jou日記

コンテンポラリー・ダンサー、振付家JOUの日記です。。。Odorujouダンスパフォーマンス日記

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海外の話を聞く会 アーカイブ一覧

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第1回海外の話を聞く会 日玉浩史ベルギーダンス事情 2008年6月3日
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第2回海外の話を聞く会 今津雅晴 カナダダンス事情 2008年8月12日
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若生祥文 2010年5月21日(金)19:00-21:00 フランス
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遠藤サト sato endo ロッテルダム オランダ
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宮澤さおり saori miyazawa ベルギー ブリュッセル 2009年7月9日(木)
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  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
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第8回海外の話を聞く会フランス編~伊藤郁女トークの記録

2010年7月30日(金)
19:00-21:00



第8回海外で活躍する日本人から海外のアート環境の話を聞こう会
「伊藤郁女(いとうかおり)的視点からのフランス事情」

 
会場 :こどもの城 本館9F 906号室(青山)

来場者数 29名 (男9名 女20名)
来場者職業内訳
舞台技術者 
評論家
プロデューサー
ダンサー
フランス関係者

開催以来もっとも多い来場者数でした。
御来場の皆様,ご協力頂いた青山劇場、さいたま彩の国の皆様に、
心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。



1: before and after はじめの一歩

  -1.海外へ行く前の、日本でのダンス活動(ダンス歴)

5才からクラシックバレエを、高木俊徳先生(東京バレエ)に師事。その後、小林紀子先生に師事。受験勉強とバイトとバレエを繰り返す生活だった。
17才くらいの時、クラシックバレエが、チュチュを着て、時にはカツラをかぶり、ヨーロッパ人のように踊るということに疑問を感じ、紀子先生にバレエを止める意思表示をする。

「クラシックバレエも、ストーリーを伝える芸術」と、言われるが、納得できなかった。その頃、ぴあの情報で得た公演を、全部見るようになり、公演で足を運ぶと、日本では、他の公演のチラシをもらうようになるので、いろいろな公演を見た。
伊藤キムや能美健志などのWSを盛んにやっていた時期で、それらにも参加した。
18才の時、STスポット(横浜)の公募企画に振付作品を応募し、榎本了壱さんから賞を頂く。その後、同様に、公募コンクールに応募、横浜ソロデュオ、バニョレなどの、コンテンポラリーダンスの国内コンクールで受賞した。


JOU的補足説明:
ここでは語られませんでしたが、私の記憶では、確か、郁女ちゃんは、ヨーロッパに活動拠点を移す前の1年間、文化庁の在外研修でNY、その前にも、立教大学時代に、休学して1年間、アメリカNYにあるパーチャスというダンスで有名な大学に留学もしています。実は、まだ高校生の時の幼い面影のある彼女と、田村彩という人の振付作品で、共演したことがあります。
その時と、留学後とでは、雰囲気も体つきも、パワフルにがらっと変わりました。内在していたものが、表出されてきたのかもしれませんが。デュクフレのWSで、久しぶりに再会した時には、見事にひと皮もふた皮も剥けて、今の伊藤郁女になっていました。今度、機会があれば、NY体験の話もぜひ、伺いたいところです。





  -2.海外へ行く事になったきっかけ

当時、神奈川芸術文化財団でダンス部門のプロデューサーをしていた佐藤まいみさんがプロデュースした、フランスのアーティスト、フィリップ・デュクフレのビデオとダンスのWSに参加。翌年2回目のWSでは、そのままキャストオーディションのような形で、デュクフレの作品「イリス」に出演することになった。フランスのシャトーバロンという所で、2週間滞在し、リハーサルしたが、夏の野外で、非常に暑かった思い出がある。

それからさらに、最終的に選ばれたメンバーが、山口情報芸術センターhttp://www.ycam.jp/でクリエイションし、作品を仕上げた。「フランスダンス03」という佐藤まいみさんがプロデュースした企画で、神奈川で公演後、同作品で、パリの国立劇場などでも上演した。

なので、そうしたWSとかは、人の繋がりができるので、受けた方がいいと思う。


補足説明:
フィリップ・デュクフレ:アルベールビルオリンピック開会式の振付などでも有名な、サーカス出身の振付家。


JOU的補足説明:
「WSとかは、人の繋がりができるので、受けた方がいいと思う。」
伊藤郁女だけでなく、今、欧州で踊っている人の中にも、10年前の外人講師のWS受講がきっかけになっていた、というような人も沢山います。
何か種まき的な企画をプロデュースすることは、その場ですぐに見える成果だけでなく、時間を経て振り返ってみた時に、必ず、何かしらの芽はでているものだなあ、と思います。
そうしたWSや公演活動を支え続けているプロデューサーや財団、劇場などの皆さんの努力があることも、忘れてはならないと思います。


  -3.最初のダンサー契約のこと

本当の最初の契約は、デュクフレの日仏企画だったので、特殊なケース。
その次の契約は、アンジュラン・プレルジョカージュ(南フランスの国立振付センターのディレクター、振付家)。個人での契約としては、これが最初の契約と言える。
アンジュランのいた振付センターでは、フランス国内で比べても、給料条件などが、とても良かった。
通常、フランスでは、ダンサー達は、コンサバトァールと呼ばれる国立のダンス学校を卒業した後、18-20才位で、初契約をし、カンパニーに入って仕事をする。最初はインターンシップ(試雇用)で、月給1700~1800ユーロと低め。

自分が入った時は、彼がデュクフレの公演を見に来てくれた所を、ガッと捕まえて,面識はなかったが、顔は新聞などで知っていたので、話しかけた。
「一緒に仕事したい」と言ったら、オーディションを受けに来いと、南フランスに呼ばれた。
その後、滞在ビザが切れる3週間前に電話があり、契約成立。
500人位のダンサーを、他でもオーディションしていた中で、選ばれた。
チャンスは、自分で積極的に掴みにいかなければ、ダメだと思う。

選ばれた後も、最初は短期契約。試雇用期間が、6~7ヶ月位あった。その期間中も、正規ダンサーと同額2100ユーロ(約24万円)支給された。
それだけでなく、カンパニーの事務所が、銀行口座を開く手伝いをしてくれたり、フランス語のレッスン料を出してくれたりもした。フランス語のレッスンが必要でない新規契約者には、代わりに演劇等のレッスン料を出してくれる。

病気や怪我の時の保険として、国民保険と、カンパニーからの保険、が支給されるので、実際の個人負担は、50~30%になったりする。失業保険もある。

仮契約の後は、永久契約に移行する。これは、「いたければ、いつまでもいていい」という契約。もし、カンパニー側の都合で首にしたら、その後6ヶ月分の給料をカンパニーは支給しなければならない。
年々、給料は加算される。ボーナスも出る。年間140公演程ある中で、ツアー中の食費(パーディアム)は、別途支給。TGV(新幹線)の半額チケットも、もらえる。

そのため、同じカンパニーに10年以上いるダンサーも多い。ダンサーが加齢しても所属を続ける場合、カンパニー側としては、出る役を減らすなど、婉曲的に首切りを図り、ダンサー自ら、辞める意思表示をするのを待つ。ダンサーの中には、逆にそれを利用して、辞めないでいつまでもいる人もいる。


JOU的補足説明:
アンジュラン・プレルジョカージュというダンス界の有名人を、「新聞で見たことがあるので、公演を見に来たところを捕まえて、仕事をしたいと話した」と、本人はさらっと話していましたが、そのようなことができるためには、「仕事ができる自分の力」への信頼と自信がないと無理なわけです。そして、その力は、ただ願っていれば身に付くものでは決してありません。実際に身体が動くかどうか、気持ちを強く保てるかどうか、日々実践していないと育まれないものでもあります。それが、後の話にも出てくる「自分の力試しに、オーディションを受けまくっていた」ということにも通じるのかな、と思いました。



  -4.日本との違い、海外で初めて気づいた事など

新聞の文化欄が、4ページもあること。文化欄だけをまとめた本が出版されたりもする。日本では、文化欄は1ページだけと思うと、新聞からして、国民がそうした舞台情報に触れる機会は、多い。一般的に、文化の知識が浸透している。演劇でもセザール、モリエールなどの歴史もあり、コメディフランセーズや国立劇場の役者が、ラジオでレクチャーしたりする。また、テレビの文化チャンネルで、劇を全編放映したりしている。日本では、テレビに出るのは、芸能人だが、フランスでは、文化人もテレビに出る機会がある。

国民が舞台を見に行く回数も違う。自分も、1週間に5~6回見に行く。チケットが高くないのも理由のひとつ。もちろん、客席は満員でも、面白くない舞台もある。
「劇場」そのものが信用を得ていて、「劇場」にお客さんがついている。1年間の始めに、劇場のシーズンチケットを買う人も多い。(安く買える)。このシステムのため、年間の公演チケットは、その年の始めに、すでに売り切れ、という現象も起こる。パリ市立劇場、「テアトル・ド・ラ・ビル」では、1年前からチケットは売り切れで、公演の時には、ダフ屋も出る程の状況。

日本のように、ダンサーはバイトしながら踊り、公演チケットも自分で売らないといけない舞台でばかり踊っていると、いつまでたっても、プロ意識が育たないと思う。そうした状況下では、ダンサーは、踊る作業の他に、チケットを売る作業もしなければならなくなる。

フランスでは、アーティストに対する尊敬が定着している。



Q:「ダンサーの永久契約」にびっくりした。ディレクターのプレルジョカージュもそうなのか?

A:正確には知らないが、そうだと思う。
フランス国内にいくつか設立されている振付センターは、創作活動と公演活動の他に、地域に対する活動も行わなければならない義務がある。ガラス張りのスタジオで、活動風景を公開したり、フェスティバルを開催したり、ダンス普及活動として、レクチャーなど、行っている。

プレルジョカージュの所では、2つのグループに分かれた本カンパニーとは別に、セカンドカンパニーとして、そうした活動を中心に行うチームがあり、メンバーは5名位。カンパニーTシャツを着て、道で作品の抜粋版を踊って見せたりもする。

こうしたダブルチーム構成は、同じ作品を、同時に違う場所で公演する時にも対応可能な体制としても、使われている。(本メンバーは男女各12名)
ダンサー以外のスタッフは60名位。アンジュラン本人には、なかなか会えない。スタッフは、仕事別にWS、パブリックリレーション(広報)、写真、など、役割が分かれており、全体として、国立センターとして課せられた義務を果たしている。
基本的には、アーティストは、自分の作品のことだけを考えて仕事ができるシステム環境がある。

アンジュラン自身は、1年に1~2作品作る義務があり、ボリショイへの振付など、何年か先まで(2020年位まで)、すでに仕事が決まっている。そういうプレッシャーに耐えて仕事をしなければならない、という面もある。

リヨンの振付センターのディレクターであったマギー・マランは、最近、辞める意思表示をしたし、フィリップ・デュクフレは、振付センターは、初めから断り、自分のやりたいことをやっている。振付センターのディレクターに就任することが全てではなく、人それぞれに、選択をしている。

また、山海塾は、6ヶ月公演で、給料制、グルノーブルのガロッタは、舞台作品以外に、映画も作る、など、仕事の内容や条件も、それぞれ異なる。





2: Living and working あちらの暮らし

  -5.カンパニーダンサーの生活(1日、1週間、1ヶ月、1年の大体の様子)

1日の様子:

通常、クリエイション中:

アンジュランの所では,


10:00-11:30 クラス

12:00-13:00 リハーサル

1時間昼休み

14:00-18:00 クリエイション

クラスの先生は、毎年、ダンサーの評価で決まる。マギー・マランの所にいた日本人の小林のりおさんは、人気の講師の1人。


アラン・プラテルの所では

9:30-11:00 クラス

11:00-13:00 リハーサル

昼休み1時間

14:00-17:00 クリエイション

アランは、6ヶ月かけて作るが、毎日踊っているわけではなく、映画を一緒に見たり、リサーチの時間も含めて、時間をかけてクリエイションを行う。
時間をかけると、良いものは生まれる。

「どれだけ時間はあっても、ない」と言った言葉は、デュクフレだったか、確かにその通り。
例えば、アランの「Out of Context」という作品のクリエイションでは、ダンサーが1人ずつ、45分間、ヒステリーというお題以外、何も言われず、ただ踊らされる。30分以上すると、全然違う自分が出てきて、どんどん変わってくる。
アランは、それをノートを取りながら見ている。彼は、一番最初にスタジオに来て、最後までいる人。朝は犬の散歩から始まり、夜は、スタジオの台所など洗い物をして、自分で鍵を閉めて帰る。ベルギーでのツアーは、自分で運転したりもする。人間としての時間を共有しようとする人。

アンジュランは、振付家としてスタジオに来て、仕事をして帰る。
毎日のリズムは、振付家によって違う。
シディは、同じリハーサルスタジオで、映画,ソロ、来年のプロジェクト、という3つの違うプロジェクトを同時進行で、5分毎に行ったり来たりできる人。
アランは54才だが、シディは30才前半で若くバイタリティがある。人に対する接し方も、友達的。

ツアー中:
クラスで始まる。ツアー中でも、クラスのための先生がついてくる。バレエ、コンテンポラリーなど、2週間毎に先生が変わる。アンジュランのところでは、公演本番の3時間前にクラスが終わるようなスケジュールになっている。その後、1時間位リハーサルして本番。
公演先での最初のリハーサルは、スペーシング(場当たり)と照明。
特にアンジュランの作品の時は、テープが12本張られ、他のダンサーとの距離感を一定に保ちつつ、踊らなければならなかったので、劇場が変わる毎に、毎回やり直して踊った。
プラテルの作品の時は、それほどは厳しくなかった。契約書に「ダンサーは3時間前に劇場入りする」というリクエストが明記されていた。ダンサーはco―クリエーター(恊働創作者)でもあったので、振付家本人がいなくても、ダンサー間でしゃべることをする。アシスタントはいたが、「どうだったか?」と聞く程度で、基本的には、ダンサーが自発的にいろいろ行っていた。

年間の様子:
アラン・プラテルのところは、1年間140公演。
サーカス系の舞台の場合は、1カ所の公演滞在期間が長く、3~5週間。ダンスの場合は短くて、1週間に3~4回、飛行機に乗って移動したりする。年間では、2~3月や9~10月に、プロが見に来る欧米フェスティバルでの上演、7月のアビニヨンフェスティバルなどは重要で、それらをこなしつつ、その間に欧米外の国を回ったりする。北欧は8月、シンガポールは5月、オーストラリアは2月、など、それぞれの国のフェスティバルを回る。結果として、パリの自宅にいる時間は、1ヶ月中、1週間もなかったりする。

ツアー中、食事の問題は、大きく、持ち運びのできる炊飯器を買って、自分でラーメンを作ったりもする。公演後に、食べるところが開いていない時もあるし、土地の料理が口に合わない時もあるため。
行った先でまず、世界中どこにでもある中華料理店を探すこともしている。
自覚して気をつけないと、どの国でも、同じようなホテルと劇場の往復で終わってしまう。特に、2回公演程度の滞在だと、何も見れないまま、終わってしまう。
国や土地に寄って違うコーヒーの味や出し方、パリは5ユーロで小さいカップ、アビニヨンは大きいカップ、オランダやベルギーはコーヒーにミルクが多くつく、など、違いを感じるように心がけている。

ジェイムズ・ティエレ(チャーリー・チャップリンの孫)の公演でモスクワに滞在した途中に、シディの公演に参加するためにゲントに飛ぶという過密スケジュールで動いた時は、ホテルの鍵や番号がわからなくなって、往生したりしたこともあった。

補足説明:

フェスティバルに見に来る「プロ」とは、ジャーナリスト、評論家も含めて、劇場ディレクターなど、作品を買う人、次のシーズンのプログラムをする人、のこと。






  -6.カンパニーダンサーに求められること

前に出れる人。振付けを覚える時、即興する時など。提示の仕方。
舞台での出会いは、一期一会。そこを、全力出し尽くせるかどうか。

ヨーロッパでは、ダンサーに要求することが多い。振付は、ダンサーに任せられ、作る部分もある。
そうした中で、自分の個性が簡単に出せる人。出し切れる人。
どうやって自分を解放させられるか。

例えば、アラン・プラテルのクリエイションで「キリンが生まれる」という即興を出されて、バカバカしくても、皆、一生懸命やっている。
どんな即興でも、抵抗せずに、何ができるか、提示する。

例えばヤン・ファーブルでは、脱ぐのは当たり前で、脱いだ後、何ができるか、だったりする。

アランのオーディションでは、「5分間でアランの作品のまねをする」という即興を出された。

自分の内面を出す用意をしていること。「これしかない」という必死感があるかないか。
そういう意味では、コンクールやオーデョションは、必要だと思っている。デュクフレのダンサーだった時も、身元を明かさず、オーディションに行っては自分を試していた。
肉食的な力とでもいうものが、アメリカは強いが、それに比べると、ヨーロッパはまだ人間性を大事にするように思う。
ヨーロッパに日本人は多いが、自分を出せる人は少ない。


Q:内面を出す大切さを実感した体験は何だったか?

