった時に、2つの国のとびらが開くのです。
この間にいると、両方の世界を同時に見ることができます。
 さて、さよならの前に、じぶん星人のことばを教わったお礼に、
私たちは、何をあげられるでしょう?


6.ただいまとありがとう
 冒険の終わりにもどってきたのは、いつもの小学校です。
一緒に冒険をした人だけがわかる、
 見えないおくりものをもらって 帰って来ました。




小学校5年生の発表のために書いたテキストです。
JOUとみんなの秘密の台本。

これをもとに起こしたダンスの身体と時空間は、それはそれは美しいものでした。
キラキラした、あったかい豊かさで満たされた時間でした。


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shougakkou WS2012←





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  1. 2012/02/22(水) 19:04:58|
  2. 学校/WS
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現場

人が来ようが来まいが、現場は進んでいかねばならない。いかなる理由においても、例え自分がいてもいなくても。遅刻や欠席に理由は必ずあるものだけど、理由に関わらず、現場は進んでゆく。

何があっても進めなければならない。そういう現場に人を集める時は、「遅刻厳禁です」と言う。わかっている人は、集合時間の30分前には遅くとも、集合場所には来ている。あるいは、近くで時間をつぶしている。

電車が遅れたとか、事故や悪天候での遅延も含めて、言い訳したところで、何もならない。現場を進めるために、何があっても、時間に行けるように、自分の動きを設定しておく必要がある。

もし、自分に持病がある場合、あるいは交通手段の不可避の欠航が予想される場合、自分なりの対処をしておく。万が一の時の代理人をたてておくとか、身体の状態を、万が一モードに備えて調整しておくとか。

自分自身、いろいろな怪我や持病で、身体の具合は万全とはいえない状態。しかし、自分の身体状態との折り合いのつけ方や、限界越えを回避するタイミングや抜き方なんかも、随分とわかって来たので、それらを駆使して何事もないかのように、仕事をさせて頂いている。



例えば、今後の未来社会においても、放射能の影響があったとしてもなかったとしても、現代社会において、これからもっと、持病持ちの人が増えて来る可能性はある。精神の持病だったり、身体の持病だったりするだろう。万全ではない状態の者同士が現場をつなぐとき、それは個々の調整力が必要となるだろう。

予想される最悪の状態をお互い共有し、助け合うことも解決策の一つだろうし、自分の状態をよく知って、自分なりの対処術を駆使することは、誰にとっても必要な生きる能力の1つになるだろう。何があってもなくても、現場は進んでゆくのだから。


そして、現場で働くのに必要な情報は、待っていても与えられない。
自分で取りに行くしかない。




現場は、航海中の船と同じだ。船員が足りていてもいなくても、やるべきことをそれぞれが、補い合いつつやり続けなければ、あっという間に、船は沈んでしまう。できなかった言い訳など、沈んでしまった後では、何の役にも立たない。

できてもできなくても、全力を尽くしてやるしかない。それが現場なのだ。「これは自分の仕事ではない」とか「気がつかなかった」「知らなかった」とか「具合が悪かった」とか、そんな理由で、自分の乗っている船の舵を手放してしまったら、船は沈み、死ぬだけだ。

もしどうしても、自分の仕事ができない状況に追い込まれたら、すぐに代わりの人間を頼む。そして、現場を動かし続ける。船の舵を手放してはいけない。何があっても。そういう心意気と能力のある人間だけが、現場に必要とされる。


自分なりの理由で、簡単に舵を手放してしまう人間は、現場には必要とされない。できるかどうか、ではなく、そこまで必死でやる気があるかどうか、やる気に比例して、動けるかどうか、なのだ。手加減してる余裕などない。

自分なりの立場を理解し、その立場でやるべきことをやり、把握すべきことを把握する。
「まだ覚えてません」「準備時間がなかったので、まだできていません」なんてあり得ない。

そこまで自分を追い込んでやり遂げたとき、自分の能力も、いつの間にか引き上がっている。"できる""できない"じゃなく、100%その現場に自分の意識と能力を集中して、全力を注ぐ作業。そこに、疑問も不安も言い訳も必要ない。やるべきことを、どうにかして、やるだけ。



大の大人が、精一杯、惜しみなく自分の能力を全開にする場所。それが現場だ。自分の腕が疲れたからと言って、自分の赤ん坊を落とす親はいない。自分は泳げないからといって、落ちた海で泳ぐのをあきらめたら、死ぬ。
知識や経験や能力に関わらず、やるべきことをやるしかない。
現場とは、そういう状況に近いかもしれない。


自分が疲れたからと言って、運転中の車のハンドルを離して眠ってしまう運転手はいない。そういう状況が、現場で働くということなんだと思う。できなければ、わからなければ、人に聞く。聞きながら、やり続ける。わからないことは恥ではない。わかったふりして動けないことの方が恥。

現場を必死で動かしている人達は、言い訳はしない。自分の立場なりに、やるべきことを次々と見つけ、情報を共有し、聞き合い、察知し合い、自分にできることを次々とこなしてゆく。その現場が何のために、何処に向かっているのか、把握しながら、仕事は進む。

現場で迷った時、人に聞けない時、「その現場が何のために起こり、どこに向かっているのか」という最初の起点の情報に戻ると、たいてい答えは見つかる。常日頃、自分で考えることをしている人にとっては、簡単な作業だ。


常日頃、マニュアル通りに盲目的に従う行動をしている人にとっては、荒波の海に放り出されたような途方に暮れた気分になるだろうけど。自分が関わっていることの背景や起点を常に把握しようとする能力は、現場を生き抜く上で、重要な要素でもある。

現場とは、言い訳の聞かない仕事の場でもあるし、人生でもあるし、今の日本そのものでもあるかもしれない。私たちは、同じ船の乗務員なのだ。自分に関係のないことなど、1つもない。自分の乗っている船の舵とりを、いかなる理由においても、決して手放してはいけない。







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  1. 2012/02/22(水) 08:40:49|
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仕事考

ダンスを始める前、OLという立場で会社の中から社会を見れたこと、本当に良かったと思っている。ホテルやゴルフ場を取りまとめる部署だったので、地域の事業所の支配人や総務担当者と本社の各部署をつなぐ役目だった。その頃から、つなぐ役目は好きだった。

1つの事業所の各部署に、何人の従業員がいて、社員は何人、派遣は何人、バイトは何人...ということから、施設を建設するための稟議書を社長室に回したり、開業記念イベントに参加したり、後には部署が変わって、イベントの発注を某有名宣伝広告会社に発注したり。

お客様の声を社長室にあげる時、あるいは事業所から本社にあげる時、それぞれの過程において、人の手を渡る間に、情報はフィルターにかけられ、操作される、ということや、アンケートで名前を募集するのに、実は既に名前は決まっていたり、ということを目の当たりにした。

大手広告会社に発注した仕事は、下請け会社が実務をする。どうやら、個人で働いてる人達らしい、とか、素人の自分が何か文句を言えば、プロの担当者が従わざるを得ない、という構造とか、自分が当事者としてやってることなのだが...。その文句に、洞察力のある根拠が必ずしも伴っていない

組織の長となる支配人や副支配人、それらの事業所が頭を下げて頼って来る本社の各担当者、それぞれの方々を、個人的に知り、人と人として フラットにつき合える立場で観察できたことは、今の自分に沢山の情報を与えてくれている。それは、若い女子であったOLならではの特権かも。

自分でなんでもやってしまうタイプの人の部下は育たない。人の上に立つリーダー力のある人にもいろいろタイプがあって、でもおおむね、気配りができて良く気がつくけど、人に任せるのが上手、でも最後の責任はきちんととる、そして人望が厚い、という人が多い。

人の上に立つ人のリーダー力は、人間力、パフォーマンス力と比例する。仕事力があっても、人間とつながり、部下を動かすパフォーマンス力がなければ、大きな仕事はできない。

しかし、大きな仕事を予算の額の面から捉えたとき、予算の大きい仕事ほど、関わり方は希薄になる。何も大したことしない人が増える。結局、実際に 現場を動かすのは、小さな事務所レベルの個人的な会社なのだ。しかし、その実務レベルでやる場合、予算はもちろん小さい。

「やりがい」を予算の額、というスケールで捉えるか、「実際に自分が動かす」という実務レベルで捉えるか。大予算を決済する立場の人間の一言で、現場は右往左往するわけだけど、その人間は、何1つ、自分で動かしたり作ったりするわけではないのだ。

