ただ、踊るだけー踊り手としての頂点を目指す、というのは無理。
ただ作るだけー作家としての頂点を目指す、というのも無理。
踊って作って、アーティストとして頂点を目指す
ーということにだけ専念できる人間だったら迷いもなくていいだろうが
自分にとってはそれも無理。
それだけじゃあ満足できない。
そうやって散漫だから、
社会的に明白なある枠内の1極の頂点になんて辿り着けない。
いつでも、自分や他の人間の状態に、興味が尽きない。
自分の身体や心、他人の身体や心、体験。
面白い。わからなくて不思議。
そしてそれだけじゃなく
世の中のことも。
自分のいる世界の向上の為に、何ができるのか?
自分のいる世界が、その外の一般多数の世界の向上の為に、何ができるのか?
どういう進化の可能性があるのか?
進化欲は人間の本能であり機能ですから。。
向上っていうのはね、価値観に寄っていろんな定義ができますが、
私にとっては、
「わくわくキラキラしてる状態の人を増やしていく」
ってことです。
そういう人が周りにいると気持ちいいから。
自分が気持ちよく暮らしたいから。
だから、ついつい、
その為にどうしたらいいか、
自分は何が出来るのか、
そういうことに目が向いてしまう。
人との出会いや、自分なりの体験を通して、素朴な疑問と感想、
そしてそれらの改善策や解決方法として
いろいろな企画やシステムの、アイディアが浮かぶ。
人はそれを作家じゃない、プロデューサーの視点だ、と言う。
それじゃあと、
プロデューサー的に企画やオーガナイズに専念する
というのも無理。
そんなこと始めたらきっと、身体と魂の行き場のなさに
精神的にも肉体的にも鬱屈して、歪んで来るだろうことは
容易に予想が着くから。
例えお前なんかいらないと
お前の作るものに興味はないと
誰かに公衆の面前で、壊滅的に言われたとしても
生きてる限り
きっと踊り続ける。
作り続ける。
自分や人と関わり続ける。
もっともっとと。
抗議するとか闘うとか
そんな大それた事じゃなく
ただ単に、どうあがいてもどう望んでも
おかまいなしに日々、命ある限り生き続けてる
それだけなんです。
それが唯一なんです。
そうやって変化し続ける、自分や人の身体と、
それが醸す世界に興味が尽きない。
面白いと、心底思う。
例えば、JOUを否定する人々、評価しない人々
に対してすら、興味は尽きない。
その否定は、どこから来るのか?
その人なりの基準は、その人なりの体験や立場から生まれるものだから
それはどういうものなのか?
否定の感情はいつだって、心を傷つけるものだから
心が傷つくと回復するに、とっても時間がかかるものだから
できるだけ傷つかないように、そうっと息をひそめながらも
それでも、興味は尽きない。
作品を作ったり、踊ったりという行為は
自分自身との対話であり
自分と社会との対話でもある。
JOUの作品は時折、舞台の作品枠から
いとも簡単にこぼれ落ちて
世の中へと広がっていく。
人はそれを企画プロデュースと呼んだりもする。
ーところで、ただの遊びだったりもする。
Odorujouってほら、
わくわく心躍る状態のど真ん中。
作って、踊って、人と知り合って、わくわくする。
自分の幸せや人の幸せや未来の予感に、心ときめく。
- 2008/04/25(金) 16:11:37|
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