A:ジェイムズ・ティエレ(チャーリー・チャップリンの孫)の作品「オウボォアパラプルィ」で、子どもの役をやった時、子ども役をやることに抵抗があった。特に、美しく踊るプレルジョカージュの作品に出た後でアラベスクなど、ダンスのテクニックを使いたい願望があったが、「女の人の役をやらないで」と言われた。男の子の役をやることの中では、美しく踊ることは必要とされない、ということを学んだ。

その作品の中では、男、女、子ども(絵本に出てくるような、破れたシャツを着ているような、男の子)しか登場せず、その子ども役を、2年間やらねばならなかった。とにかく役になり切ることが必要だった。初演の頃には、まだまだダンサーの自分がいたが、2年間の上演の間に、変化していった。
ダンサーが踊るダンスではなく、ダンスの好きな子どもとして踊る、ということ。キャラクターになり切っていれば、コケても面白いということを発見した。

この役をやり切ってから、自分のキャラを使いたいと、他の仕事も沢山来るようになった。

プラテルの作品の中で、マイクを口に入れるシーンがあったが、そこでは、「醜さ、辛さ」やエステティック(美的)でないもの、表面のきれいさでないもの、を出すことを要求された。

舞台に立つということ。振付を踊るダンサーではなく、踊りが自分の中に入って来て、自分の言葉で踊れるかどうか。
例えば、バリシニコフは、人の言葉も、自分のストーリーにしてしまう素晴らしいダンサー。その領域まで行くと、振付家からオファーも来る。自分のキャラを必要とされるようになると思う。





3: system information (education, creation, presentation)あちらの仕組み


  -7.劇場のシステムークリエイション環境(場所、支援形態)


クリエイションの中で大事なのは、初演のタイミング。
例えば、2010年2~3月のフェスティバルで見て、翌年度の上演契約をすると、2011年のシーズンで上演されることになる。
最近では、経済が悪いので、もっと先まで決めてしまう。フェスティバルプログラムというのは、その内容は、変更可能。なので、クリエイション時からすでに、いつが初演なのか、業界の年間スケジュールの中での、上演のタイミングが大事となる。3月最後の週のバケーションの後ではなく、前に見せるとか。


JOU的補足説明:
ここで語られるクリエイションの支援形態は、国立振付センターについては、「国立」つまり、国の予算。場所は、常駐の振付センター。
状況は、前項目記述の通りです。



  -8.公演の支援環境(ツアーのこと、カンパニー運営環境など)

作品の売り込みや初演のタイミングなどについては、制作スタッフが行う。上演契約をするのは、アーティスト本人ではない。作品を作る為の資金集めなども、マネージメントをやっている人が行う。
ただし、アーティストは、交渉はしないが、「どういう作品を作るか」というプレゼンを作る前にしないといけない。それを制作が書類にして、DVDと一緒に売り込み先に渡す。(初演の前段階での作業)

各劇場は、年間予算があり、それを、アーティスト毎に振り分ける。アランは、付き合いの長い劇場があり、予算が出やすい。自分はまだ新人なので、書類を作り、プレゼンする所から始めなければならない。劇場の支援が決定した後、政府やメセナ(銀行、保険会社などの企業からの助成金)などを探して、もらいにいく。

今年から始まった欧州共同支援制度として、ヨーロッパ19カ国で19人のアーティストを推薦し、最高2年間に渡り、制作費を与えるかまたは、公演を買う、というのがある。自分もその中に選ばれた。

また、フランスの振付コンクールで1位を受賞した。受賞者には、15回公演と5000ユーロがもらえる。そのコンクールは、公募制ではなく、国立劇場など13劇場がそれぞれ1カンパニーを推薦し、その中から3つのカンパニーが選ぶというものだった。エントリーカンパニーを推薦するのは劇場だが、審査員は別にいた。

クリエイションするアーティストの影には、ツアーマネージメントする人、作品を売るセールスをする会社、クリエイションのための資金集めをする人、などの制作スタッフが、それぞれ分業で、仕事をしている。

そうした制作作業や予算を、上演予定劇場など複数の団体で恊働する「Coプロダクション」というやり方も一般的に見られる。

すでに、名前が売れている人だと、クリエイション期間中に、初演を見るまでもなく、100回公演先が決まっていたりする。先1年間の予定はすでに決まっていることになる。そのため、売れてくると、公演先を選ぶことをする人もいる。

Q:100回公演がある時に、飽きないで踊る工夫は?

A:
お客さんとの1回きりの出会いを考えるようにしている。
何回やっても、同じ作品でも、最初で最後と思って踊るようにしている。
2012年のことはわからないが、2010年の今、ここを利用する。
自分は、舞台に立って、自分を解放するタイプ。クラブで踊るのと同じ。



  -9.ダンス教育の環境あるいはシステム

ダンスの教育期間としては、フランスには、コンセルヴァトワールという授業料無料の国立のダンス学校がある。日本のように、バイトをしたり、違う学科の勉強をしたりしないで、ダンスに集中することができる。そこに入れることですでに優等生。大体皆、18~20才で卒業し、その後に、オーディションを受けるなどして、カンパニーに入団する、という、プロのダンサーになるための道が、確立されている。

ただ、個人的には、ダンスだけやっていて、いいのか悪いのか、と思う部分もある。
自分が日本に居たときは、立教大学に通い、バイトをしながらバレエをしていた。大学で学ぶことは役に立つし、作品を作る時には、いろいろな経験が必要。日本人は、いろんなことができるから、それは良いことだと思う。

Q:コンセルヴァトワールについて

A:コンセルヴァトワールでは、クラシックバレエとコンテンポラリーダンスは、最初の1年は皆一緒に学び、2年目から、分かれる。ベルギーのパーツ等の学校では、振付専門の学科もある。

Q:アンジェとコンセルヴァトワールの違いは?

A:アンジェや、パリのCND(パリ国立振付センター)には、振付センターとコンセルヴァトワールが併設されている。どこの学校がいいかという判断は、その時、どういう先生がいるのか、にもよると思う。時代によって、ディレクターも変わるし、学校の方針も変わる。入学を考えるなら、自分で入る時に、リアルタイムでの状況を、調べた方が良いと思う。


JOU的補足説明(以下、フランス関係者の方から教えて頂いたこと)
コンセルヴァトワールについての情報(フランス文化省のサイト)
http://www.culture.gouv.fr/culture/infos-pratiques/formations/musique-formation.html
あとは、次のようなサイトがあり、フランス全土のコンセルヴァトワールを掲載しているように思われます。ただ、このリストの場合は、それぞれのコンセルヴァトワールをひとつずつ調べないと、そこにダンス科があるかどうかはわかりません。
http://musiqueclassique.forumpro.fr/les-hauts-lieux-de-la-musique-classique-f15/liste-des-conservatoires-de-france-t2560.html
あとは、サイトで検索した限りでは、パリ、アヴィニョン、リヨン、モンペリエ 、ナント、トゥールーズ、レンヌ、ストラスブール、ラロシェル、ヴェルサイユ 、ボルドー、アンジェ、などのコンセルヴァトワールにダンス科があるようです。

ウィキペディアからの抜粋
コンセルヴァトワール(仏Conservatoire)とは、フランス共和国における文化遺産、自然遺産を経年劣化から防ぎ、管理、推奨することを目的とした特定の公的機関、組織を指す呼称である。音楽、舞踊、演劇、工芸技術などの文化的価値を保持し教育する文化保全機関、および動植物、森林や沿岸、地中などの自然環境の保護、修復を目的とした環境保全機関がある。

以上、あくまでも、善意の口コミ情報ですので、正確には、ご自分で調べることをオススメします。






4: individual future 今後の活動、将来プラン、目標


  -10.ダンス活動の今後の予定など

1.コメディフランセ-ズで、ジキルとハイドのハイド役をやることになっている。来年上演予定。

2.今年9月に彩の国さいたま芸術劇場主催のdancetodayというプログラムで、フランスのコンクールで受賞した作品を、新キャストに山崎広太さんを迎えて、上演する予定。山崎広太さんは、女性的な繊細な踊りと外見とのギャップが面白く、その個性を利用して作品に取り入れたいと思っている。
同プログラムでは、ソロダンサー2人を組み合わせて作品を作らせるという企画で、自分の作品の他に、KENTAROと康本雅子の組み合わせ作品も上演される予定。

3.海外では、いろいろな有名人に会う機会も多い。そうした海外の著名日本人ネットワークを作ろうとしている。皆で、何か一緒にやれたら、と思い、ツアー先でもいろんな人に会っている。
海外の有名日本人が集まって、北野武が演出して、モリエールのミュージカルとかやれたら面白いとも思っている。

4.日本についてのドキュメンタリー映像を作りたい。ヨーロッパから見た日本のイメージと実際の日本とのギャップが面白い。中国人レストランで料理される日本食とか、フランスでは評価の高いアーティスト北野武が、日本では、かつてのタケちゃんマンだったり、というイメージのギャップとか、そういったものを映像にしたい。

5.バリシニコフとデュエット作りたい。本当に実現するかわからないが、本人に、そういう話はされた。63才なので、どういうことができるか、考えなければならないが。


日本人は、閉ざされた世界観の踊りが多いと思う。舞台が始まっても、薄暗い中でずっとうずくまってるばかりだったり、という印象が強い。それでは、お客さんとのコミュニケーションが取れないと思う。

自分は、作品の中にストーリーがあり、ダンスを見たことのないお客さんにも、共感を持ってもらえるようなものを作りたいと思っている。


JOU的補足説明:
「ストーリーのあるダンス」「有名人と繋がる(あるいは有名人になる)」ということは、確かに、「ダンスを見たことがない人にもわかってもらえる」ためには有効なな要素の1つであるのかもしれません。
10代から20代、NY、フランス、日本、と海外を股にかけて活動し、また、フランスの、フィリップ・ドゥ クフレ、プレルジョカージュ、アラン・プラテル、ジェイムズ・ティエレ(チャーリー・チャップリンの孫)、ベルギーのシディ・ラル ビ・シェルカウイと、注目の有名振付家との仕事を、次々と果たし、貴重な経験や人脈を築きながら、30になって、ダンサーとしてだけでなく、自分の振付作品でも、ヨーロッパで脚光を浴びつつある、という実に輝かしい経歴に、ややもすると圧倒されがちな、今回の会場でした。

前回も若生君によるフランスの話でしたが、同じフランスでも、語る人によって、トークの世界が全く変わってしまうというのが、この会の面白さでもあります。人間の数だけ視点があり、視点の数だけ、世界があるのでしょう。

こうした、様々な視点や経験からのトーク情報を、ぜひ、日本での皆様の、日々の活動のヒントや、生活の向上に、何かしら役立てて頂ければ、幸いです。

それにしても、伊藤郁女ちゃんの躍進ぶりは、これまでにはない、新しい日本人の可能性を感じさせてもくれます。今後の活躍が楽しみな彼女の肉食的トークに、パワーをもらった人も多かったのではないでしょうか?
舞台の上でのダンサーとしても、トーク同様、とてもパワフルで、肉食の欧米人に負けない存在感の彼女です。
ダンスを見たことがない沢山の人をも劇場に呼び込みながら、これからも踊り続けていってくれることでしょう。

dancetoday 2010 彩の国さいたま芸術劇場 http://www.saf.or.jp
2010年9月3日(金)19:30開演/4日(土)15:00開演/5日(日)15:00開演

公演見に行った日の日記←
  1. 2010/09/01(水) 10:42:59|
  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
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第8回伊藤郁女のフランス☆コンテンポラリーダンス事情

さいたま彩の国と青山劇場の方々に助けて頂いて、
無事、開催することができました。

ありがとうございました。

私事ですが、自分のソロ公演が終わるまでは、
報告記録その他、こちらの作業は停止致します。

こうした草の根活動を行っている理由は、
制作やプロデューサーになりたいからではなく、
あくまでも、自分も作り手、踊り手として、
もっと楽に楽しく活動をしていきたいということと、
そして、それ以前に日本で暮らす人間として、
この国が、精神的芸術的に、
より豊かで素敵になって欲しい、
という気持ちから行っている活動です。

優先順位は、あくまでも自分の作品づくりであることを
もし外してしまったら、
ここ数年に渡りボランティアで
何の為にこうした活動をしているのか?
本末転倒ではないか、と思う次第です。


8/8以降に、落ち着きましたら改めまして、
皆様にご報告できる情報を整理する予定です。

ご来場の皆様、本当にありがとうございました。
この場をかりまして、心よりお礼申し上げます。



第8回 海外で活躍する日本人アーティストから
海外のアート環境の話を聞こう会
伊藤郁女(いとうかおり)的視点からのフランス事情


日時:2010年7月30日(金)

18:45 受付開始~作品映像
19:00 開始/座談会「フランス★コンテンポラリーダンス事情」
※振付家達と活動をしてきた伊藤郁女的視点からの海外ダンス事情レポート
21:00 終了予定

場所:こどもの城 本館 9F 906号室
東京都渋谷区神宮前5-53-1
表参道駅B2出口から徒歩8分・渋谷駅から宮益坂(青山通り)方面へ徒歩10分

入場無料 要予約 カンパ大歓迎!!
ご予約/お問合せ:
e-mailで、お名前と連絡先電話番号をお知らせ下さい。お申込み締切りは、7月28日(水)です。
easttokyodance@yahoo.co.jp または DATTO@aoyama.org

座談会について
海外のカンパニーで活躍する海外在住の日本人ダンサーが増えつつある昨今ですが、日本国内でも、ダンス公演企画は、今や各地に広がりつつあります。この会では、それぞれ異なった地域でダンス活動をする人々の実体験を話して頂くことで、こうした国内外のダンス事情の情報の交換、収集を図り、そこからまた、新しい発想のプロジェクトや活動が、日本に生まれて来ることを期待しています。
今回は、フランスを拠点に、フィリップ・ドゥ クフレ、シディ・ラル ビ・シェルカウイ、ジェイムズ・ティエレ(チャーリー・チャップリンの孫)などの作品に出演し、自作公演なども行っている伊藤郁女氏に、演者として、あるいは作家として、契約するということ、創作活動や公演活動を支えるシステムなど、芸術支援の形態がどうなっているか、などという芸術環境を中心に、海外でのダンス生活の様子を伺います。


前回までの記録:http://odorujou.net →海外の話を聞こう会
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-category-8.html 



トーク内容

1: before and after はじめの一歩
  -1.海外へ行く前の、日本でのダンス活動(ダンス歴)
  -2.海外へ行く事になったきっかけ
  -3.最初のダンサー契約のこと
  -4.日本との違い、海外で始めて気づいた事など
2: Living and working あちらの暮らし
  -5.カンパニーダンサーの生活(1日、1週間、1ヶ月、1年の大体の様子)
  -6.カンパニーダンサーに求められること
3: system information (education, creation, presentation)あちらの仕組み
  -7.劇場のシステムークリエイション環境(場所、支援形態)
  -8.公演の支援環境(ツアーのこと、カンパニー運営環境など)
  -9.ダンス教育の環境あるいはシステム
4: individual future 今後の活動、将来プラン、目標
  -10.ダンス活動の今後の予定など


ゲストスピーカー:
伊藤 郁女(Kaori Ito)プロフィール
クラシックバレエを高木俊徳に師事。立教大学文学部教育学科卒業。ニューヨーク州立大学サニーパーチェス校ダンス科に留学。フィリップ・ドゥ クフレ『IRIS』で主要なソロパートをつとめる。振付家アンジュラン・プレルジョカージュと活動を始め、07年、ジェイムズ・ティエレ(チャーリー・チャップリンの孫)の作品に参加。08年、 自作『ノクティルック』をスイス、フランスなどで公演。09年、シディ・ラル ビ・シェルカウイ振付のオペラ『眠れる美女』(川端康成原作)主演。10年、アラン・プ ラテル『アウト・オブ・コンセプト』に出演。自作『Island of No Memories』 でフランスの振付コンクール、(ル)コネッセンス1位を受賞。 http://www.kaoriito.com

進 行:
JOU (じょう)
コンテンポラリーダンサー、振付家。90年代をアメリカ、マレーシアで活動後、2000年より東京を拠点に国内外で活動中。Ohio Dance Festival ’98 & 99、Yokohama solo duo competition2003 &2004、ファイナリスト。2008 Seoul International Choreography Festivalにて外国人振付家特別賞受賞。2004年と2005年の日韓ダンスコンタクト に参加し青山円形劇場とソウルで作品上演。 
http://odorujou.net 

主催:Odorujou /協力:青山劇場APAS 

  1. 2010/07/30(金) 09:00:00|
  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
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  4. | コメント:0

第7回若生祥文フランス編



第7回
海外で活躍する日本人アーティストから
海外のアート環境の話を聞こう会
若生祥文(わこうよしふみ)的視点からのフランス事情


日時:2010年5月21日(金)
18:45 受付開始~ダンス映像流します
19:00 開始/座談会「フランス事情」
※エルヴェ・ロブ元ダンサー若生祥文的視点からの海外ダンス事情レポート
21:00 終了