実際に実働する立場の人間は、大枠で仕事を捉える目線はない。目の前のことだけ考える。しかし、自分で実際に何かをやる、という充実感はある。発注元からの無茶な要望にも、応えなければならない。実働力はあるが、選択肢はない。

OL というある意味気楽な立場でそうした社会の仕事状況を観察したとき、その立場のどれも一長一短で、ジレンマを感じた。どっちもキツい。あとは当人の価値観の問題だが。大枠から予算を落とすだけの立場と、落とされた仕事をこなすだけの立場と。





会社で働く前にも、学生のバイトをいろいろした。デパートのマネキンという単発バイト。メーカーから派遣される形で、そのメーカーの商品を売るために、デパートに常駐する。私服の時もあるし、デパートの制服を着させられるときもある。

デパートの店員は、店の商品が売れればなんでもいいのだが、マネキン=メーカーからの派遣売り子~は、そのメーカーの商品を売らなければならない。だから、接客も自然と誘導尋問的にならざるを得ない。つまりデパートの売り子には2種類いる。というからくりを発見できたバイトだった。

郵便局の年賀はがきの仕分けバイトもやった。年末年始、つかの間公務員生活(当時は)。民間とは違う、公務員時間と独特の空気が流れる場所。自分はバイトだから数日間だけど、就職した人達は、一生この空気感の中で仕事するんだ~と思った。

某お菓子屋の工場でクリスマスケーキの生産ラインに立ったこともある。友だちと一緒に、徹夜の仕事だった。ケーキの上に、イチゴを並べる仕事。それが終わってしまうと、通常生産の商品も手伝った。イチゴとクリームをカステラでくるむ仕事。不器用な自分、実はかなり失敗してしまった。

小さなジーパン屋で売り子をしたこともある。小さな個人店。長年売り子をやっているバイトのおばちゃんがいる。デパートの店員出身のお姉さんがバイトの同僚で、イベントの衣装を買い付けに来たお兄さんとお姉さん、大人な出会いをしていた。個人店ならではの世界観とスケールがある。

喫茶店とかお酒の店とか、いわゆる水商売だけは、御法度だったので、経験していないが、友だちがバイトする銀座の店を覗きに行ったことがある。ああいうところで働くと、煙草がいろいろな局面での救済道具として、役に立つらしい。

社会を動かすおっさん達は、局面に応じて、様々な顔を見せる。飲み屋で、バーで、本社で、顧客を前に、取引先、部下、上司...。様々な光景や人間模様を、その時々の仕事を通して、見たり体験したりすることができた。

教育実習もしたことがある。先生になるつもりは毛頭なく、学校の先生の現場を知りたかったのだ。不純な動機である。しかし、現場では一生懸命に仕事した。実習の先生として、授業以外の仕事、学級通信作りとか、楽しかった。文章を書いて何かを伝えるのは 昔から好きなのだ。

学校の先生は、授業以外にも仕事が山ほどある。その部分を乗り越えられないと、本来したい仕事=教えるを継続することができない。授業計画は国から指示されるので、自分の専門外で未経験でも、とにかく教えなければならない。自分の授業も、完全に付け焼き刃の専門外だった。

しかし、知らない部分はごまかして、実習授業をした。冷や汗モンだった。生徒として、先生の不得意にあたってしまったら、本来伝わるべきものも、伝わらない。人間だから、得意も不得意もある。それを改めて知って、自分が生徒の時に感じた「?」がそのとき、やっと解決した。







若い女子的なエクスキューズでもって、社会のおっさん達と接する時、洞察力を働かせることができれば、いろんなものが見えて来る。若い男子よりたぶんそれは、ずっとやりやすい。その分、パワハラ、セクハラをかわすサバイバルも必要になってくるわけだけど。




一昔前は、女性が働き管理職になるということが珍しかったから、エラくなる程に男性化してしまって、女性なのに女性に厳しい女性管理職も多かったかも。メジャーに入り込んだマイノリティ程、マイノリティを差別する。これは、アメリカで発見したことだけど。
しかし、今は、働く女性同士でも、女子会的なつながり感も増えて来たのではないかと感じている。
痛みのわかる、余裕と魅力のある女性管理職に出会うことも多くなった。


大きな組織や会社における女子は、所詮まだまだマイノリティ。「結婚したらどうせ辞めるんだろう~つうか、辞めろよ」的なあからさまな視線はさすがに隠されたけど。おっさん達は、ジェントルマンだけれども、やはりどこかで、最後は"野郎の絆"に安心する。そういう世界を観察していた。

一方で、やはりどこか、女子力は必要なわけで、エラいおっさん達と日々、ボケをかましつつ接しながら「OLって、癒し係&つなぎ係なんじゃん、結局」的な自覚でもって、しかし、仕事の大局からは目をさらさず、一生懸命に働いていた80年代だった。そういう時代だったんだろう。






どんな役割でもいいから、仕事をしていたい。その時も今も、そう思っている。その仕事が、社会的で創造的で、人の顔がちゃんと見えることであれば、ごまかしや嘘がない気持ちの良いものであれば、自分は嬉々として能力を全開にできる。それが理想。

人の顔がちゃんと見えるって、スゴく大事。その縛りの中で、人間として許されないことはやりたくない。顔の見える誰かのために、具体的な何かを、それが見えるものでも見えないものでも、創りだして渡すという作業をしたい。



自分をブランド化して達成できる仕事がある。多くはそれを目指している。でもたぶん、1人1人が、自分で考えて自分で選択できる、カリスマリーダーなんぞ不要になる位の意識に変われたら、その時やっと、人間は次のステージに行けるんだろうな。



今は、できる人の折角の能力が、ブランド化への仕事のために悩殺されちゃうから、勿体ないな~と思いつつ、まあ、そういう時代なのだろう。と傍観。今は、時代と時代の狭間。雇われ仕事は、若い人達にとって、今までの時代を知るために必要。ただし、そこに安住したら未来は変わらない。

というわけで、がんばれ、若者達! いろんな仕事して、それをしっかり観察して 洞察力を高めて、その情報を使って新しい未来を創造していってください。

「我々は、それぞれの立場で、闘う戦士、同胞だ。やるべきことをやるしかない。」と、ロシアのおっちゃんも言ってた。そう、そういう時代です。うかうかしてられない。そういう意味では、生きてる人は皆、同じ立場にある。



そして、
【仕事】を【役割】と置き換えると、もっといろんな普遍的なことが見えて来る。







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  1. 2012/02/21(火) 07:46:28|
  2. thoughts
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今の可能性

すっごく久しぶりに、citibankに行った。折角窓口に行ったのに、その場で働いている人は別の仕事をしていて、電話で手続きしてくれと言う。言われた通りにすると、窓口が進化していて、モニターで口座の操作ができる。TV電話みたいに遠距離の担当者と話をする。 

東京の高い家賃代と、お客様係の社員、電話応対の社員、スゴい人件費だな~。。TV電話のお姉さんの後ろは、垂れ幕になっていて、citibankの文字が並んでいる。TV電話の人は、都内である必要はないだろうから、どこか地方に電話対応事務所を構えているのだろうか?

働いている人達、個人個人には何の問題もないけれど、こうしたオフィスでこうした業務をし、お給料をもらい、オフィスにふさわしい洋服を買い、毎朝電車で通う暮らしを、もはや自分の中に見いだすことができない。そこに、顔の見える関係の中での、何か具体的なやり甲斐があれば別だけど。

顔の見えない誰かのための仕事はやりたくない。顔の見える誰かのために、一生懸命働きたい。

TPAMのトークセッションでいわきの人の話があったのは良かった。自分はパフォーマンスの準備があったので、ほんのわずかしか聞けなかったけど、海外の客人の耳にああいう、顔の見える形で話を提示できたことは、とても良かったのではないだろうか。

復興の問題、被災地支援の問題、まだまだ震災は終わってはいない。そこに利害や感情が絡んで、複雑な形相になっているように見受けられる。
顔の見えない組織や行政の話になると、途端に問題は複雑になり、収集不可能になる。

自分自身も、顔の見えない支援には、協力はしたくない。

そんな日本で自分ができることは、自分の居場所とつながりから、手を伸ばして、顔の見るつながりを作り合ってゆくことだと思っている。

顔の見えるつながりの中で、ダンスでできること。

舞台の枠に囚われずに、自分の能力を再編集してみた時に、
できることの可能性は、きっと
まだまだ、沢山あるはず。






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  1. 2012/02/20(月) 19:11:41|
  2. 日記
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Atelier ZOU-NO-HANA -Dance Work Shop Series- Vol.3

TPAM in Yokohama 2012 関連企画

象の鼻テラスWS
Atelier ZOU-NO-HANA -Dance Work Shop Series-
Vol.3
Odorujou「ライフ・ドローイング ワークショップ」


Odorujou Live Drawing WS

19th Feb. 2012 (sun)

2012年2月19日(日)
13:00~15:00 
 


会場:象の鼻テラス
access

TPAMPASS free

ダンサーの動きをスケッチしませんか?大人~子どもまで楽しめる洞察力を向上させるWS。
Come to join our WS event in Sunday afternoon.
Sit and watch our dance to draw your sketch on a paper.


organized by:JOU
performers: Independent Artists Japan(JOU、花輪洋治、青木尚哉、鹿島聖子、国枝昌人、MILLA、他- JOU, Yoji Hanawa, Naoya Aoki, Shoko Kashima, Masato Kunieda, MILLA, e.t.c.