場所:こどもの城 本館 2F  Bリハーサル室




座談会について
海外のカンパニーで活躍する海外在住の日本人ダンサーが増えつつある昨今ですが、日本国内でも、ダンス公演企画は、今や各地に広がりつつあります。この会では、それぞれ異なった地域でダンス活動をする人々の実体験を話して頂くことで、こうした国内外のダンス事情の情報の交換、収集を図り、そこからまた、新しい発想のプロジェクトや活動が、日本に生まれて来ることを期待しています。

今回は、エルヴェ・ロブカンパニーのダンサーとしてフランスで活動してこられた若生祥文氏に、契約するということ、創作活動や公演活動を支えるシステムなど、芸術支援の形態がどうなっているか、などという芸術環境を中心に、海外でのダンス生活の様子を伺いました。


前回までの記録:http://odorujou.net 
→海外の話を聞こう会


御陰様で、無事、終わりました。

当日出席者 10名

内訳:男性6名 女性4名

ダンサー、振付、演出など、作り手 男性2名(20代,50代) 女性2名(大学生10代)
その他学生,学校関係 男性2名(10代)、女性1名(20代)
制作 女性1名(40代)
その他(美術、映像など)男性2名(20-30代)

今回は、学生の方も多く、フレッシュな質問や意見が積極的に交換されました。
僧侶のような落ち着いた物腰で、丁寧にわかりやすいトークの若生氏に、
休憩も取らずに、あっという間に時間が経ってしまいました。

打ち上げでも熱心な話は続き、爽やかで充実した時間となりました。

お集まり下さいました皆様と、ご協力頂いた青山劇場に
心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。
以下、記録です。






1: before and after はじめの一歩

-1. 海外へ行く前の、日本でのダンス活動(ダンス歴)

大学に入ってすぐHip Hopを始めた。勉強に興味が持てない一方で、踊りへの気持ちが次第に強くなっていき、その道で試してみたいとの思いで大学を退学。だが結局その2年半後に才能がないとあきらめる。その後、新宿の暗黒系モダンジャズのグループに入り、2作品目には主演を与えられる。そこを退団して、ポルトガル人振付家ルイ・ホルタのWSをスパイラルホール(青山)で受けたのがコンテンポラリーダンスとの出会い。彼が率いるカンパニーのダンサーも参加してくれ、その身体表現のあまりの素晴らしさに、世界の凄さを見せつけられた。
その1年後、フランス人振付家のエルヴェ・ロブが、水戸芸術館の日仏合同プロジェクトに参加するダンサーを募集していることを知り、オーディションを受けた。それは、すでに一度水戸で発表された6人の作品の、日仏ツアーのための欠員補充だった。男女1名ずつの募集だったが採用されたのは自分1人。欠員分の女性パートも自分がやることになり、かなり大変だった。


若生的補足説明
そのツアーの後、水戸芸術館専属ダンスカンパニーが1997年に発足。日本では水戸芸術館が初、のちに静岡、新潟と流れは続くが、その辺りが唯一の、年俸制フルタイムのダンサーを雇用する芸術プロジェクトだと言える。
当時水戸では、月給にして24万円(税込)をもらっていた。カンパニーは3名で立ち上げたが、1年後に1人抜け、2年後には自分が抜けて、残った1人がずっと水戸芸術館のダンサーとして、市民舞踊学校で週2-3回のレッスンと年度末の修了公演、そして自身の作品を毎年発表していたが、彼女も今年の3月で退団した。


JOU補足説明
やはり同じ97年頃、神奈川芸術工房(ASK)というプロジェクトが起こり、フルタイムでの舞台芸術目指して、舞踊、演劇、音楽、と3部門並立で、WSや公演活動を行っていた。発足当時のメンバーには、JOU、岩淵多喜子、矢内原美邦、大塚圭一、平井優子、川口隆夫などがいた。



Q: 大学を辞めてからのHip Hop活動はどのようにしていたのか?

A: 2人でコンビを組み、横浜人形の家で練習をし、クラブやイベントで踊っていた。茅ヶ崎のダンスコンクールにも出て、予定にはなかった特別審査員賞をもらった。

Q: 何で才能がないと思ったのか?

A: 始めて3年で伸び悩みを感じた。自分の身体に合わないのではないか?と思い始め、また、このまま続けてもどこにも行けないような気がし始めた頃、天才かと思えるような高校生ダンサー2人組を目の当たりにして、これはもう足を洗おうと思った。



-2.海外へ行く事になったきっかけ

エルヴェ・ロブがフランス国立振付センターの芸術監督に就任し、そこでの最初のクリエイションに召集された。当時自分は水戸芸術館に所属していたので、3ヶ月間の人材レンタルという形である。それが無事に終わって帰国当日、エルヴェからカンパニーのメンバーに誘われた。「Yes」と即答。翌年渡仏し、正式メンバーとして入団。
ちなみにフランスには国立振付センターが20ヶ所ぐらいあって、その内訳は、クラシックが7ヶ所、コンテンポラリーダンスが13ヶ所だったように記憶している。各センターには芸術監督(振付家)が1人、3年契約で常駐し、ダンサーを予算の範囲内で抱えることができる。エルヴェのところは最初7人、のち9人となった。芸術監督は3年間に作品を3つ作ることが義務づけられている。


-3.最初のダンサー契約のこと

海外へいくことになったきっかけの時点で、すでに契約は交わされていた(上記参照)

JOU補足説明
これまでの過去のゲストのお話と異なる点としては、
1.すでに日本国内でも年俸制ダンサーとして契約雇用されていた
2.フランスでの契約も、いわば日本からの「移籍」。
つまり、個人の前に、カンパニー間での協議や交渉も当然行われた上での契約であったであろうという点ではないかと思います。






-4.日本との違い、海外で始めて気づいた事など

■大きな違いは、ダンサーが『職業』として社会的に存在しているということ。日本の現状とは根本から違う。具体的には、給料の他に、健康保険、失業保険、休暇手当、年金などの待遇がきちんとしている。なので、給料の手取り額の倍を、カンパニーは雇用費用として、支払っていることになる。


■失業保険については、フランスでは、自分が居た当時の環境では、クリエイション期間などの就労中であっても、休みとなる土日は「失業している」と見なされ、前年分の失業保険として5~6割位の額が日当でもらえた。つまり、給与と失業手当のダブル受給となる仕組みになっていた。

(注釈:その時々の政府の方針と雇用形態により、待遇は異なるため、上記については、普遍的な情報ではない。)

フランスは、ダンスで芸術活動をしながら人としての生活を成立させようというお金(国税)の使い方をする国。もちろんダンスだけでなく、映画、演劇、音楽、サーカスなど全ての芸術分野において、その考え方の適応は同様である。失業手当の給付はもちろん誰にでも、というわけではなく、ダンスの場合は前年1年間で(のちに厳しくなり10ヶ月半で)507時間以上の就労時間を重ねた者に対して、今後8ヶ月分の手当てを支給、というように条件が決まっている。


JOU的補足説明:
日本でもフランスでも同様に、政府の方針により、法律は刻々と変わってゆく。失業保険などの決まり事も、どんどん変わって来ているので、今回の情報は、若生氏がフランスに就労していた、当時の状況である、ということをご了承して頂ければ幸いです。また、国立振付センターの芸術監督制度など、アーティストにとって恵まれた状況が、必ずしも芸術作品の高揚を生むとは限らない、という話も耳にする。どこでも同じだが、良い面がある一方で、その弊害も必ずあるものらしい、という事実も、見逃してはならないと思う。


■世界中からダンサーが集まっていること。エルヴェのカンパニーでも日本人は自分1人で、あとはフランス、イスラエル、イタリア、アメリカ、スウェーデンなど様々で、皆フランス語で会話をしている。

■観客との距離が違う。劇場にはだいたいカフェがあって、終演後にそこで一杯やっていると、知らないお客さんでも平気で感想を言いに来てくれる。そこで良い言葉をもらうと非常に励みになる。友人なんかは率直な意見を述べてくれるので、内容によっては嬉しくも腹立たしくもあるが、それが次につながる。お世辞しか言わない、あるいは何も触れない日本とは大違い。


JOU補足説明
日本には、劇場の退館時間の規制や、終電の問題があり、公演の後、なかなかゆっくり集い、見た公演を消化するための会話の時間がとれない状況にある。終電というものをなくして、深夜2時間に1本でも電車を走らせたら、いろいろな意味で大きく、生活や活動やコミュニケーションが、ゆとりのある方向に変わってくるのではと、個人的には思うが。




Q: フランスの観客数は、日本と比べてどうか?

A: 日本よりは多い。地方でも1000人の劇場が埋まることもある。


Q: 公演情報は、どのように告知するのか?

A: 公演前には、その作品のポスターが街中に貼られる。
大劇場などでは、シーズン開始前に年間の公演プログラムが発行され、先行予約で買うと、その枚数によってどんどん安くなる仕組みになっている。

もちろん、フランス人でもコンテンポラリーダンスを知らない人は全く知らないし、ダンスといえばクラシックバレエ、と思う人もいるが、コンテンポラリーダンス作品を放映する番組が週に1回あったりするので、日本よりは認知度は高い。




2: Living and working あちらの暮らし

-5.カンパニーダンサーの生活(1日、1週間、1ヶ月、1年の大体の様子)

■勤務時間は、月曜から金曜までの10:00-18:00。

1日の時間割としては、
10:00 センターへ行き、ダイニングキッチンでスタッフも交えてコーヒー&おしゃべり。
10:30-11:30 小スタジオでウォームアップクラス。当初はエルヴェ自身がクラスを施していたが、徐々にダンサー各自でアップするようになった。

11:30-13:30 クリエイション。
13:30-14:30 ランチ休憩。キッチンで各自サラダなど作って食べる。
14:30-18:00 クリエイション

1日中フルタイムでクリエイション作業をしていることになるが、これは話し合う時間も含まれている。踊る→ディスカッション、の繰り返し。

■土日はオフなので、ダンサーの多くはパリの自分のアパートに帰る。電車で2時間の距離。(勤務期間の平日は、レジデンス“泊まり込み”でのクリエイションが基本)

■エルヴェの場合、1つのクリエイションに3-6ヶ月かける。クリエイション以外の期間は、作品の再演で国内外へ行ったり、スケジュールが合えばよそのクリエイションに参加したり、あるいはオーディションを受けたり、旅行したり、実家に帰ったり、パリを満喫したり。
再演の数に関しては、作品の売れ具合によって異なるが、平均して年間に10回ぐらい。あまり多い方ではなかった。

■夏休みは基本的に8月中ずっとだが、クリエイションや再演の関係でずれることも。クリスマス休暇は2週間位。年明けは3日から仕事開始ということもあった。


Q: 日本では、ホリデーにダンスの公演やイベントを当てることが多いように思うが、一般のホリデー期間に何か公演やオーディションなどをやることはないのか?

A: 基本的にはバカンス中には公演はない。ダンサーも一般の人達と同じように休暇を取るのが普通。休暇手当も出る。ただ、フェスティバルや長期間のWSなど、夏休み中に行なわれるものもある。


JOU補足説明
日本の状況としては、他の仕事をしながら舞台活動をしている人が多いので、そうした人達の時間が十分にとれる休日や祝日に、公演やWSをせざるを得ない面もあると思う。また、基本的に、フランスでは、雇用契約を結んでフルタイムで働いているプロダンサーと、学生やアマチュアとの線引きが、「契約=生活保障=雇用主(カンパニー)への労働力(ダンス)の全面提供」ということで成立している。それが存在していない日本の状況とは、常識も認識も、大きく異なる面は、自ずとあると思う。




-6.カンパニーダンサーに求められること

1. 基礎対応力:振付家の要求に応えられるだけの身体的な適応能力。

2. 集団作業力:グループ全員で共に作っていくので、コミュニケーション能力は必要。

3. 個人の創作力:振付家からお題を出されて、2-3時間後には何か作って見せる、という作業がよくある。ダメならボツになることも。

4. 作品への貢献力カンパニーメンバーの一員として、ダンサーの立場から、作品を良くしようとする意欲と思考力

5. 集団生活力:クリエイション中は、センターが保持するアパートをシェアして暮らす。自分の居た所では、3LDKと5LDKのアパートが提供され、それぞれで共同生活をしていた。

6. 語学力:クリエイション面でも生活面でも、語学力は必須。自分は、入団当初は英語で会話していたが、1年後に英語禁止令が出て、フランス語のみの生活になった。日常会話レベルに達するまで3年かかった。




Q: それだけ毎日長時間やっていて、体力的な要素はどうなのか?筋トレとかやるのか?

A: 体力や筋力強化は日常のリハーサルで十分足りる。筋トレをやると仲間からバカにされることすらある。というのも、ダンスをするにはやわらかい筋肉が必要なので、もりもりした強固な筋肉は、かえって動きの邪魔になる。


Q: 振付家のクリエイションの過程で、ダンサーがセルフクリエイションをさせてもらえると言ったが、音なども決まっているのか?

A: 音は振付家が考える。振付家の中にシーンのイメージがすでにあり、そのイメージの中で、ダンサーにどう動いてもらうかを提示し、それに沿ってダンサーが動きを作っていく。提示される課題は、ソロ・デュオ・トリオなど様々。それぞれ簡単ではない作業だ。



Q: 動きをダンサーが作るのだとしたら、「振付家」は何をするのか?

A: 簡単に分けて3つ。1つ目は、振付家がそのシーンの動きをすべて振り付ける。2つ目は、振付家が提示する一連の動きをダンサーが覚え、それを振付家の要求に合わせて、解体、再構築する。3つ目は、お題だけ出して、ダンサーが動きを作る。
そうやって上がってきた動きを、空間配置やタイミング、音楽なども含めて全て、振付家が演出構成する。

余談だが、よそには、何も提示せず、ただ「何かやってみろ」とダンサーに即興を要求し、それを何度も繰り返して、出てきたものを最後の1週間でまとめあげて作品にする、という振付家もいる。



Q: ダンサーが自分で動きを作る作業をするというのは、フランスでは一般的なのか?
A:  そうです。


Q: クリエイションの時間の割合としても、「ダンサーに作らせる」という時間が多いのか?

A: はい。もちろん、許されたクリエイション期間の長さや、他の状況によっても変わるとは思うが、ネタを作るのもダンサーの一つの大きな仕事。ダンサーは「食材」を作り、それを「料理」するのが振付家ともいえる。


JOU補足情報
「振付家は編集者である」(エンドウサト)という言葉もあった。おそらく日本では、振付家というと「振りをつける」=「動きの殆どを決めて、与える」という役割であるとの認識が内外ともに多い。もちろん、そうでない人もいるし、その度合いはそれぞれ異なるが。




Q: 集団での創作について。カンパニーの中で、ディスカッションを通じ、作業を重ねてものを生み出すという流れや、そこで得たものは普遍性を持つものなのか?他の振付家との作業をした時は、どうなのか?

A: ディスカッションを重ねながら、身体を動かし作っていく、という形態はフランスではどこでも同じだと思う。ただ、その内容については、振付家の求めるものによって全く異なるので、それまでに培ったものがよそでは通用しないこともあるし、有効なこともある。


Q: 基礎対応力とは?

A: 身体能力。身体をどう動かせるか、ということ。


JOU補足説明
日本の事情として、「動きを作る=振付家として作品にまとめる」という図式が広く認識されている。ということは、フランスと比較した場合、動きを料理する過程や、作品を熟成させる過程をすっ飛ばして、即公演、本番、となりがちなので、多くの場合、まだ青いままの「動き」が「作品」として認識されている、というのが現状なのかもしれない。

「動きを作った人間がそのまま振付家として認識される」という日本の認識と、
「動きを作るのはダンサーの仕事。それを料理(演出・構成)するのが振付家の仕事」というフランスの認識との差を感じた一連のQ&Aでした
この認識の差は、同時に、「動きが作品になり、作品が熟成される時間と過程」が、認容されているか否か、という環境の差にも繋がっているような気がします。




Q: フランスのダンサーの傾向はどうか?日本人との違いはあるか?

A: いくつもある。
基本的にフランス人は国民性としてよくしゃべり、ユーモアもあって、町中で出会った他人同士で長話することもある。そのせいか、デュエットをしても、とても柔らかく通い合う。これが日本だと、2人のダンサーの間に距離が見えてしまうことが多い。
そして、ダンスがうまい。筋肉の質が違う。体にもボリュームがあり、動くと大きく柔らかい。なので、たいしたことをしなくても、その身体と、そこに感じられるコミュニケーションとで、とても良いものになることが多い。


JOU補足説明
コミュニケーションの時間をたっぷり取ることは、同時に、非生産的な無駄な時間を過ごす、ということでもある。日本の高度成長の影には、「無駄な時間をなくす」的な、たゆまぬ努力があった。それを可能にしたのは、日本人の緻密さ、正確さ、段取りの良さ、という能力の高さ。それは、劇場を借りるわずか1日2日の短時間で、作品を完成させてしまうという演者、スタッフ両方に言える、仕込み能力にも反映されている。だが、その反面、無駄話や深い議論の後に醸し出される相互理解の成熟性といった質感は、環境上、育まれ難いとも言える。




3: system information (education, creation, presentation)あちらの仕組み

-7.劇場のシステムークリエイション環境(場所、支援形態)

自分がいたル・アーヴル国立振付センターは港町にあり、巨大な倉庫を改修して作られた。1階には、天井の高い大スタジオと客席スペースがあり、公開リハや公演、フェスティバルもそこで行われる。中2階には、制作室と舞台監督室、2階には小スタジオとビデオルームと経理室。朝のウォームアップは小スタジオで行なう。ビデオルームはアーカイブにもなっており、過去の作品のチェックなどが出来るので、再演の前にはダンサー達が集まって思い出し・確認作業をすることも。3階がダイニングキッチン。他にプロデューサーと芸術監督が共同使用している部屋があり、ミーティングなどはそこで行なう。

余談だが、フランス人は一般的に広い空間を好む。モノを少なくし、センスよく、「見せる」整理整頓が上手。家の中は土足だし、友人などが訪れる機会が非常に多くて人目に触れるため、きれいにしているのではないだろうか。その辺りの住環境意識は、日本人と逆なのが面白い。




-8.公演の支援環境(ツアーのこと、カンパニー運営環境など)

センターの運営は、国の補助が半分、残りは地方や市などの自治体でまかなわれている。常駐メンバーは、芸術監督1名、プロデューサー1名、舞台監督1名、制作・経理などのスタッフが4名、そして毎朝来てくれる掃除婦が1名いる。衣装、音響、装置、舞台裏スタッフ等は、プロジェクト毎に依頼する。ツアーの時は、裏方スタッフ2名が外注で、一緒に回る。

ツアー先は、国内またはヨーロッパの国がメイン。他の振付センターで公演することはない。これまで回ったのは、国内では主要な町はほとんど網羅し、国外ではイギリス、スペイン、ポルトガル、日本など。変わったところでは、南半球、マダガスカルの隣のレユニヨン島にダンスフェスティバルで招待された。踊った作品は、観客がダンススペース内に入ってくるスタイルのもので、現地のおばちゃんが日本人を珍しがってか、鼻や耳を無邪気にさわってきたのには驚いた。


Q: 世界の中でも芸術を牽引してきた国ともいえるフランスだが、何年から国立振付けセンターは設立されたのか?

A: 80年代。


Q: そういう歴史があるから、他の国のダンサーを引き寄せるのだろうか?

A: そうかもしれない。例えば自分の時は、カンパニーはまず移民局に雇用申請をした。そういう社会的なケアが当然のようにアーティストに対して行なわれている。


Q: 2004年、2005年以降、フランスも変わったと聞くが?

A: 失業保険制度を廃止するという動きがあったが、アーティストが結集して反対抗議運動した。それを受けて、廃止ではなく、受給条件を厳しくする措置に変更された。

JOU補足説明
近年では大統領も変わり、事情はだいぶ厳しくなってきていると聞く。滞在許可が下りずに、あきらめて帰国する外人居住者も多いという。国立系で仕事を保証されたアーティストと、市井で活動しているアーティストとの苦労の差という話も耳にする。いずれまた、違う状況で活動してきた方からもお話を伺いたい。




Q: 日本では、ダンス公演は1日、多くても3日間というのが多いが、フランスではどうか?

A: 1回の公演は、少なくてもだいたい2~3回。ただし、一度作った作品はできるだけ多く売って、再演を図るのが常識。同じ作品を、翌年、翌々年に踊るということもある。その経験からの実感として、作品は、再演を重ねて成長していくものである。その間に振付家も改良を加えられるし、ダンサー側も、何度も踊っていくうちに理解が深まり、その作品のなるべき姿へと近づいていく。「作品が成長する」という感覚は、フランスに行って初めて気づいたことでもある。


Q: 日本で再演というと、初演と抱き合わせでそのままツアーという事例が多いように思うが、フランスではどうか?

A: フランスは、作品を作りながら、あるいは作る前から売り込んでいき、再演のタイミングというのは本当にバラバラ。


JOU補足説明
日本で再演やツアーが行われ出したのはここ10年のことで、JCDNの国内巡回フェスティバル『踊りに行くぜ』の功績が大きいと思う。それまでは、よっぽどのことがない限り、再演やツアーは起こりえなかったと言ってよいと思う。

指摘にあるような、それ以外での単独国内ツアーは、一部のプロダクションで起こり始めているが、欧米の状況に習って、そのやり方を取り入れている印象を受ける。日本では、やっとそれらのことが起こり始めたばかり、と言えるのではないか。今後の発展に期待したい。

また、ここでも繰り返し、『クリエイションから上演、再演までの長い時間をかけて、作品を成熟させることのできる環境が、フランスにはある』ということが、改めて認識されたように思えるのも、興味深い。





-9.ダンス教育の環境あるいはシステム

自分はいきなりカンパニーに入団したので、学校のことはよく知らない。センターのある地域に関しては、エルヴェは、町の人へのダンス教育を行なっていた。それはセンター常駐の芸術監督の義務でもある。市民対象のオープンクラスや、子供を呼んで公開リハーサルなどを行なった。バスで来た子供たちに、新作の出来上がった部分30分ぐらいを見せて、最後に質問コーナーなども設けていた。

ダンス学校は、基本的にはプロになるための学校で、エルヴェのダンサー達は皆、そうしたダンス学校を卒業している。ダンス学校を出ていない自分は「独学」扱いで、メンバーの中では、特殊なケースだった。フランスでは、ダンス学校を出て、オーディションを受け、カンパニーダンサーになる、という道が明解にある。


Q: プロフィールに、ダンス教師の国家資格と書いてあったが?

A: フランスにはコンセルバトワール(音楽ダンス学校)などの公的なダンス学校がたくさんあり、そこで教えるには、例外もあるが基本的には国家資格が必要で、自分はそれを取得した。講習は200時間。講師はのべ10人ほど。内容は、実技が多いが、児童心理学などの講義もあった。じっくり掘り下げるというよりも、広く浅く、様々なダンスWSを受講した。後半に入ると自分でクラスプログラムを作り、年代の違う子供を呼んで実習を行なった。

フランスでは、学校があるのは月火木金と土曜日の午前。したがって水曜日や土曜日の午後に習い事をすることが多く、そこでダンスに触れる子供も多い。その後、その道に進む場合は、15才でコンセルバトワールなどのダンス学校に入る。


JOU補足説明
15才からフルタイムで専門的な教育を受けて来た人間が、フランスのアーティストになるとするなら、その素養の差は、一目瞭然なわけである。
が、一方では、特に音楽などに関して「コンセルバトワールの教育では、理論が先行するから、頭でっかち。どうかと思う」というフランス人の意見も耳に届く。その辺りの情報は、将来、音楽アーティストもゲストに迎えて、ぜひ伺ってみたい。



Q: 評論やメディアの体制はどうか?

A: 公演初日の翌日、新聞の文化欄に必ず批評が載せられる。2日目以降の客足に影響もある。評論は個人名明記で書かれている。


JOU補足説明
「新聞の批評がオンタイムで出る為、観客動員にも繋がる」という情報は、これまでの会でも、繰り返し話されて来た。諸外国では、新聞の批評体制がタイミング的には公演と直結して行われているということになる。


Q: フランスでは、アーティストとして将来的にどのような道があるのか?

A: 振付家になったり、講師になったり、ずっとダンサーとして活躍したり、裏方に転向したり。あとは、マッサージ系の職に就く者もいるし、完全に転職する者もいる。




4: individual future 今後の活動、将来プラン、目標

  -10.ダンス活動の今後の予定など
教える機会を設けていきたい。特に子供を中心として。日本にはコンテンポラリーダンサーという職業はないので、プロにさせるためのクラスではなく、身体を気持ちよく、深く、そしてアーティスティックに動かすことで、なにか救われる子供や大人たちがきっといるんじゃないか、そんなふうに思っている。ダンサーとしては、それほど欲はない。もう十分に踊った気もする。
が、ちなみに今年の12月11日に日暮里で、JOUと、振付家であるもう1人の友人との3人で踊る予定がある。




JOUより
以上、淡々と丁寧に穏やかに、しかし明確な言葉を紡いでくれた、若生氏のトークに、時間はあっと言う間に過ぎてゆきました。今回は、ダンスに興味のある学生や、美術や映像等、異分野からのご参加を多く頂き、新鮮な質問も活発に交わされ、非常に充実した時間となりました。ご来場の皆様、いつもご協力くださっている青山劇場、ゲストの若生氏、各位に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
  1. 2010/06/23(水) 18:35:31|
  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

第7回海外の話を聞く会フランス編

御陰様で、無事、終わりました。

当日出席者 10名

内訳:男性6名 女性4名

ダンサー、振付、演出など、作り手 男性2名(20代,50代) 女性2名(大学生10代)
その他学生,学校関係 男性2名(10代)、女性1名(20代)
制作 女性1名(40代)
その他(美術、映像など)男性2名(20-30代)

今回は、学生の方も多く、フレッシュな質問や意見が積極的に交換されました。
僧侶のような落ち着いた物腰で、丁寧にわかりやすいトークの若生氏に、
休憩も取らずに、あっという間に時間が経ってしまいました。

打ち上げでも熱心な話は続き、爽やかで充実した時間となりました。

お集まり下さいました皆様と、ご協力頂いた青山劇場に
心よりお礼申し上げます。
ありがとうごます。



第7回
海外で活躍する日本人アーティストから
海外のアート環境の話を聞こう会
若生祥文(わこうよしふみ)的視点からのフランス事情


日時:2010年5月21日(金)
18:45 受付開始~ダンス映像流します
19:00 開始/座談会「フランス事情」
※エルヴェ・ロブ元ダンサー若生祥文的視点からの海外ダンス事情レポート
21:00 終了予定

場所:こどもの城 本館 2F  Bリハーサル室
東京都渋谷区神宮前5-53-1
表参道駅B2出口から徒歩8分・渋谷駅から宮益坂(青山通り)方面へ徒歩10分

入場無料 要予約 カンパ大歓迎!!
ご予約/お問合せ:
e-mailで、お名前と連絡先電話番号をお知らせ下さい。お申込み締切りは、5月18日(火)です。
easttokyodance@yahoo.co.jp datto@aoyama.org


座談会について
海外のカンパニーで活躍する海外在住の日本人ダンサーが増えつつある昨今ですが、日本国内でも、ダンス公演企画は、今や各地に広がりつつあります。この会では、それぞれ異なった地域でダンス活動をする人々の実体験を話して頂くことで、こうした国内外のダンス事情の情報の交換、収集を図り、そこからまた、新しい発想のプロジェクトや活動が、日本に生まれて来ることを期待しています。

今回は、エルヴェ・ロブカンパニーのダンサーとしてフランスで活動してこられた若生祥文氏に、契約するということ、創作活動や公演活動を支えるシステムなど、芸術支援の形態がどうなっているか、などという芸術環境を中心に、海外でのダンス生活の様子を伺います。


前回までの記録:http://odorujou.net 
→海外の話を聞こう会

トーク内容
1: before and after はじめの一歩
  -1. 海外へ行く前の、日本でのダンス活動(ダンス歴)
  -2.海外へ行く事になったきっかけ
  -3.最初のダンサー契約のこと
  -4.日本との違い、海外で始めて気づいた事など
2: Living and working あちらの暮らし
  -5.カンパニーダンサーの生活(1日、1週間、1ヶ月、1年の大体の様子)
  -6.カンパニーダンサーに求められること
3: system information (education, creation, presentation)あちらの仕組み
  -7.劇場のシステムークリエイション環境(場所、支援形態)
  -8.公演の支援環境(ツアーのこと、カンパニー運営環境など)
  -9.ダンス教育の環境あるいはシステム
4: individual future 今後の活動、将来プラン、目標
  -10.ダンス活動の今後の予定など

ゲストスピーカー:
若生祥文(Yoshifumi Wako)プロフィール
1997年 水戸芸術館ACM劇場専属ダンスカンパニー創立メンバー
2000年 フランス国立ル・アーヴル振付センター専属エルヴェ・ロブカンパニー入団
     以後7年間にわたり数々の作品に出演
2005年 コンテンポラリーダンス講師フランス国家免状取得
2007年 帰国


進 行:
JOU (じょう)
コンテンポラリーダンサー、振付家。90年代をアメリカ、マレーシアで活動後、
2000年より東京を拠点に移し、国内外で活動中。
2004年と2005年の日韓ダンスコンタクトに参加し青山円形劇場とソウルで作品上演。
2008 Seoul International Choreography Festivalにて外国人振付家特別賞受賞。
http://odorujou.net 

協力:青山劇場APAS
  1. 2010/05/21(金) 12:41:04|
  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
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第6回海外の話イタリア編記録

2009年8月17日(月) 18:30-21:00

第6回海外で活躍するアーティストから、
海外の芸術環境の話を聞こう会 イタリア編


青山劇場 会議室

ゲスト:成澤幾波子
進行:JOU





1: before and after はじめの一歩

-1. 海外へ行く前の、日本でのダンス活動(ダンス歴)

バレエから現代の振付家作品へ
趣味、習い事のひとつとして、4歳の時にバレエを始める。中学校までは、週に2回程度。
バレエ公演を見たりして、憧れから、通う回数を増やしたりした。
高校1年の夏に、イギリスのロイヤルバレエ学校のサマースクールに受かり、参加できたことで、
ダンサーになれる可能性と自信を、自分なりに持ち始め、高校を休学。
ヨーロッパに留学するために、毎日バレエのみの環境にするなど、
いよいよ本格的に取り組み始めた。同時に、コンテンポラリーダンスのクラスなどにも行き始める。

17歳の頃にローザンヌ•バレエワークショップ講師、ヤン•ヌイッツの日本でのセミナーに参加。
それまでの環境では、大人に混じっての受講が多かったが、ここで初めて、大勢の同年代に混ざっての踊る環境を体験した。と、同時に、同セミナーでは、フォーサイスなど、海外の振付家のダンサー講師から、過去のレパートリー作品を教えてもらう体験などもでき、やはりヨーロッパに行きたいと確信。


-2.海外へ行く事になったきっかけ

海外では、16歳がバレエ学校入学資格なので、すでに17歳になっていた自分は、
留学の足がかりとして、スイスのローザンヌ国際コンクールを受けることにした。が、失敗。
コンクール後、帰国してすぐ、オーディション用のビデオ作成をした。
コンテンポラリーダンスも、やりたかったので、そうした授業にも積極的なバレエ学校や、
ジュニアカンパニーがある学校宛てに、ビデオを送る。学校の資料は、ローザンヌコンクールを
受けたときにもらったリストを参考にした。書類とビデオ審査が受かった中で、
ジュニアカンパニーもある、フランスのカンヌ・ロゼラハイタワーに留学を決める。
2002年秋より渡仏。


-3.最初のダンサー契約のこと

最初の契約は、イタリアのAterballetto(アテルバレット)と契約。最初は口約束だった。
シーズンが始まるのは9月、その前に夏のバカンスがあるので、5月くらいから準備が始まるのだが、その5月の時点には、正式契約書が準備されていない状態での契約だった。
メンバーの中でも、EU国外である自分とブラジル人は、イタリアでの労働許可証は
申請から発行まで数ヶ月かかるため、ビザが間に合わず、
結局、2006年1月から正式参加した。
2005年の8月から、イタリアで、労働ビザの申請準備をした。
同年8月からカンパニーでのリハーサルには参加していたが、労働ビザが許可されるまで、
非常に時間がかかった。そのために、在学していた学校のあるオランダに戻り、学業証明など、
日本領事館を通して、外務省などにも必要書類を申請した。
3ヶ月後の12月末に、ようやく必要案書類がすべてそろったので、イタリアに戻り、
イタリアの軍警察に申請して、ようやく労働ビザが発行された。
ビザが発行された段階で、それまでのリハーサルなどに対する給料の未払分ももらうことができた。その後は通常通りにカンパニーの公演、ツアーに参加。


成澤的補足

契約に関しては、初めての契約ではあったものの、仕事という感覚よりは、好きなことをしながら
お給料を頂けているという感覚の方が勝っていた。とはいえ、舞台で踊る時は、もちろん観客がいるので意識はしているけれど、その辺りは学生時代もジュニアカンパニー時代も変わらず、
「観客は、これが見たくて来ている、お金を払って来ている」、という意識は、自然と持っていたので、
学生時代と、契約してからの舞台への挑み方は、そんなに変わらなかった。
それでも契約書には様々なルールが記載されており、改めて読む時や、
給料が振り込まれていた時は、契約しているのだなという実感はあった。


-4.日本との違い、海外で始めて気づいた事など

「コミュニケーションは、人待ちでは、成立しない」ということ。
留学時代の学校でも、バレエ団でも、自分から食いついていく、という感じが必要。
日本では、丁寧にサポートしてもらえる部分があるが、海外では、自分から人のところへいかないと、「1人がいいのではないか」と放っておかれる。
言葉がわからないからと、遠慮していても、何も起きない。
もちろん、人にも寄ると思うが、日本人なりの暗黙の思いやりや優しさなどは、
海外では通用しないなと感じた。