ダンスやパフォーマンスを身近に広げて
わくわく感を生活に増やしてゆく
Odorujou idea workの1つです。

横浜の海とダンサーの動きを満喫しながら、
スケッチにいらっしゃいませんか?

This event is held for outreach dance and arts project.
let's make less border between stage performance and our daily life.
dance and arts could be with us every day.


http://www.zounohana.com/


詳細
http://www.zounohana.com/event/vol3_odorujou.html



photo1

photo2

これは、WSという枠で提唱していますが、
イベント自体が、Odorujou作品でもあります。
空間の中で、踊る人、描く人、描かれてゆく絵。
それを見る人。

全てが、作品の一部なのです。



積み重ね
回を追う毎に、壁に増えてゆく絵

ただ、無料でオープンスペースで踊っても、人は集まるし、見てくれるが、座って絵を描く人、踊って描かれる人、という作業時間の共有ができると、通りすがりの出来事が、主体的共有体験としての創造的な時間へと変換する。

ここでは、通りすがりの子ども達とダンサー達が、いとも簡単に【創造的な共有体験】ができる。踊ることが、絵になって返って来る。見ることが、絵となって残る。

横浜の公園に遊びに来た、通りすがりの家族連れの子ども達は、「ダンスを見ながら お絵描きできる」という状況の中で、15分の間、画用紙とクレパスを前に座り、おそらく、生まれて初めて見るであろう、コンテンポラリーダンスの即興を食い入るように見ている。

そして、足が沢山ある絵や、踊っている線、マル...それぞれの方法で、私たちのダンスを描いてくれた。描いているうちに、線がどんどん、のびのび、イキイキ おおらかになってきた。

子ども達が絵を描き終わるまで、大人達も、その場を離れることができない。

ただ、無料でオープンスペースで踊っても、人は集まるし、見てくれるが、座って絵を描く人、踊って描かれる人、という作業時間の共有ができると、通りすがりの出来事が、主体的共有体験としての創造的な時間へと変換する。

その時間、通りすがりの子ども達とダンサー達が、いとも簡単に【創造的な共有体験】ができる。踊ることが、絵になって返って来る。見ることが、絵となって残る。

15分枠を6ステージ。ステージを重ねる毎に、描かれた絵が、壁に張り出され、増えてゆく。

見えない何かの共有と、それの視覚化が行なわれる、90分。

エネルギー
子ども達に見えているものは、形ではなく、創りだされるエネルギーだったりするのかもしれない



「私のダンスを見てください。買ってください」というTPAMの中で、「創造的な時間の共有」ができたこと、関係者だけでなく、一般の方も巻き込んでそれができたこと。つなぐ係の自分としては、大成功のイベントだったと思うし、Odorujou的「アートでつながる時間」をシェアできた。見えない何かを渡すことができた。

そうした時間演出こそが、Odorujou作品なのだと思う。

舞台上で上演される売り買いされる作品という枠ではなく、

クリエイティブな時空間としての作品。

「作品」の権利を主張するつもりはない。

今回のこの枠組みやアイディアは、いろんな人が刺激を受けて

心根を共有しつつ、広く広がっていけばいいと思う。

もちろん、枠組みを再利用する時に、

こちらに相談してくれたり、こちらも巻き込んでくれたりした方が、

きっと成功度は高いだろう。

理由は2つ。

Odorujou的ノウハウを活用できるという点においても、

それから、そういう筋の通し方をするプロデューサーの方が、

ハートのある良い仕事をすることが多い、

という確率的な傾向においても。




Odorujouidea workの根源は、

既存の流通の枠には当てはまらない、自分なりの創造の時間。

創造する、主体的創造的つながりを作る。シェアする。つなぐ。

自分なりの作家活動の原点。

ws
描く人、踊る人、見る人



今回のような時間は、ダンサー側にとっても

共同体としての方向性を伴った上で

つながり、一緒に時空間を創造するという、

通常のオムニバス公演やコンペティションでは、絶対に起こりえない関係を作りだす。

そうした共同体としての時間を共有していくことから

生まれて来る何か、というのも期待している。

私たちは、常に分かれて競い合う様な状況に追い込まれることが多いから。

だから、同じ問題を力を合わせて解決することなく、

それぞれの問題として、それぞれがバラバラに苦しんでいる。

同じ問題は、協力し合えれば、解決するはずなのに、

それがなかなか起こりにくい状況や環境が設定されている。

そこを変えていきたい。


ステージが進んでいくうちに、

参加ダンサーの皆さんの中でも

例えば、聖子ちゃんや花輪さんが

MCのフォローをしてくれたり、

青木君が音の面倒を見てくれたりした。

そういうゆるやかな共同体としての時間が

とても温かかった。




「人と【つながる】には、自分の中に、のりしろがなければならない」そんな話を、昨日の TPAMから三鷹天命反転住宅までの道のり、リトアニアのおっちゃんとも話したけれど、
のりしろを作る、のりしろになる、という創作活動をしているとも言える、Odorujou活動。





お父さんが、画用紙代100円を払わず、

絵を描きたそうなのに
描けなくなりそうな男の子がいたので、

100円を渡して、描いてもらった。

その子は、最初の線は 小さかったけど、

描いてるうちにどんどん線が、のびのびイキイキしてきて

最後には、迫力のある とっても良い絵を描いた。


壁に貼られた絵を、「持って帰りたい」と、

お散歩の後、戻って来てくれた。

「バイバ~イ、またね~」と手を振り合った時の笑顔が、輝いていた。




今回の母体となった、佐賀大学の学生達と一緒にやった

呉服万博でのオープニングイベント。

一緒に作った実行委員の学生に

「予算はないけど、ライフドローイングをやるので

横浜まで、良かったら来ませんか~?」

と、何度かメールで誘ったのだが、

何故か 返信もらえず、

こちらも忙しさに紛れて、

そのまま当日を迎えてしまったのが、

1つだけ残念なことではあった。

呉服万博2011オープニングイベント←




足
沢山動く足が、ちゃんと見えてたんだろうな...。




最後に、
OdorujouライフドローイングWS、

主催&会場となった象の鼻テラスに、心よりお礼申し上げます。


象の鼻テラスの母体は、青山にあるスパイラルホール。

長年、東京のアートシーンをリードして来た施設の1つである。

昨年の震災後、おそらく日本でも先駆けで

「アートの力」という被災地支援のチャリティイベントを行い、

私もアーティストの1人として、参加させて頂いた。
スパイラルホール「アートの力」参加blog←

震災直後、

「アートで何ができるんだろう」

と暗澹としていた自分に、

やるべきこと、やれることの場を作りだし、


参加させて頂けたことを、今でも

とても感謝している。


そのお礼の意味でも、何か自分のできることを

したいとも思っていたので、

象の鼻テラスという場所のもつ特性を活かした

今回のイベント、やらせて頂いて、本当に良かった。

スパイラルホール「アートの力」報告←

ダンス
「難しい」と言いながら、懸命に描いてくれた1枚。
沢山のダンサーが動いてるのが、空間にちゃんと見えてる!


このようにして、とりとめもなく活動しているようでいて
自分の中では、全部がつながっている。



そしてまた、毎回思うことですが、こちらから
恩返ししたようでいて、実は、
かえって、頂いたものの方が 沢山あるように思います。


今日は、ステキなのりしろが、沢山生まれました。

ありがとうございました。

しゅんく
のびのびとしたタッチで エネルギー溢れる絵


他にもまだまだステキな絵が沢山。

踊って、拝見して、

「ダンスって、いいな~」

「絵って、いいな~」

と改めて 心から思えた 豊かな時間でした。



さて、終了後は、三鷹天命反転住宅へ。

1日2つ。
かけもちdayです。
お誕生日スペシャルday。
music and dance live@三鷹天命反転住宅












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  1. 2012/02/19(日) 20:57:32|
  2. WS / Teaching
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Special Live VOL.4 @ 三鷹天命反転住宅 Mitaka

スペシャルライブ VOL.4 @ 三鷹天命反転住宅
special live vol.4
music and dance

日時 : 2012年2月19日(日) 
19th Feb. 2012 (sun)
会場 : 三鷹天命反転住宅 303号室

OPEN 16:30 / START 17:00 (2sessions)
in advance:2,800 yen at door:3,300 yen (with1dirnk)
定員:限定25名(先着順)

出演者performers:
石川 高 ( 笙 ) Ko Ishikawa
東京生まれ。宮田まゆみ、豊英秋、芝祐靖各氏に師事する。
雅楽団体「伶楽舎(れいがくしゃ)」に所属。笙の他、正倉院復元楽器である竿(う)や、雅楽の歌物でも高く評価されている。国立劇場公演をはじめとし、世界各地の音楽祭に出演。雅楽古典曲のみならず現代作品の演奏や、自主作品の演奏、improvisationも数多く行っている。

http://www.ko-ishikawa.net/

松本充明 (sound performance)Mitsuaki Matsumoto
1998年-2005年パリを拠点に活動。
live eletronics演奏、インスタレーション制作の他、特定の楽器を使った演奏も行う。即興演奏家との共演、コンテンポラリー・ダンスの公演での演奏も多い。
http://www.4-em.org

JOU (dance)
振付家。ダンサー。プロジェクトユニットOdorujouディレクター。コンテンポラリーダンス的身体とダンス的繋がりをベースに、文化や国を越えて 人やモノや場をつなぐ 草の根ダンス活動を国内外にて展開。http://odorujou.netにてweb日記更新中。2008年ソウル国際振付festivalにて外国人振付家特別賞受賞。
http://odorujou.net





music and dance
Special Live vol.4

@三鷹天命反転住宅 ( Mitaka Tenmei Hanten Jutaku )
Reversible Destiny Lofts MITAKA -In Memory of Helen Keller-


2012/02/19 (sun)


place :三鷹天命反転住宅 303号室
http://www.architectural-body.com/mitaka/

open 16:30
start 17:00

fee (1drink included):

Advanced: 2,800 yen

At the door: 3,300 yen

Architectural body live performance

Please come and enjoy to find the amazing place for the event, the 4th “Music and Dance Live” .which built by artists/architects ARAKAWA + GINS. with the concept “architecture against death”

performers:

Ko Ishikawa -Sho-music
Mitsuaki Matsumoto-sound performer, "audio-visualist"
JOU (Odorujou) dance



for more info. ticket
tel: 0422-26-4966
e-mail: info@architectural-body.com



access

Public Transportation Guide;

/Tokyo Station (JR Chuou Line) - Musashi-Sakai or Mitaka station (approx. 30min) - public bus (10-15min)

/Shinjuku Station (Keio Line) - Chofu station (approx.20min) - public bus (15min)

1,Musashi-Sakai station (JR Chuou line, South Exit) - Public Bus #91 (Track No.3) -Osawa bus stop

2, Mitaka station (JR Chuou line, South Exit) - Public Bus #51 (Track No.2) - Osawa-Jujiro bus stop

3, Chofu Station (Keio Line, North Exit) - Public Bus #91 (Track No.11) - Osawa bus stop

Taxies are available from every stations.



for more info.告知web←





横浜象の鼻テラスでの
ライフドローイングWSイベントを14:30、予定通り終わらせ、
15:11の電車に乗り、横浜から三鷹天命反転住宅へ移動。

TPAMの外人ゲストが1人、同行。

16:30に到着し、

ひと足先に、横浜の象の鼻テラスから 三鷹に移動していた映像の稲葉氏と合流。

17:00開始。

三鷹天命反転住宅と出会わせてくれた衣装作家のみっち~の衣装で
今日も踊りました。

1部は、音楽家2人による、音だけのセッション。

バンドネオンと笙なのですが、

どちらがどちらの音かわからなくなる瞬間とか

とても面白い。

繊細で浄化度の高い時間でした。


休憩を挟んで、2部ではダンスが加わり、トリオセッション。

先ほどまでの集団即興から一転、

1人の身体と2人の音。

時計を見ることをせず、

何か決め込むようなこともせず、

見えない流れに意識を合わせて、

最後まで泳ぎ切りました。

30分ちょい。

奇しくも、会場は、
昨年の5月に1週間滞在の144時間連続ustイベントをした場所。

新しい発見をしつつも、積み重ねた時間の流れを感じた何かがありました。

建物には、そこにいた人々の意識やエネルギーが

積み重なってゆくような気がします。

その地層の様な記憶の中に、

過去の自分の形跡も在った。

それがとても面白い感じでした。


深くて豊かでお茶目な時間でした。

仙台から遠路いらしてくださった方もいらして

「JOUさんスゴイ」

と喜んでくださった。

最後に、黄色い球体の部屋で、一緒に記念撮影をしました。





終演後、事務所に戻ると

お誕生祝いのシャンパンとお花が。

うれしかったです。

TPAMゲストの外人も混じって、いろんな話が咲きました。


昨日の小学校から引き続き、

豊かで温かくて輝いてる時間。

満たされている感じがあって、
全然疲れを感じないです。

ステキなお誕生日でした。

皆さんに感謝です。

ありがとうございました。


mitakajou






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  1. 2012/02/19(日) 09:28:06|
  2. 三鷹天命反転住宅The “Reversible Destiny Lofts MI
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多摩市立小学校5年生特別授業

多摩市立の小学校5年生特別授業
発表:2012/02/18(土)

ミルナルミル - ツルルル・マルキ ~ 見えない国のじぶん星人物語 ~

1. 2011/12/21(水)体育館 はじめまして!
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1868.html

2. 2012/01/11(水)体育館 授業の中で いろんなダンサーを子ども達に見せたい
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1897.html

3. 2012/01/17(火)特活室 1クラス1コマずつ 渡せば渡す程、返って来る ありがとう
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1912.html

4. 2012/01/25(水)特活室 1クラス1コマずつ 世界のダンスの種類
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1914.html

5. 2012/02/09(木)体育館 ほそぴーの生エレキ演奏
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1924.html

6. 2012/02/10(金)体育館 すごいぞ、子ども達!
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1923.html

7. 2012/02/16(木)体育館 いよいよカウントダウン
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1932.html

8. 2012/02/17(金)体育館
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1933.html

9. 2012/02/18(土)発表!
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1934.html


発表のための秘密のテキスト
ミルナルミル - ツルルル・マルキ ~ 見えない国のじぶん星人物語 ~
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1938.html


1つ1つの瞬間が、宝物だった。

今でも、温かい気持ちでつながることができる。







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  1. 2012/02/18(土) 09:31:15|
  2. 学校/WS
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小学校5年生の発表~宝物の時間

パフォーマンス・キッズ・トーキョー。アーティストを学校に派遣するプロジェクト。10回位のWSの中で、最終日にショーイングする。最初は「?」だった子ども達が、ぐんぐん変わっていって、発表は本当に感動的な時間だった。

学校が授業の様子を見せる、公開学校の1-2時間目を使って、1時間目にリハーサルとご父兄も混じってのWS、2時間目に発表をした。

私のOL経験とその後の観察から言えることなのだが、社会や組織の有能なリーダーには、必ずパフォーマンス力が備わっている。パフォーマンス力、ダンス力は、仕事力、人間力でもある、といえる。

【見えないイメージやエネルギー】を具現化する、ということがパフォーマンスであり、表現であるから。その具現化を、個人技でなく、共有し多くの人を巻き込めるのがリーダー力ということなんだろう。

【見えないモノ】を具現化することから、人間は、飛行機や携帯電話、といった自分達の暮らしを一変させてしまうモノを作って来た。ダンスには、モノを使わずに、【具現化と共有】を身体1つで道具を使わずに養う、という要素がある。

自分がやっているダンスを、子ども達のためにそう咀嚼し、【見えないものを一緒に作ろう】という提案をした。子ども達との作業の時間は見えないもので満たされた。キラキラして温かくて気持ち良くて、豊かな時間だった。

前日まで、子ども達のためにアシスタントしてくれたちろりんが、発表の日に、結婚式を挙げた。「式場のちろりんにも届くように、頑張ろう」と話したら、子ども達、本当に見えないエネルギーを、花嫁姿で披露宴中のちろりんまで、届けてくれたみたいだ。