成澤的補足

コンテンポラリーに疎いイタリアといえども、街の劇場での芸術鑑賞は盛んなこと。
友人達のいる他のヨーロッパのカンパニーに比べ、ダンスの市場や環境は良くはないけれど、
かろうじて、契約というもので守られているため、職業として確立することが出来、
ダンサーとして、日々の暮らしに支障なく、生活していくことができること。
これはイタリアの物価から来るものでもある。

イメージとは違い、イタリア人は意外と律儀で遠慮がちである(内弁慶的な)。
ただカンパニー内は、やはり国際的で、特にフランス人やアメリカ人の自己主張は突出しており、
国民性や各々のキャラクターの混ざり合った中でのクリエーションやリハーサルは、
文化や言語、性格の違いから進行していき、基本的に、刺激は常にあり、
性格や文化の違いからくる葛藤も、もちろんある。
ただ、受動的な「待ち」の状態というよりは、それぞれが参加しているという意識で取り込んでくる、
参加意志の強さからの勢いを感じる。

街主催のイベントも多く、入場無料で開放したギャラリーや広場などでの、ダンスや音楽イベント、
写真のフェスティバルなど、小さな街ではあるものの、芸術に触れる機会は多く、歴史的な建築物も日常的に見かけるので、意外と若者でも、芸術に興味を持っていたり、それらの知識があったりと、文化の違いは感じられる。

役所での書類や、日々の暮らしで必要なもの、大抵全てに時間がかかり、
必ずしも「お客様優先、お客様は神様です」という対応をしてこないこと。
これはフランス、オランダと外国に住んだ経験のある私でも驚くほど
イタリアは対応が特にひどく、日本の便利さを嫌という程、日々感じられる。
カンパニー内での事務や、リハの時間割もまた然り。



JOU的補足説明

これまでは、日本である程度、ダンス活動をした後に、ついに海外へ出ることを決意した方々
ばかりでしたが、今回の成澤さんの場合は、「ダンスの道を志す=ヨーロッパへの留学準備」
という青写真を描き、そこで「プロのダンサーになる」、という、極めて明快な進路を、
人生の早い時期において、自ら決断したというところが、大きく異なります。
ゲスト最年少、25歳。
それは、世代の違いが持つ、日本のダンス環境や、ダンス情報の、躍進的な違い、
というのも一因なのかもしれません。






2: Living and working あちらの暮らし

-5.カンパニーダンサーの生活(1日、1週間、1ヶ月、1年の大体の様子)

1日は、朝10時過ぎにスタジオに入り、10時30分からバレエクラス。
終わってから15分休憩があり、大体12時頃からリハーサルが始まる。
日によってまちまちで、近い公演のプログラムによりリハが組まれる。
早く終わる時で14時台、遅くて18時台。
公開リハーサルのある時は12時スタートで、公開が18時開始、19時過ぎ終了。
定まったランチブレイクはしないので、必要な人は、休憩の15分で軽くすませる。
アテルバレット(Aterballetto)では基本的に、リハーサル内容の詳細はその日にならないと、
何をするのかわからない。
公演中は、プログラムにより、楽屋入り時刻は変わるが、大抵午後に楽屋入りし、
ウォームアップクラス、照明合わせ、場当たり、必要に応じたリハ、21時開演、23時頃に終了。

基本的には日曜が休みであるが、公演の都合に合わせてずれることもある。
その場合は平日など関係なく代休。月6休。2連休になることもある。
年間での休暇は、クリスマス~年末年始1週間~1週間半程度。

夏休暇:4~6週間
春休暇:イースターという祝日があるが、これは、年に寄って異なり、2~6日程度。

大体遅くとも1、2ヶ月前にはツアーも確定しており、それに合わせてのリハの日々。
公演数は月によって変動するが、少なくて月1回公演の場合もあり、月15回公演に及ぶこともある。イタリア外、ドイツなど最高1ヶ月に及ぶ海外ツアーもある。
2週間イタリアの街を巡業、計5公演という様な形のツアーもある。


成澤的補足
基本的に年間1、2作品のクリエーションを、振付家のマウロは行っており、
期間はトータルで1―2ヶ月に及ぶ。ただツアーも多く、マウロ自身も、外部の仕事で
留守になることもあるので、その期間中はクリエイションを中断して、ツアー後に再開という形も多い。




-6.カンパニーダンサーに求められること


1.コミュニケーションのとれる人。

カンパニーでは、イタリア語が共通語。英語は2番目。
なので、まずは言語を理解できることが必要とされた。

2.振付家の意思を汲み取れる人。

言葉でも、感覚や、カンでもいいが、最終的には、やはり、イタリア語は必須。

3.作業の中で、個人的な感情をあまり持ち込まない人。

例えば、振付家が、振りの指摘をした時に、感情的個人的問題として捉えないこと。

4.踊りの個性もあると思うが、性格的にも、社会性が求められる。

イタリア人には、保守的で協調性があり、右にならえ的な傾向も強いので、
心の柔軟性が必要と思う。適度に型にはまりつつ、個性を出す、というような。
***************


成澤的補足

社会人というか、人としての常識などはもちろん必要だが、
振付家の求める、個性というものも同時に必要とされる。
そういう中であまりに個性的過ぎると、やはりチームワークの仕事なので、
状況に応じた距離を作れる人、仕事の出来や進行状況のネガティブな部分を
個人的な感情で受け止めない強さのある人、などは自然と求められているかもしれない。

クリエーションが終わったとしても、公演が終わったとしても、舞台作品や活動というのは、
なかなか明確な結果の出ないものなので、
すぐに評価に繋げない、粘り強く、かつ柔軟に対応できる、
コミュニケーション(どんな形であれ)のできる人。

後は自分の意志でしょうか。
思想や信念など、振付家が何を表現したいのか、それを汲み取る早さ。


******
Q:今までのトークの人には、「求められること」の中に、
「アジア人、日本人」という前提が多かったが、、、

A:周りから見て、私はそれほど日本人らしくないというイメージがあり、
それほど求められたことはない。「舞踏を知っているか?」と聞かれることはあったが、
その素養はないので。
ただ、もちろん、舞台上で動いていない時や静かな時の何かなど、無意識の中に、
日本人らしさを見られることがあるが、
基本的には、あまり意識したことも、意識させられたこともない。
無意識に自然と出ているものは、あるのだと思う。





3: system information (education, creation, presentation)あちらの仕組み

-7.劇場のシステムークリエイション環境(場所、支援形態)

アテルバレット(Aterballetto)は、フォンデリアと呼ばれる、街の工場跡地をリノベーションした、
スタジオを所有しているので、そこが本拠地となっている。
会社としての事務所もフォンデリア内にあり、社長、芸術監督、秘書、運営部、広報部など
それぞれのオフィスもある。
500㎡にもなる大きなスタジオがフォンデリア内にあるので、
クリエーションするには十分なスペースといえる。
舞台美術として大きな装置が入る場合も、余裕あるスペースで作って行くことができる。

作品によって資金は様々で、その時に、舞台美術のデザイナーを入れるかなどで変わって来る。
基本的には、州からや、文化庁(街の文化事業の一環という形でなど)
それから、その州や街の銀行、大手スーパーマーケットなどがスポンサーに入ることも。

例えば、「ロミオとジュリエット」に関しては、レッジォ・エミリア発のMAX maraグループのMarellaが
協賛に入っている。また違う作品では、同じくMarellaが衣装として入っており、
協賛、コラボレーションとタイアップしている。

市内には、6つの劇場があり、州の支援を受けていることもあり、州立の劇場で、
いつも、初演発表を行う。地元での公演は、年に5回程度。少なくて初演2回だけとか。

カンパニーメンバーは、16~22人の男女半々のダンサーに、社長(オーナー)、芸術監督、振付家、秘書、広報、運営など10-12人。加えて、衣装1人、照明、音響、舞台監督など4~5人が常駐で、
テクニカルスタッフの応援等は、公演毎に、派遣でやって来る。



-8.公演の支援環境(ツアーのこと、カンパニー運営環境など)

基本的にはエミリア・ロマーニャ州からの支援を受けており、レッジォ・エミリアの劇場をメインに、
新作の上演はその劇場でする、などの提携はしています。
作品によってスポンサーも変わる場合が多い。長いドイツツアー(42日間15公演)の時などは、
ドイツのプロダクションが運営に携わり、ゲスト用の劇場に客演しに行ったり、
ドイツのテレビ局(ZDF、3sat)などがスポンサーに入り、テレビ放映したりなどもある。

国内では、劇場とのやりとりで、上演が決定しているようだ。
フェスティバルでの上演、韓国やNYでの上演もあった。
8月末~9月にシーズンが始まり、9月10月は大きなツアーが入ることが多い。
地元での公演は少なく、イタリア国内をバスで回っての公演が多い。
月に5~15公演。





-9.ダンス教育の環境あるいはシステム

まず、最初の、フランスのカンヌの留学のことを話すと、
学校自体はバカロレア資格も取れるバレエ学校で、
午前中は、バレエ、コンテなどがあり、午後は、一般教育クラスを受けるカリキュラムになっていた。

自分は、プロになる前の「プレ•プロフェッショナル」というコース、ジュニアカンパニーに在籍していたので、一般科目は受けていないが、ダンス関係の座学―解剖学、ダンスの歴史、声楽などは学んだ。

月~土、毎日通い、朝はバレエやコンテンポラリーダンス、午後はリハーサルや、
キネシオロジー(動作学)、ボディコンディショニング、即興、リモンやカンニングハムなどを学んだ。

カンヌには2年いて、在籍中、オーディション活動をしたが、オーディションもうまくいかず、その後、
オランダのロッテルダム•ダンス・アカデミーに編入。ここでは、オーディション活動をメインに、
当初から1年間のみの在籍、と決めていたので、ディプロマ取得に必要な科目は受けておらず、
卒業証書ではなく、学業修了証のみをもらう。

ロッテルダム・ダンス・アカデミーでは、
1、2年生は、グラハムやリモンなどのモダンダンステクニックを学ぶ。
3、4年で、リモン、カニングハム、バレエ、インプロ(即興)、ジャズなどのダンスクラスと、
演劇、照明デザイン、振付家とのコラボレーションWSなど。
上級生は、外でのプロジェクトやカンパニーでの研修にも参加可能。
また、同学校には音楽科もあり、その学生とコラボレーションしたり、
ショーイング、作品発表、学校内の衣装部も使える。

自分は、ヨーロッパでのオーディションの拠点とするために、4年生に編入した。
ロッテルダムは、場所的にも、世界のいろいろなカンパニーが来るし、情報も豊富だ。
1、2年生は、ディプロマを取るために、学業に専念、という理由で、
オーディションは受けさせてもらえない。
大体、1-2年生の時30名だった学生が、3年では20名、4年では10名、と減って来るが、
上級生での途中退学は、そのままプロとして入団したから、という場合も多い。



イタリアの学校:
いわゆるバレエ学校というものは、イタリアではあまり存在せず、
日本で言うバレエ教室的な規模のものが多い。
ミラノ•スカラ座のような歴史的なバレエ学校はある。
フィレンツェやナポリの学校出身のバレエダンサーも多いことから、
大規模の学校があると思われる。
しかし、いわゆるパリオペラ座のバレエ学校や、ロッテルダムCodarts、他のEU諸国の学校の様に、学科や一般学業のある様な専門学校、大学という形態の学校は、おそらくスカラ座を除いては、
存在しておらず、イタリア国外へ留学する者が多いのが現状であると思われる。


成澤的補足
アテルバレット(Aterballetto)は、ほぼ毎年、3ヶ月毎週末2日間、という形でセミナーを催して、
フォンデリアというスタジオを提供しており、アテルバレットのマウロや、他イタリア人振付家の
ワークショップ、レパートリークラス、ゲストティーチャーを呼んでの、
バレエやコンテンポラリークラス、即興などのセミナーを行っている。
あとは、マウロやディレクターのクリスティーナを通じての場合が多いが、申し出てきた学生に、
無料でカンパニーのバレエクラスに参加させるなどの、育成援助の機会はある。
研修生という契約書は存在しておらず、基本的にアテルバレットは研修生を取らないが、
学校卒業、もしくはそれに見合ったダンサーを採用する場合も多い。

**************

契約内容:

イタリアを代表するバレエ団、スカラ座は別として、イタリア国内で、
ダンスカンパニーがあまりない中で、アテルバレット(Aterballetto)は、
町の事業の一部として、30年間成り立っている。

社長がいて、雇用されるバレリーナ、バレリーノという関係だが、
契約上は、ダンサーは、公務員ではなく、ナイトクラブのダンサーでも同様の、
踊り子としての扱いとなる。1年間契約。
11ヶ月の契約に1ヶ月の夏休み&冬休みだが、この1ヶ月に関しては、無休である。
また、産休や手当の形式はなく、個人の交渉次第。
アテルバレット(Aterballetto)では過去、出産後に復帰した女性ダンサーは1人のみ。

***

Q:それは、イタリアの国としての問題か?

A:イタリアでは、芸術家を雇用するということについて、
ダンサーの雇用条件の細かい部分がまだ確立していないと思います。
妊娠したら、基本的には夫に頼ることが一般的です。


前田:ドイツやイタリアなど、その国の法律にも寄るので、
国立カンパニーの場合は、また違う待遇となる。


A:イタリアでの一般的なダンサーの位置づけに当てはめると、そうなる、
ということです。ダンサーではなく、事務職の女性は、出産後、復職していました。


前田:ダンサーの契約は、サッカー選手の契約と類似していると、理解している。

*****

失業保険について:
2年以上働いていると、申請できる。役所で申請して、1ヶ月の給料の60-70%位の支給。
保険の加入は、契約の時点で、入っている。カンパニーがカバーしてくれる。
けが等の治療も、負担してくれる。給料の60%位。
ただし、風邪等の場合は、医師の診断書が必要。
また、イタリアの劇場、舞台裏には公演中は常に消防士と救急隊が待機している。


評論について:
劇場は、市の持ち物なので、新聞が公演の宣伝をしてくれる。
評論は、初日の翌日紙面に出る。

また、地元のケーブルTVが、カンパニーのドキュメンタリーを撮ったり、
振付のプロモーション番組を作ったりもする。

劇場の登録会員がいるので、地元での公演は、いつも満員である。

また、本番前の公開リハーサルに、学生を招いたりもしている。

公開リハーサルの宣伝も、テレビや、町のカフェにフライヤーなど置いたりして行っている。

町のイベントのために、外で踊ったりすることもあり、また、TVを見た人など、
知らない町の人から、声をかけられたりすることも時々ある。




JOU的補足説明

参加者の中に、海外のダンス事情に詳しい、カンバセーションの前田氏がおられ、
Q&Aの中でのやりとりの補足をしてくださいました。

基本的に、この会は、
全てをリサーチ研究した専門家の方の、公式の発表の会ではなく、
それぞれのアーティストの皆さん個人の、日常の経験と視点から、
海外での事情を、語って頂くことで、生きた情報を共有していきたい、
と思っております。




4: individual future 今後の活動、将来プラン、目標
-10.ダンス活動の今後の予定など

この2008―2009シーズンをもってアテルバレット(Aterballetto)を退団し、
ドイツのヘッセン州のカンパニーに移籍、2年間の契約をした。
ヨーロッパに来て7年が過ぎ、アテルバレットでプロとして踊り始めて4年、節目の年であり、
ダンサーとして、新しい経験をしたくて移籍を決意した。

移籍先は、7年前にもオーディションを受けて、気になるカンパニーであったこと、
このカンパニーのダンサーの姿勢や、振付家シュテファン・トスの振付、
特に音楽の使い方が気に入ったこと、などの理由で、オーディションを受け、契約が決まった。

欲を言えば、レパートリーカンパニーに移り、できる限り多くの振付家作品に触れたい、と
思ったりもしたけれど、また新しい環境で、違うスタイルを体に入れていきたいし、
ドイツという国も、環境自体が違うので、色々吸収していこうと思っている。

ドイツは、ダンサーの待遇がイタリアに比べて良い国であるが、それを意識したというよりは、
たまたま決まったカンパニーがドイツだった。
が、結果的には、より安定した条件で踊れるので、ラッキーとは思っている。

オーディションは、カンパニーの公演後、夜行で飛び、ハードなスケジュールだった。
アテルバレットは、全員を使う作品ばかりなので、代役でもキャストに入っていたりと、
基本的に休めない。穴をあけないために、健康管理等も必要。
そうした状況下で、本当にオーディション回りをしたい人は、事前にカンパニーに話す。



Q:カンパニーは、社会貢献も求められるという話が、
これまでにもあり、例えば、学校でカンパニーダンスを見せるとか…

A:学校訪問はないが、幼稚園にダンサー3人が行き、お遊戯などして、
そこからアイディアを得るプロジェクトがあった。
また、町のイベントとして、リノベーションした広場の特設ステージで踊った。
そんな街のイベントの本番中、噴水の中で踊り、滑って脱臼したりもしたが、
石畳で裸足、など条件は過酷。

もちろん、そんな環境ばかりではなく、広場に組まれた特設ステージでの公演もある。
舞台と違って、お客が近い分、コミュニケーションが取りやすい。
そうしたイベントは、町おこしの一環として、市からカンパニーへ依頼される。

カンパニーの社長は、立場的には、ノンプロフィットの団体のジェネラルマネージャー、あるいは、プレジデントということになる。
現在は、地元の劇場の館長が兼任し、いずれは、社長専任へ移行中である。


成澤的補足
何歳まで現役で踊りたいのかは、自分でもその時になってみないと分からず、
今は振付家のクリエーションに参加して一緒に作り上げていくことに興味があります。
だから、しばらくはダンサーとして、たくさんの側面や引き出しを作って行くことが
目標といえば目標です。



********************************



JOU的補足説明

日本で、ダンス活動をほとんどしないまま、海外へ留学、
そして、カンパニーダンサーになった成澤さん。
イタリア事情という、なかなか知ることのできない、貴重な情報を、
さわやかな口調で語ってくださいました。
彼女がもし、将来、活動拠点を日本に移すことになる時が
あるとしたら、
その時、日本の状況は、一体どのように変化していることでしょうか?