1時間目の最後に、シーンの一部を、父兄も参加して、大人と子どもが混じってのWSのような形で行なった。初めての大人が混じっても、大勢の子ども達が包み込むようにして、すんなりとステキな時間が作れた。子ども力って、スゴイ。

ほんの少しの時間だったけど、ミラクルな瞬間だった。発表前の大人子ども混合WS。参加を躊躇する大人に、子どもから「面白いよ!」と声がかかったのがうれしかった。

先生の朗らかな声の明朗な進行MCに助けられて、2時間目が始まった。体育館に照明を入れて、子ども達のダンスの前に、私たちプロダンサーの前座即興ダンス。初めて見る方がほとんどだったんじゃないかな。皆さん、集中してみてくださった。

そのまま続けて、MCを入れながら、子どもパフォーマンスへつなげていった。子ども達のスイッチが入るのがわかった。大人数にも関わらず、見えない者をきちんとそれぞれ作りだし、共有している! 本当に美しい時間だった。

全体を探りながら、自分のやるべきことをする。そんな人生の極意を、15分のダンス作品の中で、しっかりと起こしていた子ども達。見ているだけで、ほかほかする良いエネルギーをイッパイもらった発表だった。




発表後の子ども達からの感想も、とってもうれしかった。「最初はわけわからなかったけど、やっていくうちにどんどん面白くなっていった」「見えないモノが見えるようになった」そう、それぞれが、お互いに感じ合うことができるようになった。生きる上で必要な能力。 

今の子ども達が抱えるであろう将来の社会問題は、生半可なものではないと私は予測している。でも、どんな状況にあっても、人間だけが持つ「創造力」があれば、きっと生きのびていける。そう思うので、【創造力】を身体の実感として、何よりも、伝えたかった。 

明日を生きる子ども達が「創造力」と「想像を共有する力」とを合わせ持っていたら、きっとどんな困難も乗り越えて、前に進むことができる。それは、今すぐでも、これから先も、ずっと、すり減らずに使い続けることができる彼らの財産であり、武器となる力。

それが確かに伝わった、と実感できた子どもWSだった。渡せば渡す程、自分も豊かになれるという、不思議な時間だった。 貴重な機会を頂いて、本当に感謝している。 子ども達を指導する素晴らしい先生に出会えたことも、本当に良かった。





子ども達と皆で作った「見えない国の冒険」は、まだ続いてる。見える人にしか見えないけれど、それは、確かにあるのだ。それはいつでも感じることができる人に、エネルギーを送ってくれる。 

大人でも難しいような課題を、どんどんこなしていってくれた子ども達の底力には、広がる可能性をみた。「見えないものを見る」は、言葉にするとオカルトっぽいけど、それは思いやりや気配りだったりもするわけだ。それができる人が増えたら、きっと何かが変わる。

自分の「創造力」クリエイティビティを使って、自分が大事にしていることを子ども達に伝える、という作業の中で、十二分に発揮できたと感じられた 充実感に満ちた時間だった。
1つ1つの出来事、一瞬一瞬の時間が、宝物の時間だった。

ありがとうございます。

みんな、また会おう!!






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  1. 2012/02/18(土) 08:12:47|
  2. 学校/WS
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発表前日の小学校WS

朝起きると、昨日の続きのいろんなアイディアや考えが、整理されて、ぽこんと浮かんで来る。寝ている間に、意識と身体がリリースされて、身体と無意識がつながるんだと思う。

「身体は、人類最大の資源である」と私は思っている。それを使いこなすには、身体と意識をつなげる必要がある。正確には、身体と無意識、かもしれないけど。

科学的にも、DNAの螺旋情報が説明されていて、それは莫大な量の情報なわけだ。身体が持つ情報に、どうアクセスするか? その糸口の1つがダンス的な身体なのかもしれない。

「答えはいつでも、自分の中にある」ということ、いつも言い続けている。これまで、自分の中の答えで、随分と助けられて来た。身体とつながっている自分の意識が、情報を「答え」という言葉にしてくれる。その道筋の作り方を修練する有効な方法の1つとして、ダンスを位置づけることもできる。ダンスの可能性は無限になる。

身体のことに携わっている人々は、今後ますます、重要な存在になってゆくだろう。自分のやっていることに、もう1つ開いた意識をつなげることができた時に、その有効な情報は、活用される。しかし、自分の中で収まっていたら、その情報は、どこにもいかない。

そんなことを徒然考えながら、さて、今日の任務に向かう準備をする。社会の宝物、子ども達に、自分の身体とつながるための情報を伝える時間。






昨日より4度高く、日差しもやや戻ったのだが、
やはり、体育館は寒い。

しかし、時間中は、寒さも忘れて、大の大人が揃ってもう、必死なのである。

今朝、明日、結婚式を控えた アシスタントのちろりんが、昨日に引き続き

参加してくれることがわかって、急遽、アイディアが。

「こんなタイミングで人生のそんなことが起こるのも滅多にないことだから、

子ども達にお願いして、お祝いのメッセージを書いてもらおう」

と同時に、朝、発表の配列表を仕上げる。

駅前で色紙とボールペンを買い、

電車事故やら何やらで

万が一遅れてしまってはどうにもならないので

集合時間の30分以上前には、到着するよう、電車に乗る。


多摩センターに、早々と到着。

同じく早く来ている 音名人のほそぴーに

構成のアイディアと音のイメージを伝え、


アシスタントのゴッドマザー MILLAに配列表の再チェックを頼み、

一足先に、1人で学校へ。

給食前の子ども達と先生に、秘密のお願い。

ちろりんが明日、花嫁さんになるということを告げると、

子ども達、皆、びっくりしながらも、目を輝かせた。

ちろりんに内緒で、色紙にお祝いを書いてもらうお願いをする。

それと同時に、

「明日の発表を見れないちろりんに、今日の最後に、通しを見せたいから、

今日の授業は、皆で最後までできるように、協力して」

と頼む。


授業が始まると、最初はこぼれる子ども達もいたが、段々集中して来た。

「ほそぴーは、AKBの曲もカッコ良く弾けるけど、

見えない何かを感じて、それを音に知ることができる名人です。

まだ、皆の見えない何かは、うまく届いていないみたい。

ほそぴーに、見えない何かを、もっと伝えるようにしてみよう」

とお願いする。


ほそぴーのギターが壊れてしまったり、

いろんなことが重なる中で、

最後の最後に、半ば無理矢理、作品として通しをした時は、

実に感動。なんともいえないステキなエネルギーが生まれた。


本当に良い時間だった。

この、子ども達が今日作ることができた

見えないステキな何かを、明日、さらにパワーアップさせて

子ども達のお父さんお母さんにも、伝えられるよう、

最後の最後まで、自分にできることは何か、工夫し続ける。









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  1. 2012/02/17(金) 23:36:06|
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多摩の小学校5年生

今日と明日、連続2日間の小学校WS。2枠授業時間を頂いて、明後日の発表に向けて、最後の追い込み。子ども達に体験してもらいたいことは、見えない何かを作り、シェアするコト。

目に見えるものは、盗られたりなくしたりするけど、目に見えないものは、一生なくならない。自分の意識をそこに向けるだけで、いつでもそこにあるものだ。それを実体験として伝えたい。

ダンスという遊びの様な体験を通して、子ども達が将来の人生を切り開く時に、役に立つであろう、見えない何かを渡したい。ダンスの一部始終には、そのあれこれの多くが含まれている。

今日の子ども達、先週マスターした スタートのゼロを、すっかり自分のものにしている。全員が見えないエネルギーを揃えた風景は、とても美しかった。

身体も心も、イキイキと動き出して来た。自分のポーズ、動き、、、ステキなダンスがあちらこちらに生まれている。大人のダンサーである講師チームも、子ども達のために、気がつけば、惜しみなく、全力投球。

「こいつらのために...」と思わせてくれる魅力を、子ども達は持っている。そういう頑張りを大人にさせてしまう、という意味でも、子どもは社会の宝物なのだ。そしてその頑張りは、未来に通じているから尚のこと、とても気持ちの良い頑張りなのだろう。

「東京は放射能汚染で危ない」という考え方もある。子ども達のご両親が、どういう状況でどういう判断をされるか、それは家族の問題なので、私たちには何も言えないしできない。子の権限は親が持つ。それについては、自分の甥っ子や姪っ子でも同じことなのだけれど...。

その結果、これまで通りの生活をし続ける家族もいれば、西日本に移り住む家族もいるだろう。どういう選択をしたところで、生きるということには、何かしらの危険やリスクが伴うことだろう。

この先、日本の子ども達が、どれだけ健康で豊かな生活ができるか、それは誰もわからない。良くなっていくこともあれば、悪くなってゆくこともあるだろう。

いずれにしても、子ども達が生きてゆくために必要な情報を、私たち大人は、与えてあげなければならない。かつて、自分達が与えてもらったように。。。
与えられるのは、自分が知っていること、自分が持っているものだけ。 知らないことや持っていないものは、与えることができない。

私が知っていること、持っているものは、「自分や人とつながる」ということ。「自分で考えて自分で作る」ということ。「誰かのために何かをする」ということ。それらは、やればやるほど、自分を豊かに導いてくれた。

自分が自分でいられる限り、人は生きていける。それもかなり幸せに。誰のものでもない、自分の人生を。

そんなあれこれを、こっそり思いながら、ダンスをする。そんなあれこれがなくったって、本来、身体を動かすことは、楽しい、気持ち良いことだ。「生きる」ということは、「動く」ということだから。 私たちは「生きる」ために生まれて来たのだから。

さて、明日。子ども達との残りわずかな貴重でかけがえのない時間を、精一杯、力を合わせて、動くことにしよう。






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  1. 2012/02/16(木) 21:59:58|
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セルフの枠を越えて

ゼロセンターの坂口さんがTPAMでトーク中~自分は、今日の赤レンガ倉庫のギャラリーへ準備に行かねば~なのだが、10分ばかし、寄ってみた。

「今は皆、フレームの中でだけやってる。自分は常にフレームの外からの視点を持ってものを作る」ゼロセンター坂口恭平さん。

「でも、その大前提の前の話をしようとすると、引いてしまう人が多い」

今日のパネリストAiRのディレクターや、昨日の司会者の外人から話、公的助成金の話になった。これが入ると、お金をもらってる人達の言葉は途端に、歯切れ悪くなり、「バランスが難しいね~」 に落ち着く傾向にあるような気がしてならない。つまり、体制に向かって、ビシビシと突っ込みを入れることをしなくなる。
おのずと、両方の視点を汲んでの、マイルドな発言になってゆく。それが、長の立場の人の役割なのかもしれないが。

熊本でお世話になった坂口氏に、心の中でエールを送りつつ、トークの途中で、赤レンガ倉庫へ移動。

歩きながら、考えた。
「フレームの中の仕組みに乗っかってサバイバルしてる人達は、フレームが壊れたらマズイと思うんだろうな。それは確かに当たり前の反応だ。」

「フレームの内側と外側」という坂口さんの言葉、思考の可能性として、なかなか深い。





さて、赤レンガ倉庫では、自分より一回以上も年下のこれからの世代の皆さんと
肩を並べさせて頂いた。

上演の前の準備の時間に、アーティストとして活動してゆくこれからの道、

自分と自分のグループを越えた大きなフレームで

自分達の活動をアピールしてゆくことの効果、

なんかのアイディアを話したりした。

世代的に、呪縛の少ない彼らには、新しい仕組みを自分達で作り得る可能性がある。

そういうところに、有効な情報を落としたい、と思っていたので、

今日のギャラリーショーイング参加は、なかなか良い機会だった。


ダンスとしては、自分の中の試みをしてみた。身体と意識への挑戦。スゴく良い挑戦の時間だった。
TPAMで来日中のフランス人が観に来てくれて、とても良い感想を頂いた。
英語で直接、深い話ができるって、本当に世界が広がる。
この感覚をシェアしたくて、英語でクリエイションWSを企画実行したしもしているわけだ。

英語でクリエイションWSは、英語ができればいい、というのではなく、英語的思考と日本語的思考のブリッジを個々の意識の中に作ること。日本人として広く可能性を広げるためにも、創作表現活動にも必要な複視点だと思うから。

何をどうシェアするか、って、すごく大事。
どんかことでも、自分のところに抱え込み、利益の独占を始めた途端に、どんどん腐ってゆく。
循環の止まった身体と一緒だ。

そんなこんなの深い話、広い話を、その後、フランス人と英語で話し合った。
こういう話ができる人は、これまで本当に少なかったが、今、急速に増えつつある。
そういう人が増えて来たこと、そういう人のつながりが増えて来たこと、
これは、1つの希望の光だ。



今日の上演では、ソロの照明を、今年のダンコレで、フランス大使館賞を受賞した岩渕貞太君が助けてくれた。
以前、AASで稽古場カフェ店長を一緒にやった店長仲間。助けてくれる人がいるって、幸せなことだ。
本当に有り難い。実にイイ男だ。ありがとう...。

そういう自分は去年、何の縁もない美心のソロの照明を頼まれて、精魂込めてやってあげた。
自分が人にしたことは、いつか自分に返って来る、って本当かも。

そして、ショーイング最後の広島出身の大学生による、「心を開く身体のWS」
に、オムニバス出演の各チームのダンサーが全員舞台に上がり、
参加した。

オムニバス公演では、通常、自分達の作品に集中して、
同じ舞台上演するにもかかわらず、「ライバル同士」的な状況に追い込まれがちなのだが、
こうして、全員が協力して、
セルフの枠を越えて、
観客の前で、即興的に、コトを一緒にやった、
という、ささやかだが、
これは、実に画期的な出来事だったと思っている。

こういう場に居合わせたことができて、
とてもラッキーに思う。




いろんな意味で、ステキな1日だった。

イベント概要
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1928.html






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  1. 2012/02/15(水) 22:25:15|
  2. 日記
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15th Feb. 2012 showcase live performance@Yokohama

Yokohama Dance Collection EX 2012

2012/02/15 (wed)

Showcase Live performance

15 min. dance showing

@Yokohama Red Brick Wharehouse Number 1
2nd floor of the Red Brick Hall

1-1-1 Shinko, Naka-ku, Yokohama city, Kanagawa ken Japan zip:231-0001
Phone: 045-211-1515

for the showing place,
going through the photo space until the end

admission free

17:00-18:45


performers

1. 17:00 Aiko Kimura 木村愛子
2. 17:15 Kaori Seki 関かおり
3. 17:30 CRUSH THE TYMKS
4. 17:45 Kohei Takahashi 高橋幸平
5. 18:00 Misako Tanaka 田中美沙子
6. 18:15 JOU (Odorujou) - solo dance
7. 18:30 Mnami Kita 喜多真奈美


http://www.yokohama-dance-collection-r.jp/



2012年2月15日(水)

ギャラリーショーケース


@横浜赤レンガ倉庫1号館
 2F 写真展示 ギャラリーの一番 奥

入場無料

15分ずつのオムニバス・ギャラリー・ショーイングです。

18:15-18:30JOUダンスの時間。
今回は、ソロで踊ります。



この機会にぜひ、お越し下さい。

当日の日記
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-entry-1931.html






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  1. 2012/02/15(水) 17:42:14|
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TPAM in Yokohama2012

TPAM in Yokohama、オープニングに行って来ました。トークセッション、AiRーArtist In Residenceの国際ミーティング。日本人、少ない。外人の皆さん、日本で英語で会議してる。why are you here?という質問が頭に浮かんだ。

前回までのTPAMと比べると、縮小された感がある集まり具合。現地受け入れ国である日本人の関係者やアーティストが少なすぎる。というのが感想。高いお金の割にメリットは少ない、という印象が国内でついてる感じは否めない。

しかしながら、集まるということ、出会う場があるということ、これは良いことだと思う。受け入れ国のアーティスト達が、そうした場を、使いこなせていないという感じもある。おそらく、日々の活動に追われて。そう、だから、過去2年間、皆さんを誘って、シェアブースをしたのだった。

今年は自分の方の仕事のタイミングも影響して、シェアブースはオーガナイズしなかった。3年続けようと思っていたが、2年で終わってしまった。まあ、それも仕方がない。自分のクリエイション以外での無理は、できるだけしないようにしている。放っておくとどんどん無理しちゃうから。

TPAMショーケースは、トヨタアワードの皆さんのオムニバス公演だった。歴代のダンサーの日英の資料つき。これは良いアイディア。日本では、受賞してもその先の道がない、アフターケアがないのが常だから。

それにしても、いつものことながら、日本人ならではのチョッピーな感じ。しかし、日本でも、東で地震を経験した人と、西であまり関知しなかった人と。深いところで、何かが違うと改めて認識した今日だった。なんだろう、この感じ。

これはダンス云々とは全然関係ないんだけど、例えば、西から来たコンタクトゴンゾウは、地震警報のアラームを「初めて聞いた」と。3.11後、散々聞かされた東の住人のトラウマ感とは全然違う感覚。そういう発見が興味深かった。

ちょっと話をしてすぐつながる人と、全然違うレベルで生きてる人と。「全てのアートは、社会や人に、新しい可能性のairを起こすものである」という考え方を私はしている。 それが、自我やエゴで止まっている人と、もう少し広い深いところまで意識のレベルが進んでいけてる人と。様々。

創造力を使う仕事なんだから、もっと仕組みそのものまで創造しちゃう程の想像、しちゃおうよ~、と、その方向性、皆さんがそれぞれどっちむいてるのか、観察していた今日のTPAMであった。









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  1. 2012/02/14(火) 22:52:32|
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原発のこと、考えてみた

なんだか、私たち、問題をスルーして日々の暮らしにかまけているけど、原発問題。もし事故があったら、修復に近づくこともできないという施設。本当に、必要なのだろうか?