私の知る限りでも、ここ10年で、コンテンポラリーダンスへお金が流れ、
その存在が多少は認知されるようにはなってきましたが、
ダンスや振付や舞台活動を、法律的にも、「労働」と位置づけている
欧米の芸術先進国に比べると、日本でのダンスは「趣味」の領域としての位置付け。

まだまだ発展途上の環境ではあります。

ダンス活動を日本でしている人々も、それ以外の世の中の人々も、
「ダンスという芸術が世の中にもたらす利益、役割」といったものを、日本でも、
明確な言葉と意思で、認識できるようになったら良いのに…と思いました。


いつのまにか、第6回となりましたこの会。
10回、20回と続いた時に、その情報の浸透力で、
世の中が良い方向へ変化してくれたら…という、
極めて悠長な志で、行っております、
Odorujou未来プロジェクト種まき企画の一環です。

協力頂いている青山劇場APAS、貴重なお話をしてくださったゲストの成澤さん、
会場にいらしてくださった皆様に、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

また、今後の活動の励みと参考までに、皆様のご意見、ご感想など頂ければ、幸せです。
今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします。

ご意見・ご感想・お問い合わせ先:easttokyodance@yahoo.co.jp
  1. 2009/11/12(木) 18:25:13|
  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
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第5回海外の話を聞く会 宮澤さおり的ベルギー話

第5回海外の話を聞く会 
宮澤さおりのベルギーコンテンポラリーダンス話
2009年7月9日(木)


19:00-21:00

会場:青山子どもの城 会議室
ゲスト:宮澤さおり
進行:JOU




1: Before&Afterはじめの一歩

1海外へ行く前の日本でのダンス活動

新潟で、幼少時にクラシックバレエを始める。親の転勤の為、小学5年で、福島の会津若松へ移り、そこではバレエスタジオがなかったので、仕方なく、創作ダンス教室に通う。小学校4-5から自分で振付を発表。中学校では、学校にはなかった新体操部を、友だちと新しく設立したり、スキー選手としても大会参加など、学業以外のことに全力を注いでいた。

高校卒業後、日本女子体育短期大学舞踊専攻科へ進学。上京後は、故・庄司裕モダンダンスカンパニー所属。コンクール新人公演など、活動していたが、やたらにお金が必要なこと&年功序列のようなものに疑問を抱き始める。

その頃に、故・野和田恵里花に出会い、1994年頃より故・野和田恵里花と一緒に作品を作り始める。これが後のバオバブファミリーの活動に繋がる。他にダンサーとして参加していた振付家としては、伊藤多恵、米井澄江、吉沢恵、M-labolatory(三浦宏之)、カンパニーカレイドスコープ(二見一幸)など。それらの作品に出演の傍ら、自分でも振付け、独舞や、グループでの自主公演、フリンジダンスフェスティバルにも作品出展。フリーランスダンサーとして都内を中心に活動していた。が、当時、主な生活費は近所の花屋でアルバイト&キッズバレエ指導など、舞台での収入はそのまま、右から左で自分の活動費としていた。


2海外へ行く事になったきっかけ

上京してから5-6年の間に、NYへは、オープンクラスを受けに、何回か渡米。だが、いまいちピンとこなかった。最初、ヨーロッパには興味がなかったのだが、前回のトーク招待者の遠藤暁子さんが、その頃、すでにオランダへ留学していて、彼女からいろんなヨーロッパダンスの情報を得て、興味が出たことが、直接のきっかけになっている。

その当時、自分のダンサーとしての方向性が、曖昧になっていた時期でもあり、アルバイトを続けながらのダンサー生活にも、大きな疑問が沸いて来た頃である。さとこさんからの欧州話で、「ヨーロッパではダンサー振付家という職業が成り立つ&食べて行ける」ということを聞き、そのような環境とはどんなものであるのかを、実際に知りたいと思った。

留学準備としては、留学の1年前に、1度、学校訪問の為にオランダへ足を運ぶ。アムステルダムの学校は、丁度秋休みで、日本人つながりで紹介してもらった学生から、いろいろと話を聞かせてもらったのみ。ロッテルダムでは、見学&そこを卒業した日本人のダンサー(富野ゆきおさん)と連絡がとれて、より具体的に、いろいろと話を聞かせてもらえた。

最終的に、私が留学することにした、オランダ郊外にある、アーネムのダンスアカデミーArtEZ Danceacademie(ベルギー在住のダンサー&女優の渡辺有為子さんにお世話になった)では、クラスも受講させてもらえた。日本人でその学校出身者は、他にも現在ブリュッセル在住のダンサー吉原未央子さんなどがいる。実は、アーネムのダンスアカデミーに行く途中の道中からして、草原や牛の見える車窓、田舎町の中の学校、など、その土地そのものに、最初からとても魅力を感じていた。

アーネムのダンスアカデミーには、ダンスメーカーという振付家専攻の科があり、招待生という枠もあり、招待生であれば自分のやりたいように授業内容も組ませてもらえるということだった。そこでなら、マイペースで学校に在籍できるだろうということと、その学校はダンス科の他にファッション科(日本人が各学年にひとりくらい在籍している)音楽科、建築科などがあると聞いて、ちょうど、自分でも、アーティスティックな考え方、視野を広げることもしてみたい時期だったので、アーネムの学校を選ぶ。他のダンス校はテクニック&メッソッドの伝授を主にしているのが特徴的だった。
私は、招待生として、1年間ゲストで振付コースに入学。プログラムは好きなものだけでよく、レポートのみ。スタジオも予約制で使えた。
留学時の自分の年齢(当時35歳)からしてもベストな学校を選んだと思う。


宮澤的補足情報:入学方法

学校へは入学願書、自分の作品のビデオと、「何故その学校で勉強したいのか?」の手紙をつけて。招待学生希望の入学申請をしたのが3月頃。入学許可の返答が来たのが5月初め頃。
8月終わりに、オランダへ渡り、学生ビザを取得して、1年間、学生になる
学費 200000円/年くらい
生活費 7~80000円/月(毎日朝から夜まで学校にいたし、田舎だったということもあり、あまりお金はかからなかった。食費、ワインが安い、映画、劇場は学割が効いたとうこともある)
家賃(光熱費込み)300ユーロ(二人でシェア)光熱費込み
ダンスパフォーマンスの入場料10ユーロ前後


3最初のダンサー契約のこと

学生生活も後半に差し掛かり、貯蓄もかなり減って来た状況に背中を押され、本腰を入れて、ダンサーという仕事を求めオーディションを受けまくり、落ちまくる。
ベルリンまでわざわざ出向き、オーディション会場へ行ったら「男性ダンサー募集」のオーディションだった、ということが判明、という笑い話もある。

情報はインターネットのサイト、「DANCE EUROPE」や学校に貼られている情報などで入手。
学生ビザも切れ、(学生ビザが切れてから3ヶ月は滞在可能)あわや違法滞在になるかならないか、のぎりぎりのところで、ベルギーのPierre Droulersカンパニーに、第一次オーディションに受かる。それでも、正式に選ばれたわけではなく、6人のダンサーは正式雇用だが、自分だけ保留。
2003年11月から、お試し的にリハーサルに参加。予備出演者ということで、1ヶ月間の試用期間がある。リハーサルの日に呼ばれ、その時に行くだけで、何の保証もないが、この期間中でも、試雇用契約として、契約書にサインし、2ヶ月のワークに対して、きちんと現金で支払われた。正直、フランス語の書類だったので、内容はあまりよくわかっていなかったが。

試雇用期間の2ヶ月間、ベルギー在住のダンサー、ういこさんの家に居候していた。さすがに2ヶ月後、彼女から、先のことをはっきりさせるよう促された。また、この先のことについて、何も言われないまま、クリスマス休暇に入るのは不安だったので、休暇前日に、「この先どういうつもりなのか」」と、聞いてみたところ、「明日、電話する」と言われる。翌日電話があり、正式契約を約束され、帰国。契約書は、日本の実家に郵送され、そこでサインした。

2004年1月からカンパニーとの正式契約になる。ただし、この契約が結ばれたのは、クリエーション期間の3ヶ月間のみ。滞在ビザは、インターナショナルアーテイストビザという最長3ヶ月のもの。ツアーの予定は、2年後まで決まっていたものの、頻度としては、3ヶ月に1回くらい。ツアーのない間で、ビザが切れている期間は、身を潜めて生活することにならざるを得なかった。

途中、同カンパニーで、ディレクターアシスタントとして働いていたベルギー人の伴侶を得て結婚したので、配偶者ビザを取得。ビザの問題は消滅し、不法滞在をしなくてもすむようになった。

正式契約書の時でも、言葉が良くわからなかったので、金額だけ確認してサインをした。
手取りで約20万円くらい。税金、保険、組合費などで40%程引かれている
この作品は、クリエーション時には、すでに、9ヶ月先までのツアーの予定が、決定していた。 その後の3年間で、3カ国14都市を、ツアーすることになる。

ツアーごとに、出演料は変動。これは、劇場とか、フェスティバルの付けた値段の予算の違いによるもの。出演料の他に、日当(食費などのため)というものが、だいたい一日3000円~4000円くらい支給される。飛行機、電車のチケットは、大抵、格安eチケット級のもので移動。


宮澤的補足説明: 滞在問題:

独身時には、仕事のない期間のビザは更新できず、とりあえず、日本へ一時帰国した。いちいち日本に帰国するのも大変なので、まとまった期間(3ヶ月以上)の滞在許可を申請するか、日本往復の飛行機代を出してくれ、と、途中からカンパニーと交渉。結果、飛行機往復代が一度、カンパニーから支給された。



4日本との違い、海外で始めて気づいた事など

:生活環境など

外国へ出て、初めて、自分が日本人である、という自覚ができた。街を歩いていると、子供達が「ニーハオ」といって通り過ぎたり、大人でも、すれ違い様に、こちらに合掌して「ありがとう」と言ったり。日本人と見れば、こう、という、ステレオタイプのリアクションに、初めはかなり戸惑った。

また、物質的にも、初めの頃は、生活している住宅環境の、全てのものが大きくて、どうも体がなじまなかった記憶がある。トイレ、洗面台、スプーン、食器、自転車は子供用に乗っていたし、洋服も子供服が丁度良かったなどなど。言葉の問題も、確かに初めのうちはあったが、ダンスという媒体があったので、逆に助かった。学校は国際色豊かだったので、基本は英語。

先生のすすめもあり、自分の好きなダンサーを選んで、作品作りを中心に活動する中で、自然と英語でも、コミュニケーションが取れるようになってきたし、作品を作りたい、という意欲が増して過ごせた。


:社会の中での芸術家

芸術家としての職業が、成立しているということへの驚き。日本とは、芸術家への社会からの支援、理解が全く違う。芸術家というものの、社会の中での役割のようなもの、が明確であり、浸透していて、芸術家が、一般市民の祭事やイベントに関わる、などの、プロとアマが関わる機会も多くある。街で出会う人に「ダンスをしている」というと、一般の人でも、話にのってくれる。

アーティストは個人多種職業。ダンサーだけどシンガーでもある、とか、振付家であり映像作家でもある、など、あまり専門ということにこだわらずに、興味のあることをどんどんやっている人が多いので、ダンサーだけのコミュ二ティーで固まる、という状況になりにくい。

いろんな職業、年齢の人が、ダンスに興味を持って、ダンスをやったり、見たりできるように、社会の仕組みができている。
例えば、社会活動の中に、アーティストが当たり前のように入っている。カンパニーの休暇中に、子どもの教育や地域活動に、ダンスとして携わったりする人も多い。

また、劇場、映画、美術館の入場料には、失業保険者割引というベルギーらしい枠もある。この割引は、ダンスクラスなどでも、有効なところがある。

それと、劇場ディレクターやフェスティバルのオーガナイザー、カンパニーなどの制作、企画、広報などのスタッフで、アーティストの為に活動している熱心な人々の割合が、日本に比べて多し、それもまた、職業として成立している。


Q:35才で渡欧する前、ダンスは何才から始めましたか?

A:4才からです。


Q:契約書について、怪我の保証などは?

A:保険に関しては、Syndicat(サンディカ)という組合になっていて、それぞれの組合で、微妙に内容が違う。ベルギーは、オランダ語を話すフラミッシュといわれる人々と、フランス語を話すワロンと呼ばれる人々、の2つの文化に分かれている。フラミッシュ圏には、ローザスなどのカンパニーが有名で、比較的、アートの予算がおりている。ワロン圏には、シャルロワダンスというカンパニーがあり、自分が契約した振付家は、こちらとつながりがある人。

ダンサーとして契約する、ということは、同時に、その契約書を通して、どこかの組合員になる、ということでもある。税金が40%なので、契約書の額面が2000ユーロだったとすると、手取りは1200ユーロ位。失業保険は、年齢によっても異なる。3段階の年齢枠で設定されている。労働日数ではなく、稼いだ金額で計算。→詳細は、[5.雇用される側として]の最後の宮澤的補足情報に記述
カンパニー所属でなくても、個人で何かやったりする時、SMART(スマート)という単発プロジェクトのマネージメントを請負ってくれる機関もあり、何%か手数料を支払えば、契約保証関係などは、やってくれる。


Q:日本のダンサーで考えると、すごい金額だが、、、

A:契約は、途中で途切れてもよく、2年3ヶ月の間にそれだけ稼げて、1年間4契約できれば、毎月最大で1046ユーロ、もらい続けられる。4契約の中には、1日のWSでも雇用契約1件分と計上される。

組合はいくつか存在して自分で選ぶことが出来る。毎月1回、カレンダーで就労状況を報告する。仕事しない日に×をつけて、月の終わりに組合に持って行くと、×の日の保証が出る。

金額は、独身でも家族持ちでも、最大額は同じ。最低額はパートナーや同居人がいる人は、シェアする分、生活費が安くすむということで、減らされる仕組みになっている。


宮澤さんの補足情報 :日本人のセンス

日本人のセンスは、かなり高レベルと自慢していい。
日本の生活の中には、普段のちょっとした生活の中で、さりげなく知らず知らずのうちに、センスを磨いているような要素が、たくさんある。これは日本の気候、風土、四季の変化がはっきりあり、季節を大切にしていることにも、関係していると思う。これは、目には見えない部分だけど、日本人の感情や表にも、繋がっていると思う。

個人的な感覚なのだが、そういう、日本では普通であった価値観やセンスが、海外で暮らす中で、だいぶ曖昧になり、いい意味で混ざりあうことで、自分のこだわりのようなもの、日本の社会で、無意識に身についていた文化価値のようなもの、が見えてくるようになった。このことは、改めて、もっと日本の文化を、深く知りたい、と思うきっかけにもなっている。

高度成長期に、大きく変化をした、日本人の生活スタイル。日本の外から入って来たモノを、上手に取り入れながらも、日本人独特のセンスを、絶妙なバランスで残してきたことは、評価に値すると思う。

海外にいても継続したい、と思う日本的なことは。。。。
1.靴を、玄関で脱ぐ(日本でいう、玄関という概念、のようなものが存在しない)
2.白いご飯は、フォークとナイフではなく、箸で食べる
3.衣替えをする(欧州は、1年を通して、同じ服を着回している感じ)
4.新年にお参りをする(海外にいて新年を迎えると、なんだか新年気分になれない)

などのことである。また、このようなことは「自分に宛てられたメッセージ」でもある。つまり、
その中に、たくさんの創造性(アーテイィスティック性)が隠されているはず。



2Living&Working

5雇用される側として

「1日の流れ」


朝10:00-12:00ダンスクラス(コンテンポラリーとかヨガとか)
ディレクターのピエールはクラスはせず、彼の弟子や、ゲストティーチャーのこともあれば、カンパニーメンバー全員で行なうこともある。また、カンパニー払いで、ブリュッセル市内の、ヨガのスタジオなどに行くこともある。

昼食
お弁当のときもあれば、当番制で給食係が廻ってくることもあった。当番制は特に、ディレクターの考えで、作品「アパートメント」をクリエイション中に、行なわれた。この作品では、壁を隔てた他人の生活、空間に居る身体、玄関、居間、寝室、庭などの空間からインスピレーションを得て、動くということを行なった。台所に居る身体の体験、ということで、ダンサー全員が、カンパニーの制作やアシスタントの分も含め、13人分を当番制で作った。

13:00-18:00 クリエーション
コンポーザー/ライトデザイナー/アーティストアシスタント(テクニックとアーティスティックの仲介)/記録(ビデオ)も含めてのクリエイション作業。基本は18時までだが、本番前には、夜10時11時まで行なわれることもある。


「1週間の流れ」

基本は、月~金が出勤、土日、休日は休み。
初演、ツアー中は、土日祭日関係無しで、13時か14時に集まり、18時から19時には終わる。

「年間の流れ」

ツアーが入る毎に集合。3ヶ月期間があいた時は、再リハーサルをして、感覚を取り戻す作業をした。基本的に、本人がそれを取り戻せないと、全く違うものになってしまうので、各自、リハーサルノートのようなものを持ち、取り戻せる様な記録を工夫した。

年間のバケイション休暇については、夏とクリスマスの年2回。3週間から3ヶ月が普通。
ブリュッセルには、失業者が多い。日本の場合、失業中と言うとあまり良い印象を与えないが、ブリュッセルは平気。「chomageショマージュ(失業保険)を貰っている」、と平気である。

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Q:土日の休みには、本当に休むのか? 休むと言いながらWSなどするのか? 何をする人が多いのか?

A:大体、家族と過ごす、気のおける人と出かける、など家族、友達といる時間であることが多いし、基本的には、家でゆったりと過ごすことが多い。
劇場も、夜8時や9時からの上映なので、夕食の後、ゆっくりと見に行ける。ゆっくりとした時間の流れである。ホームパーティーもよくやる。ご飯を食べてから、飲みに集まる会で、フラミッシュ圏で多い。正式の話し合いというより、なごみながら、そこで、仕事の話が成立することも多い。そうしたこともあり、昼はゆったり過ごし、夜は、そうした場所でマメに営業する人もいる。


Q:失業保険について、聞かせて欲しい

A:失業保険は、女性の場合、出産等、助かるが、良い仕事をしているアーティストは、失業保険をもらうよりも、常に仕事をやっていると思う。また、女性の視点からいうと、ベビーシッターなどのシステムも充実している。もちろん、怪我の時の失業保険は、とても助かっている。


Q:契約は、その作品のプロジェクト契約なのか? カンパニー契約なのか?

A:作品のための契約をしました。これは、ピエールの考えによるもので、彼は、フレッシュさを保つため、クリエイションの毎に、メンバーチェンジすると決めています。それは、同じカンパニーでも、他に3人いるディレクターによっても異なります。チェリード・メイというディレクターは、1人、ミッシェルというディレクターは何人か、ダンサーを囲っています。もう1人のディレクター、ヴァンサン トゥリオンは、業務的には、プログラムコーディネイション資金や、コミュニケイション関係の担当をしてます。

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宮澤的補足情報:アーティストの為の失業保険について
(初回の日玉さんの話と重複するところもある)

日本でいうところの、失業保険というものも、存在している。アーティストの為の失業保険が、存在しているというところが、かなりベルギーらしい。「ベルギーの街を歩けば、失業保険者にあたる」というくらい、その層は厚い。アーティストの失業保険をもらうためには、ある程度の条件がある。アーティストとしてこれだけ働いた、という契約書が必要になってくる。

アーティストスターチゥウ保持者(le statut d'artist 社会的にアーティストである条件のようなものであり、アーティスト業保険を貰える資格)

アーティストの仕事は、時間で計算するのが難しいところもあるので、金額で計算する事が多い。例えば36歳~50歳であれば、継続して27ヶ月の間に、アーティストとしての契約があり(途切れていてもよい)、この期間の合計収入が235万円(87000円/月)以上の人。この申請の際には、契約を、自分からではなく、雇用側から切られた、という紙面が必要になる。36歳以下では、状況がもう少し、ゆるく、50歳以上では、少し厳しくなっているようだ。

支払いの金額は、その人が単身でくらしているか、家族がいるか、同居人(パートナーとか友人など)がいるのかによって変わってくる。最高で15万くらい。最低でも9万程。ブリュッセルでは、充分暮らしていける。失業保険をもらっている期間は、働いた日にち(1日WSや教えをやったなどでも、少しでも契約書のある仕事をした場合)、働かなかった日にちを、毎月毎に、組合に報告する。 その報告をもとに、毎月の保険料が決定され、指定先の口座に振り込まれる。

一度、この保険をもらう資格(アーティストスターチュという)を持つことができたら、1年間のあいだに4回の契約(最低四日ともいえる)をしていることを証明できれば、半永久的にもらい続ける事ができる。豊かな国と言える。フランス、オランダは、システムがまた別で、もう少し厳しいようである。


6.カンパニーダンサーに求められること

何よりも、話すこと。自分の考え、こう思って表現すると、こうなります、と説明できる能力。

特に、私が関わったPierre Droulersは、オーディションの時から、すぐ動くのでなく、ます、話す、ということを要求した。何も言えないのは、何も考えないのと同じと思われる。
クリエーションでも、話し合いが多いので、まずは自分なりの考えをもって、意見として出していけること。自分の中の、アーティスティックな面が、試される場ともいえるし、それらが鍛えられる場でもある。パフォーマーは7人いたプロジェクトであったが、その中でワークする際、自分なりの意見の表現の仕方を工夫した。

例えば、自分でクリエーションノートを作り、振付家の提示していることを、自分はどのように感じ、とらえ、解釈しているのかを、言葉にしたり、写真などのイメージや音、色などで表現することなどした。ピエールとのクリエーションは、とても興味深いクリエーションであった。

話し合いにおいては、振付家と対等に意見交換し、それを皆でも話し合い、意見を言ってもらう、ということもした。

それぞれが自立して、自分なりの意見を出し合い、クリエーションをして行く中で、ディレクターは、総合的に判断して、パフォーマーから出されたものを、切ったり、貼ったり、つなげたりしていく、編集者のような役割のようでもあった。2年間のツアーの最中でも、ずうっと、細かい変更を継続していたのも、興味深かった。

「あの時のあれ、」と振付家にリクエストされた時に、再現できるように、自分も、自分の出したことについて、ノートを取った。真っ白いノートは、今でも常に持っていて、常用している。


ダンサーとしてだけではなくアーティストとしての活動経験


ダンサー振付家としてだけではなく、自分の興味のあることなどを、普段からいろんな人に伝えたりしていると、思わぬところから、誘いがかかることがある。日本でもやっていたフラワーアレンジメントを活かして、舞台空間のデザインを任されたり、演劇祭にパフォーマーとして呼ばれたりもした。ベルギーは、そういうお国柄ということとも、関係があると思うが、振り返ってみると、やりたいことという以上に、普段の、人付き合いの中から、次の仕事や人との出会いに繋がって行っている事に気づく。


********
宮澤的補足情報:雇用する側として自分でプロジェクトをする場合の日本との違い
(以下、彼女の経験からの貴重な情報提供です)

Physisという20分の小作品の場合
振付け+音楽(自分)
照明+テクニカル(1名)
ダンサー(1名)
まずは、クリエーションの為に、場所だけを借りる。2005年から、振付家ピエール
が、「シャルロアダンス」という、政府下の文化組織のディレクターに選ばれたこともあり、話が進みやすかった(スタジオは、空いていれば貸してくれた)
ショウイングをして、劇場関係者や舞台関係者などを招待し、作品を売り込んだ

*日本では、個人的に、無料で場所を提供してくれるところが、少ない記憶がある。
*この作品はPierreの推薦で、シャルロアダンスのフェスティバル参加へ、繋がる(制作はシャルロアダンス)このように、ショウイングに関係者を招待して、作品を売り込む、というのも、日本と違うのかと思う


リハーサルの場所の提供

プロジェクトとして、手取りで20万円程支給される
作品を作る時点で、売り込む先(フェスティバルとか劇場とか)のだいたいの見当がついているほうが、話がスムーズに進む。海外でも人脈は大事です




3System information(education,creation,presantation)あちらの仕組み


7劇場システム

劇場のシステムは、あまり詳しく有りませんが、若手のアーティストに、場所を貸してくれる、というところもいくつかあり、何度か行った事があります。基本的には、レジデンスという枠でスタジオと交通費、日当くらいまで、出してくれるところもあるようです。希望すれば、あるいは交渉次第で、宣伝チラシを制作してくれたり、インターネットで情報提供もしてくれる。

助成金などをアーテーストが申請する時には、すでに劇場からOKがでていることが、条件となるようで、年間の締め切りに合わせて行ないます。

劇場側は、基本的に、バイヤー(買い手)です。1年間の劇場予算の中で、作品の買い物をしています。買い手として、劇場側が、アーティストの持つ魅力、集客などを見積もり、判断します。

ヨーロッパでは、フェスティバルに作品を売るための、見本市のようなイベントを、劇場または、ある組織が、開催することもあります。

ヨーロッパは陸続きなので、いろんな所からバイヤー(劇場ディレクターやキュレーター)がやって来て、気に入った作品を選び、自分たちの国のFestivalや劇場のプログラムにする、などの申し出をします。

売り出す方も、作品に関する資料(明確な作品内容/テクニカルなことの詳細/経費/参考イメージ)などを、紙面ですぐに渡せるように、準備しています。作品を売るための見本市では、作品を見せて、パーティーも行ない、直接話をする、などという仕組みもあります。

これはビジネスです。芸術が、そう簡単に売り買いされるのを、目の前にしてみると、個人的には腑に落ちないところも、多々ありました。そういうご時世なのでしょうか?
こうしたことは、ベルギーでは、フラミッシュ(オランダ語圏)の方が盛んです。
アートが売り買いされている、競り的な状況、目の前で売買の話をするビジネス感覚、売れるための作品を作るという風潮の中で、本当に良いものを作ることの強さ、というものを考えさせられます。


Q:アートの売り買いについては、宮澤から逆に、今回いらして頂いた、芸術家の平石祐さんに伺いたい

A:(美術家:平石祐さん)美術でも、若い世代のアーティストは、ギャラリーで売り買いが一般にはなっていると思うが、私とは世代が違う。若い人達は、「売れたい、生活したい」と思うので、そういう風なビジュネス感覚の人もいるが、昨年の経済不況後、減少していると思う。
もちろん、お金だけの売り買いの世界では、見せ方、売り方が上手な人もいて、それが取り上げられているという世界もある。が、基本的には、自分がどうやって生きていくか、が基本なので、自分なりの決意を持ってやっていかないと、結局翻弄されることになると思う。



宮澤的補足情報 :日本とのシステムの違い
 

公開リハーサル招待

本番前日に、公開リハーサルというものがあり、報道陣、批評家、知人などが招待されて、コメントなどを言ってもらったりします。大きいカンパニー程、大々的にやります。そこで、ツアーが成立することもあるし、批評や写真などが新聞などに載ると、観客は増えるようです。


クリエーション環境 劇場からの支援

Pierreのクリエーションの場合
クリーションは、劇場とスタジオの半々(1ヶ月半づつ)
劇場でリハーサルができる環境、というのはとても恵まれていた
これは、前もって企画を劇場に持ち込んで、話し合い(劇場予算)をつけておけば、可能。
劇場が、このようなクリエーションの為の、劇場使用料の予算を組んでいるためである。
日本ではその辺どうなのでしょうか。



8.公演の支援環境

私が仕事をしていたPierreDroulers が、
2005年から芸術監督になった 「シャルロアダンス」について


カンパニー概要:
ブリュッセルは、フラミッシュ系とワロニー系に、政治、経済が分かれている
「シャルロアダンス」という組織は、ブリュッセルのワロニー国立振付センター(旧・国立バレエ劇場)を拠点とする。(ちなみに「ローザス」は、フラミッシュ系になる)

:1991年から2004年まではフレデリック・フラマン(現在南フランスマルセイユ国立バレエ劇場ディレクター/遠藤康之Yasuyuki Endoさんが所属)

2005年からは、後継に、4人のアーテストディレクターが選ばれ、運営しているカンパニーである。

シャルロアダンスという組織について

22人の大きな組織
:Artist director 4人
Vincent Thrion (programation/cordination/communication資金調達)
Thierry de mey (artist/Film maker)
Michel anne de may (choreograph)
Pierre Droulers (choreograph)
:制作3人
:プロダクション/宣伝4人(芸術監督artistic director各自についている)
:コミュニケーション3人
:教育/情報4人(ダンスプログラム/学校関連/DAS地域活動/公共関連)
:技術テクニカル4人(ディレクター/照明/舞台シャルロアとブリュッセル)


*建物
スタジオ大(劇場にもなる)1
スタジオ小1
フリースペース3(ギャラリー、ダンスWS&クラスなど多目的使用)
カフェ&バー(基本的に公演時のみ)
ディレクターオフィス(3カ所)
事務所(2カ所)


*活動内容

1)劇場ディレクターの活動(クリエーション/初演)
カンパニーの、3人のディレクターそれぞれのクリエイションを定期的に行なう。

2)ダンストレーニング/WS(1ヶ月ごとにタイムテーブルが変わる)講師として招待さ
れることもあるし、講師から話をもちかけることもある。講師をすると契約書がでるのでダンサーの単発の仕事になる.コンテンポラリー/yoga/ブレイクダンス/WSなど

3)国内外からのアーティストレジデンス(企画によってはプロダクションがつくこともありツアーなどに繋がる場合もある)

4)建物が有る地域のイベント&子供のためのダンス教育

5)2年に1度のダンスフェスティバルの開催

6)空いていれば、貸し劇場&スタジオとして




9ダンス教育の環境

ベルギーでは、ローザスの付属学校パーツがある為か、ダンス学校が少ないように思う。
そういう意味では、オランダの方が充実していた。
ローザスでは、子供のためのWSやダンスクラスも、しているようである。

アントワープには、バレエ学校があるらしいが。詳しくは知らない。

シャルロアダンスも、それなりに教育にダンスを取り入れるような考え方はあるが、教育よりは、プロのアーテイストの支援のほうに、比重がかかっているように思う。

ダンサー達は、それぞれに、ヨガやバレエやコンテンポラリーなどのクラスを受けたり、WSに参加してトレーニングをし、自分で自分なりのプログラムを組んで、主体的に動いている感じがする。 市内には、プライベートのダンスクラスがあり、プロの元ダンサーが教えている。

また、プロのアーティストが、幼稚園に教えに行くなど、小さい頃からすでに、プロのアーティストと接する機会が教育の中に存在する。

ダンスを仕事にしている人向けの情報は、日本よりも充実している。
日本の情報は、一般向けのものが多いと思う。

ダンス情報誌contredanseというフリーの情報誌があり、近日のダンス公演についての批評や
日程、オーディション情報などが掲載。

その他に2週間に1度くらい日本でいう「ぴあ」のような文化情報誌のようなものは、登録しておくと、無料で家に送られてくる。
これらはカフェ、公共の場のような、人の目につくようなところには、大抵置いてある。

インターネット上でも、EUROPEDANCEなど、いくつかのサイトで、ダンサーの為のオーディションの情報が見れる。

お国柄か、ダンサーは、ベルギー人だけでなく、外人も多い。
プロ経験の後、きっぱりとやめてしまう人も多いし、絵を描くなど、他の表現に移ったりする人もいる。


Q:ダンサーの立場での、プロとアマチュアの区切りは、契約書というシステムで、明らかだと思うが、振付家としての、プロとアマの線引きはどうなのか?


A:振付家としても、劇場と契約を交わしたり、ということで、初めて作品が公に発表できる仕組みがある。日本のように、自分でお金を払って劇場を借りて、作品を発表する人は、いない。

ピエールに関しては、シャルロア・ダンスの芸術監督の1人になった、ということもあるが、それ以前でも、彼は話がうまく、営業が上手。彼のことを気に入っている評論家もついている。
自分が振付家として仕事をしようと思った時は、まずピエールに見せた。そこから、フェスティバル出展へとも繋がっていった。
いずれにしても、作品を作り続けるということで、名前も知られて来ると思う。


Q:日本で言う、自主公演、自分でお金を払い、自分主催の公演を発表する、ということは、ないのか?

A:ない。


Q:フリーのイベントなどは?

A:それは、ある。意外に、スゴい人が、ひょっこりやってたりすることもある。


Q:そういうイベントは、あくまでもお遊びのような楽しみで、実際は、プロモーションするのか?