「エネルギーが足りなくなるから必要」「地球にやさしいから必要」と推進派の意見。エネルギーの供給は、原発以外には考えられないのだろうか? 事故で放射能が漏れたら人力では修復できない仕組みは、本当に地球にやさしいのだろうか? 教えて欲しい。

施設を受け入れした地域には、億単位の私たちの税金が、交付されるのだという。原発を動かすと、沢山の人に仕事が与えられて、お金が回るのだと言う。だから、これをつぶしたら、関わっている膨大な数の人々に、お金が回らなくなる仕組みになっているのだろう。

万が一、事故で周辺が放射能汚染された場合の想定地域を地図上で見ると、日本列島はほぼ全部、囲われてしまった。つまり、それだけの危険と引き換えに、私たちはお金を回しているということなのか?自分達の活動や生活のために。

放射能被ばくの影響は、すぐには出ない。出た時には、因果関係の証明はなされない。全員に必ずでるわけでもない。しかも、病気は特定の症状ではない。だから、被ばくの危険は、放置していても、おそらく問題とされないままで 終わる。

この先、原発を止めたところで、本当に止まるには、年単位の時間がかかる。推進したとしたら、福島のような事故の危険性とともに、私たちの生活は続く。お金が必要だから、仕方ないと、皆どこかで思ってるのかもしれない。今すぐに、倒れたり死んだりするものではないから。

「お金がないと生活できないから」と、私たちはいろんなことに妥協して、自分の理想や時間を切り売りして、日々の暮らしを続けている。お金がないと電車に乗ることもできない。着るものを買うことも、学校に子どもを行かせることもできないから。

手っ取り早く、過疎地域のお金の問題を解決してくれるのが、原発産業とか、ダムとかコンビナート建設とか。工事中は労働者が泊まり、飯を食べ、お金を落として行ってくれるし、行政からは交付金が出る。完成後は、地元民の就職先。美しい自然と引き換えに。

美しい自然だけでは、食って行けないから。自然は、おいしい食べ物や水や空気を無限に与えてはくれるけど、お金を落としてはくれない。そのすき間に入り込むようにして、あらゆる過疎の自然豊かな地域に、ダムや原発やコンビナートが建設されてゆくように見える。

祖母の住んでいた地域の地元の人は、賛否に分かれたけど、やっぱり最後は、お金の力が買った。そうして、美しい海岸線にコンビナートが建設された。原発もコンビナートもダムも、根っこの部分は同じ匂いがする。人々の問題を解決するための、行政の事業。地域に沢山のお金を落としてくれる事業。

自分は、有名人でも活動家でも政治家でもない。創造的身体のことをライフワークにしているだけのなんでもない存在。身体のこと、創造性のことを純粋に考えた時、自分のやるべきことは何か、を考える。できるだけシンプルに。身の丈でできることを考えて、実行する。

原発賛成とか反対とか、放射能危険とか大丈夫とか、そんなことはどちらの立場からも言えてることで、どちらを選ぶかは、人それぞれなんだと思う。それよりも、自分で考えるとか、話をするとか、情報を共有するとか、そういうことがスルーされている状態の方が、よっぽど気になる。

数字で示せることは示して、それで各自が判断していったらいいのに。自分と違う意見もありなんだと、お互いに尊重し合いながら、話ができたらいいのに。。。無理と思いつつ、そう思う。

そして福島問題が完全に終息するまでは、他人事じゃない意識を持ち続けること、行動できることはすること。「もう大丈夫、こちらは関係ない」とスルーして日常に戻るのも、自分だけ逃げるのも、どちらも解決にはなってない気がする。ではどうしたらいいか?わからないけど。

そんなことを日々、考える。日常の暮らしを続けながら、考えることは止めてはイケナイ。考えたら、行動に移さなければ、考えてないのと同じ。だから、自分でもできる小さなことはないか、日々、考える。そして、ささやかでも、行動する。そんな日々。







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  1. 2012/02/13(月) 09:02:53|
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受賞の思い出


稽古場カフェの店長を一緒にやった貞太が、横浜で受賞したらしい。うれしいって。うん、私もうれしい。
自分の時は、日本では誰も賞をくれなかったけど、韓国で特別賞をもらったときは、本当にうれしかったのを、今でも覚えている。

稽古場カフェの店長を一緒にやった貞太が、横浜で受賞したらしい。うれしいって。うん、私もうれしい。自分の時は、日本では誰も賞をくれなかったけど、韓国で特別賞をもらったときは、本当にうれしかった。その時は、青山の高谷さんがいらした。褒めてくださった。

日本人との戦争の悪い思い出の残る審査員の美術家のおじさんの言葉を聞いていて、高谷さんも大変だなあと思ったのを覚えている。私も無視された。しかし、後で特別賞の知らせ受けて、あの状況下で自分に賞がでたって、本当に有り難い、スゴいことだと感謝した。

もちろん、そんなひとばかりではない、韓国。その前も後も、いろいろな場面で、沢山の人に良くして頂いたけれど、あの審査員テーブルでの時間、あれはちょっと辛かった。

戦争体験と言えば、マレーシアでも、一緒に踊っていたマレー人のダンサーのお父さんに罵倒されたことがある。「オレは日本人を許さない」と言われて、悲しかった。うちの祖父も、フィリピンで戦死したんですけど...悪い辛い思い出の前には、そんな言葉、届かない。

自分の前の前の世代のやった歴史をひっかぶりながら、いろんな場所で、いろんな人と出会い、踊り続けて来た。楽しいことも辛いことも。でも、覚えているのは、いいことだけにしよう。







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  1. 2012/02/12(日) 22:03:35|
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答えはいつでも、自分の身体の中にある

身体に直接入る食べ物って、やっぱ、その人を作るものだから、そこのところをいい加減にしてしまっていながらにして、身体のことやってるのは、自分的にはつじつま合わなくて気持ち悪い。

できるだけ、「顔の見える生活」したい。誰がどう作ったか、わかった上で納得してお金を払いたい。食べ物だけでなく、全てのおいて。

仕事も、日常の食生活も、支援とかそういったものも、全て同じ。「顔の見える」ことが自分にとって重要なこと。

例えば自分が赤十字に寄付したお金が何処でどう使われたか、それを知りたいと思う。それがわからないところにお金は落としたくない。だったら、直接、知っている誰かにちゃんと顔を見て渡したい。

震災後の様々な情報に翻弄された後、自分が思うことは、そういうことだった。「顔の見える暮らし」これまでもやってきたことだけど、それがさらに大切なこととして意識された。

どんな情報も、人を通過する時に、必ずフィルターがあって、色がつくことになる。誰の手を通って自分のところに届いたのか、それをできるだけ把握していたいと思っている。情報も、モノとしてのプロダクトも同じことだ。

形ではない、イベントやフェスティバルだって、同じこと。発起人や運営メンバーの意思や意識が、知らず知らずのうちに、そのものの色や本質を作り、変化させてゆく。

だから、目に見える結果だけでない、そうした見えない背景や人の価値観なんかに、すごく敏感で興味津々な自分がある。目の前の結果よりよっぽど興味深い物語が、そこにはある

1人が選ぶ選択が、いつの間にか、世の中の渦巻きを作りだしていたりする。そのことに、気づかないまま、無作為に流されるように日々の生活に追われている人は多い。「余裕がない」という理由で。

「余裕がない」と言っている 自分よりよっぽど恵まれた境遇の人々を見ていて、「余裕は、足りて初めて得るものではなく、足りない中でも今すぐ、自分で創らねば、永遠に得られないもの」だと気づけたのは、自分にとって、幸いだった。

それ以降、いろんな人、自分よりよっぽど余裕がある状況の人達からも「余裕があっていいね」「優雅だね」と言われる。おそらく数字的な状況は、比べてみれば、こちらの方がよっぽど低いと思うのだけど。

余裕は見えないところで、自分自身が"作る"と決めて作るものだ。誰かが与えてくれるものではない。10もらっても足りないと思えば足りないし、5もらって2を人に分ければ、それが余裕になる。3で満足して暮らせればいいじゃないか、と私は思っている。

それを実践し始めて数年になるが、その一瞬一瞬が、見えない豊かさになってゆくのを実感している。10あっても足りないと焦り続けることより、5あったら2、分けられることを喜べる自分でいたいと思う。

豊かさは、もらうもの、持っているものではなく、あげられるもの、分ける行為と気持ち、なんじゃないかとも思う。血流が循環し続けるのが健康な身体であるのと同じように、いろんなものは溜め込まず、循環させたらいいんじゃないかと。

「理想的な社会」は、「理想的な身体の状態」がどういうことであるのか、その情報を社会の状態に変換して考えてみたら、そこに答えがあるのではないか?