A:それは、人による。それぞれが、やりたいことをやる、というのが基本だと思う。




10今後の活動

自分の中では、大きなターニングポイントにきている。
子供の頃からクラシックバレエという、外国からの輸入ものを、当たり前にようにやってきたことで、身についたことに、大きな疑問がある。これは、間接的だけど、自分の年代の背景、経済発展や高度成長などとも、関係してくると思っている。

ヨーロッパで、ダンサーとして活動していた中で、痛感した事は、先を見てクリエーションをしても何もでてこないということ。自分の中で、このままクリエイションを続けても何も出て来ない、と思ったとき、では、自分の中のルーツを探りに帰ろう、と思った。


これまで、自分のルーツをクリアにしていくという作業、が、自分には足りていないと思った。個人的には、急成長する時代の中で、すっとばしてきた時空間というか、目には見えない事、言葉にすると民俗的なこと、宗教性や風習、習慣ならわしなどの中に何かヒントがあるような気がしている。

一般的に都会的でないとか、「くさい」「ださい」と、かえり見られなかったこと、に目を向けて、体験することが、今の自分には大切だと思っている。
実家が新潟ということもあるが、日本なら、佐渡島。
今年の四月より、新潟の佐渡島に住んで、生活している。
夏からは、佐渡島の民家14軒のちいさな集落に、家族3人で住み始める予定


フランス人のブッディスト(仏教崇拝者)アーティストが、私に話してくれたことで、印象に残っている話にこういうのがある。「今の時代は、大抵どこも、大きな都市は似ている(東京、パリ、NY、ロンドンなど)。でも、日本は島国だから、オリジナルなものが、まだ存在しているはずだ。それが何なのかを、自分の中の、アーティスティックな部分が知りたい、と強く求めている。」

一緒に仕事をした振付家のピエールに日本の魅力についての可能性について聞かれたとき、自分の中に、話せるものがほとんど何もなかった。


しばらく、佐渡島で、農耕民族的な日本人の暮らしを始める。それこそ、生活自体がアーティスティックな毎日になるだろうと思う。その暮らしの中から、現代日本人の環境、身体感覚のルーツを探してみたい。アウトプットではなく、インプットの時間。

将来的に、日本かヨーロッパになるかは、まだ分らないが、とりあえずは、長期間の日本滞在をベースにする予定です。




もっと日本人は、自分の国を誇りにもってもらいたい。他国の真似をするのではなく、まず、自分の国に目を向けることで、海外に通じる道を作って行きたい。

*日本独自のものの中にある、隠されたヒントを見つける作業をしたい
日本人だからこそ、理解できるセンス(感覚)を大切にしていきたい


:ある神社の話
お守りを買った若者が、「ご利益は、すぐにあるものなんでしょうか?」と訪ねたそうです
何もしなくて、ご利益はありません。日頃の心がけが大切です
「日頃の心がけとは何か?」と考える日本人がどのくらいいるのか。。。

:空き家を探して、村の人に、空き家のことを訪ねたときの事
「空き家には、先祖代々からの神が住んでいるので、その神様にまず気に入って頂けるように努めてくださいね。」
「というと?」
「供養をすることです。花を飾るとか、掃除をするとか、舞を舞うとか、お経を唱えるなど、なんでもいいので、自分が「これが良いのでは」、と思った事をやればいいのです。」
との返答。
花を飾る、踊りを踊るなどは、かなりアートの起源が、
ここにあることを、すでに教えてくれています。

これは外国人(パートナー)には、なかなか理解しにくい内容のようです。
この辺のところを、日本人として、何かアーティスティックな表現に、変換できるといいなと考えていますが。。。




***************

JOU的補足説明

これまでの中でも、初めて、非常に詳しい原稿資料を、予め用意して臨んでくださった
宮澤さおりさんでした。なので、原稿に書かれていたことで、当日は、詳しく語れなかったことなども、ここで補足情報として、記載させて頂きました。

お子さんが学校に上がる時には、再び、どちらの国を選ぶのか、家族としての転機が来るのでしょうが、それまでの数年間を、日本の佐渡島に根を下ろそう、と決めた経緯など、アーティストとしてだけでなく、1人の人間としての生き様も含めてのお話の面白さに、参加の皆さんも、非常に興味深く、熱心に耳を傾けていました。

また、ベルギーに関しての、契約書やアーティスト失業保険などの、より詳しい情報を、事前に調べ、惜しみなく与えてくださったことに、心より御礼申し上げます。

また、これらの情報は、あくまでも、宮澤さん個人が、その時々で、関与、あるいは理解した事柄に関する善意の情報公開であり、日本でも、立場が違えば理解も異なるし、法律やシステムですら、年々変わっていくのと同様、普遍的な情報ではない、ということを、どうぞご了承下さい。

彼女の、明るくて暖かい人柄が、やわらかく染み入るような良い会となりました。
ありがとうございました。

また、今回も引き続き、会場協力くださいました青山劇場、
ご参加くださいました皆様に、心より御礼申し上げます。


企画:Odorujou / 協力:青山APAS

テーマ:ダンス - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2009/08/23(日) 19:09:57|
  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
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第6回海外の話を聞く会当日

第6回海外在住アーティストの話を聞く会

成澤幾波子的視点からのイタリアダンス事情


お盆明けの月曜日ではありましたが、
きはこさんが東京出身ということもあり、

本日の来場者数18名。

カンパ合計 12950円。

内訳詳細については、直接お問い合わせ下さい。
easttokyodance@yahoo.co.jp

これまでの最年少ゲストです。
世代が変わると、また視点が違って
とても面白かったです。

また、イタリアのバレエカンパニー
なのですが、開場からトーク開始までの
ビデオ上映では、
とてもコンテンポラリーな作品が
次々と飛び出しました。

バレエダンサー達が踊る
フォーサイスやキブツは、
やはりとても美しいです。

いわゆるバレエの定番、
古典ものというのは、
ほとんど上演しないそうです。
そういう違いも面白かった。。


記録は、後日アップ致しますので、
どうぞお楽しみに。

ご来場の皆さん、きはこさん、
協力の青山劇場、
本当にありがとうございました。

心より御礼申し上げます。
  1. 2009/08/17(月) 23:24:39|
  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
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第6回海外の話を聞く会

第6回
海外で活躍する日本人アーティストから
海外のアート環境の話を聞こう会


成澤幾波子(ナリサワ キハコ)的視点からのイタリア事情


日時:2009年8月17日(月)
18:45 受付開始~作品映像
19:00 開始/座談会「イタリア事情」
※イタリア成澤幾波子的視点からの海外ダンス事情レポート
21:00 終了予定

場所:こどもの城 本館 9F 901 号 会議室
東京都渋谷区神宮前5-53-1
表参道駅B2出口から徒歩8分・渋谷駅から宮益坂(青山通り)方面へ徒歩10分

入場無料 要予約 カンパ制

ご予約/お問合せ:
e-mailで、お名前と連絡先電話番号をお知らせ下さい。
お申込み締切りは、8月15日(土)です。
easttokyodance@yahoo.co.jp DATTO2009@aoyama.org

座談会について
海外のカンパニーで活躍する海外在住の日本人ダンサーが増えつつある昨今ですが、日本国内でも、ダンス公演企画は、今や各地に広がりつつあります。この会では、それぞれ異なった地域でダンス活動をする人々の実体験を話して頂くことで、こうした国内外のダンス事情の情報の交換、収集を図り、そこからまた、新しい発想のプロジェクトや活動が、日本に生まれて来ることを期待しています。

今回は、イタリアのダンスカンパニーで活動後、ドイツのカンパニーへ移籍予定の成澤幾波子氏に、カンパニーダンサーとして、契約するということ、創作活動や公演活動を支えるシステムなど、芸術支援の形態がどうなっているか、などという芸術環境を中心に、海外でのダンス生活の様子を伺います。


前回までの記録:→海外の話を聞こう会
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-category-8.html

トーク内容

1: before and after はじめの一歩
  -1. 海外へ行く前の、日本でのダンス活動(ダンス歴)
  -2.海外へ行く事になったきっかけ
  -3.最初のダンサー契約のこと
  -4.日本との違い、海外で始めて気づいた事など

2: Living and working あちらの暮らし
  -5.カンパニーダンサーの生活(1日、1週間、1ヶ月、1年の大体の様子)
  -6.カンパニーダンサーに求められること

3: system information (education, creation, presentation)あちらの仕組み
  -7.劇場のシステムークリエイション環境(場所、支援形態)
  -8.公演の支援環境(ツアーのこと、カンパニー運営環境など)
  -9.ダンス教育の環境あるいはシステム

4: individual future 今後の活動、将来プラン、目標
  -10.ダンス活動の今後の予定など

ゲストスピーカー:
成澤幾波子(ナリサワ キハコ)
1984年生まれ。2002年よりフランス、カンヌ・ロゼラ・ハイタワー(ESDC Rosella Hightower)プレ・プロフェッショナル・コースへ2年間留学。クラシックバレエ、リモン、カニングハム、インプロヴァイゼーションなどを学ぶ。在学中はカンヌ・ジュンヌ・バレエ(Cannes Jeune Ballet)の公演に参加、キリアン、バランシンなど。2004年よりオランダ、ロッテルダム・ダンス・アカデミー(現Codarts)に編入、1年間留学。コンテンポラリーダンスを集中的に学ぶ。在学中はヴァスラフ・クネス(V.Kunes)、トン・シモン(T.Simons)などの作品で公演に参加。2005年(注・ビザの事情により正式には2006年1月)よりイタリア、アテルバレット(Aterballetto)に参加。主に振付家マウロ・ビゴンゼッティ作品を踊る。ヨーロッパ諸国、アジアなど各地で公演、フェスティバルに参加。他レパートリーは、オハッド・ナハリン(O.Naharin)、エウジェニオ・シリアーノ(E.Scigliano)など。2008年夏、神戸にてCommix-artsの公演にビゴンゼッティ振付のソロで参加。2009年8月よりドイツ、ヘッセン州立劇場ヴィースバーデン、シュテファン・トス(S.Thoss)率いるトス・タンツ・カンパニーへ移籍予定。

進 行:
JOU (じょう)
コンテンポラリーダンサー、振付家。90年代をアメリカ、マレーシアで活動後、2000年より東京を拠点に国内外で活動中。Ohio Dance Festival ’98 & 99、Yokohama solo duo competition2003 &2004、ファイナリスト。2008 Seoul International Choreographey Festivalにて外国人振付家特別賞受賞。2004年と2005年の日韓ダンスコンタクト に参加し青山円形劇場とソウルで作品上演。 
http://odorujou.net 

企画:Odorujou  /協力:青山劇場APAS
  1. 2009/08/17(月) 23:14:20|
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第5回海外の話を聞く会

第5回
海外で活躍する日本人アーティストから
海外のアート環境の話を聞こう会
宮澤さおり的視点からのベルギー事情


日時:2009年7月9日(木)
18:45 受付開始~作品映像
19:00 開始/座談会「ベルギー事情」
※個人で活動をする宮澤さおり的視点からの海外ダンス事情レポート
21:00 終了予定

場所:こどもの城 本館 9F  906  号 会議室
東京都渋谷区神宮前5-53-1
表参道駅B2出口から徒歩8分・渋谷駅から宮益坂(青山通り)方面へ徒歩10分

入場無料 要予約 カンパ大歓迎!!
ご予約/お問合せ:
e-mailで、お名前と連絡先電話番号をお知らせ下さい。お申込み締切りは、7月7日(火)です。
easttokyodance@yahoo.co.jp DATTO2009@aoyama.org

座談会について
海外のカンパニーで活躍する海外在住の日本人ダンサーが増えつつある昨今ですが、日本国内でも、ダンス公演企画は、今や各地に広がりつつあります。この会では、それぞれ異なった地域でダンス活動をする人々の実体験を話して頂くことで、こうした国内外のダンス事情の情報の交換、収集を図り、そこからまた、新しい発想のプロジェクトや活動が、日本に生まれて来ることを期待しています。

今回は、コレオグラファー、パフォーマー、アーティストとして、ベルギーでの活動を小休止し、現在は、佐渡島に住居を移し、活動している宮澤さおり氏に、演者として、あるいは作家として、契約するということ、創作活動や公演活動を支えるシステムなど、芸術支援の形態がどうなっているか、などという芸術環境を中心に、海外でのダンス生活の様子を伺います。


前回までの記録:http://odorujou.net →海外の話を聞こう会
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-category-8.html 

トーク内容
1: before and after はじめの一歩
  -1. 海外へ行く前の、日本でのダンス活動(ダンス歴)
  -2.海外へ行く事になったきっかけ
  -3.最初のダンサー契約のこと
  -4.日本との違い、海外で始めて気づいた事など
2: Living and working あちらの暮らし
  -5.カンパニーダンサーの生活(1日、1週間、1ヶ月、1年の大体の様子)
  -6.カンパニーダンサーに求められること
3: system information (education, creation, presentation)あちらの仕組み
  -7.劇場のシステムークリエイション環境(場所、支援形態)
  -8.公演の支援環境(ツアーのこと、カンパニー運営環境など)
  -9.ダンス教育の環境あるいはシステム
4: individual future 今後の活動、将来プラン、目標
  -10.ダンス活動の今後の予定など

ゲストスピーカー:
宮澤 さおり(Saori Miyazawa)プロフィール
http://aozorayoga.exblog.jp/
2002年オランダ国のダンス学校ArtEZ Dance Academy振付科へ1年間留学の後ベルギー国ブリュッセルにて ダンサー(Pierre Droulers DanceCampany)振付家として活動。この作品で4年間に4カ国14都市をツアーで廻る。Kunsten Festival,Compil d'avrilFestivalなどに出演。他にコマーシャル出演、演劇の舞台などで女優としても活動。ソフィアコッポラの映画「マリーアントワネット」でフラワーデザインを担当したTierry・Boutemyとフラワーデザインの仕事を一緒にする経験をもち、苔を使った舞台空間デザイン(Campany Deep Blue)を手がけるなどダンスの分野だけにとどまらずアーティスティックに活動する。
渡欧前は東京でダンサー、振付家として活動。故 野和田恵里花に強く影響を受けている。
現在はベルギー人アーティストのパートナー&3歳の娘と佐渡島在住。
のどかな日本の暮らしの中から生まれる身体表現をめざすべく創造活動中。

進 行:
JOU (じょう)
コンテンポラリーダンサー、振付家。90年代をアメリカ、マレーシアで活動後、2000年より東京を拠点に国内外で活動中。Ohio Dance Festival ’98 & 99、Yokohama solo duo competition2003 &2004、ファイナリスト。2008 Seoul International Choreographey Festivalにて外国人振付家特別賞受賞。2004年と2005年の日韓ダンスコンタクト に参加し青山円形劇場とソウルで作品上演。 
http://odorujou.net 

企画:Odorujou / 協力:青山劇場APAS

*************


今回もまた、充実した芳醇な時間を過ごしました。

来場者数 18名

詳細はまた
  1. 2009/07/09(木) 23:36:56|
  2. 海外在住アーティストの話を聞く会
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プロフィール

odorujou

Author:odorujou
コンテンポラリーダンス作家
振付家/ダンサー
Odorujouディレクター
2009年ソウル国際振付ファスティバルにて、外国人特別賞受賞。

■ダンサー/振付家■
「長い手足、自由度の高い身体、それを繊細にもダイナミックにも動かし、半径1mの円の中で踊り続けて飽きさせない身体のボキャブラリーを持っている。なのに、いきなりマヌケなネタを平気でかます面もあり、気が抜けない」(乗越たかお著:コンテンポラリーダンス徹底ガイド)

■プロデュース■
「Odorujou」時々主宰。すなわち、わくわく心躍る企画担当。「個性ある身体」を起点に、皆さんの問題解決や目標に向けて真剣に取り組み、社会貢献を目指します。
創造的身体資源の開発と芸術文化環境の向上は、世に恩恵をもたらし、個人のより良い生活と、豊かな社会作りができるのではないか?

身体不在の現代社会において、コンテンポラリーダンスが包有する、社会にもたらすであろう様々な有益な可能性と、その価値を信じて活動中。

■芸術環境向上企画■
海外の話を聞く会
http://odorujou.blog100.fc2.com/blog-category-8.html
こんなことやってみました。
Independent Artists Japan TPAM2010
http://artistsjapan.blog29.fc2.com/
http://blogs.yahoo.co.jp/dancartscom

■願望
週末はひっそりとする東トーキョー暮らしを愛おしく思う。温泉&旨いものツアー希望。



■WSクラス講師■
基礎身体能力の開発や、即興(インプロ)、コミュニケーション学習、コンテンポラリーダンスなど、様々なアプローチから提案するクリエイティブなWSは、主催者側の要望に添ってオーダーメイドで作成され、語学力と柔軟な発想力にて随時対応可能。
WS対象は、ダンサーやアーティストはもちろん、ダンス未経験の老若男女、学生、子ども、日本人から外人(英語圏)まで、自分のダンスを踊りたい人、人とのコミュニケーションを楽しみたい人、、どなたでも大丈夫。

■クリエイション■
ソロパフォーマンス、コラボレーション、グループ作品の上演、振付なども随時対応。

■最近多く担うお役目
何かと何かを繋ぐ。
全体の中でバランスを取り、足りないものを提供する。
場を浄化させる。
物事を前向きに進ませ、発展させる為の介助。


■お問い合わせはこちら
OdorujouまたはJOU宛にどうぞ。
odorujou@yahoo.co.jp
http://odorujou.net

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