ミクロはマクロにつながり、マクロはミクロにつながる。
身体のことを日々修練しながら、世の中のこと、人間の生活のこと、これからのこと、、、いろんなことを考える日々。

答えはいつでも、自分の身体の中にある。









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  1. 2012/02/11(土) 09:20:44|
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多摩市の小学校WS 5回目

今日の小5、実はかなり難易度の高いことをやってもらった。巨匠ほそぴーにも無茶ぶり。しかし、本当に、素晴らしい、感動的な時間が流れた。

あのうずまきの潮の満ち引きのような風景とエネルギーが、心に焼き付いている。ただただ、ずっと見ていたかった程の美しさ。

ダンスのステップやテクニックの方法を、子ども達に教えたいだけじゃない。ダンスという総合的な身体表現活動への挑戦を通して、伝えたい大事なことがある。

生きるということ、自分とつながるということ、人と関わるということ、、、そんな人生の様々な要素の本質的な部分の発見を、シェアしたい。

そんなことが、子ども達に伝わって、それが立ち現れた時、満たされた感じが、身体にストンと来る。温かい何かが。「ありがとう」という気持ちになる。

今日は、巨匠ほそぴーも「あのうずまきには、感動した。良いもの見れた」と帰り道。静かな感動。




これから沢山の未来の時間を持つはずの子ども達。私達大人が、失敗して来たことを繰り返さないように、、、。誰もが持っている、人間の本来の力=創造力を使い続けることができるように、、、。


自分の身体と心とのつながりを、この先の長い人生の中でもずっと、持ち続けていられるように、、、。




イキイキと楽しそうな顔とやりきるエネルギーを見せてもらうだけで、本当に、「ありがとう」と言いたくなるような、何か沢山のものをもらっている気持ちになる。

今日も
ありがとう。。


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  1. 2012/02/10(金) 19:02:31|
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多摩市立の小学校

2月初めてのWS。

今週と来週でファイナル。

2月は、即興演奏の巨匠、ほそぴーが参加してくださるのだ。
ほそぴーの持つ、精神の自由さ、開き具合は、いつでも本当に素晴らしい。

それがないと、即興って、たちまち、つまらない、しぼんだ固いものになってしまうんだな。


今日のWSでは、自由人の巨匠、ほそぴーの生演奏に、子ども達の新しい扉が開いた。ダンスだけでなく、音もまた、その場に居合わせた人にだけ伝わる、ライブの力を持っている。


「スタートのゼロ」。

これが、今日の一番うれしい収穫。


スイッチの、ON / OFF を、どう習得させるか?

この感覚って、パフォーマンスやダンスに限らず、

人生のあらゆる側面において、

絶対に役に立つ感覚だと思う。


「本音と建前」とか「表面と裏側」とか、

そういうことではない。

「ハレとケ」に近いかもしれない。




生音演奏が醸し出してくれるエネルギーに助けられながら、
そんなことを思う。


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  1. 2012/02/09(木) 19:11:30|
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ダンスと仕事の同じコト

ダンスには、沢山の可能性がある。身体性をともなう総合芸術であるダンスは、総合教育や地域活性や人間関係の修復機能といったセラピー的な側面や医療的な健康促進、リハビリ的な側面も併せ持つ。

ダンスに馴染みのない人向けにWSをする時、ダンスって何?というおおまかな説明をしてあげたい時、私は「世界に何種類のダンスがあるでしょう?」というクイズから入る。

皆さん、「10種類」とか「100種類」とか「1000種類」とか、、、色々考えて 言ってもらったところで、最後に答えを言う。「答えは、2種類です」

「1つは、人がすでに作った型を習うダンス。もう1つは、自分で創る自分のダンス。これは、ダンスだけでなく、仕事でも勉強でも同じです。両方できると、いろんな可能性が広がる。」そういう話をしてから、始める。ダンスを人生につなげて変換活用して欲しいと思うから。

同じように巧みに表現できていたとしても、それが「人から習った形の組み合わせの応用」の羅列なのか、それとも「自分で作った自分のダンス」が入っているのか。その割合はどのくらいなのか?~そういう視点で見ると、また違った世界が見えて来る。

仕事だって同じ。起業して自分の仕事できたとして、外注受けた仕事で飯食う。それも組み合わせ。「人から頼まれてする仕事」と、「自分で創る仕事」の組み合わせ。

企業に雇われて、「人から頼まれる仕事」でサラリーもらっていても、「自分で創る仕事」の工夫がなければ、組織の中で沈んでゆく。器を自分で作るのか、仕事の中身に自分で作るを入れ込むのか、いろんなバランスの中に、仕事は存在する。ダンスも仕事も一緒。

頼まれてやる仕事(ダンス)は、依頼主(振付家)の意図を汲んで、一生懸命にやり切ることをしければ、機能しない。自分で作る仕事(ダンス)は、何も前例がない道なき道を作って行かなければならないから必死でやり続けるしかない苦労もあるが、工夫する楽しさもある。

どちらもできるような能力は必要だし、どちらもできるような立場の転換が、日常的にあると、自分の中の見えない部分が 柔軟になるので、動き続ける、生きてる感じがして、自分は好き。 

それが、Odorujou活動の根本でもある。










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  1. 2012/02/08(水) 00:07:07|
  2. dance
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プロフィール

odorujou

Author:odorujou
コンテンポラリーダンス作家
振付家/ダンサー
Odorujouディレクター
2009年ソウル国際振付ファスティバルにて、外国人特別賞受賞。

■ダンサー/振付家■
「長い手足、自由度の高い身体、それを繊細にもダイナミックにも動かし、半径1mの円の中で踊り続けて飽きさせない身体のボキャブラリーを持っている。なのに、いきなりマヌケなネタを平気でかます面もあり、気が抜けない」(乗越たかお著:コンテンポラリーダンス徹底ガイド)

■プロデュース■
「Odorujou」時々主宰。すなわち、わくわく心躍る企画担当。「個性ある身体」を起点に、皆さんの問題解決や目標に向けて真剣に取り組み、社会貢献を目指します。
創造的身体資源の開発と芸術文化環境の向上は、世に恩恵をもたらし、個人のより良い生活と、豊かな社会作りができるのではないか?

身体不在の現代社会において、コンテンポラリーダンスが包有する、社会にもたらすであろう様々な有益な可能性と、その価値を信じて活動中。

■芸術環境向上企画■
海外の話を聞く会
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-category-8.html
こんなことやってみました。
Independent Artists Japan TPAM2010
http://artistsjapan.blog29.fc2.com/
http://blogs.yahoo.co.jp/dancartscom

■願望
週末はひっそりとする東トーキョー暮らしを愛おしく思う。温泉&旨いものツアー希望。



■WSクラス講師■
基礎身体能力の開発や、即興(インプロ)、コミュニケーション学習、コンテンポラリーダンスなど、様々なアプローチから提案するクリエイティブなWSは、主催者側の要望に添ってオーダーメイドで作成され、語学力と柔軟な発想力にて随時対応可能。
WS対象は、ダンサーやアーティストはもちろん、ダンス未経験の老若男女、学生、子ども、日本人から外人(英語圏)まで、自分のダンスを踊りたい人、人とのコミュニケーションを楽しみたい人、、どなたでも大丈夫。

■クリエイション■
ソロパフォーマンス、コラボレーション、グループ作品の上演、振付なども随時対応。

■最近多く担うお役目
何かと何かを繋ぐ。
全体の中でバランスを取り、足りないものを提供する。
場を浄化させる。
物事を前向きに進ませ、発展させる為の介助。


■お問い合わせはこちら
OdorujouまたはJOU宛にどうぞ。
odorujou@yahoo.co.jp
http://odorujou.net

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